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わたし…出ました。

著者 星野彩美

※この物語は、「サイコパス」につながります
ご了承ください。

白か黒か…灰色か
「わたし…出ました。」
まだ寒の戻りで寒いニ月の末日。こんな投稿が、SNSに投稿された。
 何の変哲もないひとことだったが、このひとことが、このあと、再び世間を恐怖におとしめることになるとは、このとき誰も予想もしなかった。
『決してひとりにしてはいけない。わたしの育て方がいけなかった…。申し訳ありませんでした。この責任はわたし自身の身をもって償わせていただきます』
 それは何年も前のことになる。僅か3行足らずの文面を遺してこの世を去った女性がいた。
 この街は、まだ昭和の雰囲気を残す地方の街。薄汚れはしないが、それなりにこ綺麗でもない。ごく普通の都市の外れにある。
 昔は春になると小川のせせらぎに蛙の卵がぶくぶくと泡のように膨らんで点在していた。水たまりにはアメンボもいた。ヤゴやタガメのような昆虫までいた。子供たちは、川遊びをしながら、石を水面に投げて跳ねたりして、楽しんでいた。
 草野球など当たり前のように軟式のボールを使い、プラスティックのバットで叩いてはホームラン。空き地のそばの民家にホームランボールが飛んでいき、窓ガラスを割っては怒られたりしている光景が目に焼き付いた。
華やかな舞台では、少し前にプロ野球の読売ジャイアンツという球団が黄金期を迎える。王、長嶋といった名プレーヤーがV9の偉業を成し遂げる。子供たちの人気は野球に注がれてヒートアップしていった。その頃の流行語を見てもわかる。
「巨人、大鵬、卵焼き」が「子どもが好きなもの」の代名詞として使われた言葉だった。同時代にはその対義語として「大洋、柏戸、水割り」があったそうだが、これは「大人(特に男性)が好きなもの」という意味での対義語だったようだ。 そして、1970年代後半になると「嫌われるもの」の代名詞として「江川、ピーマン、北の湖」という語も登場したみたいが、わたしにはよく分からない。 ちなみに1983年の流行語で「おしん、家康、隆の里」という「辛抱する人の代表」を表す語もあった。
 そんな地方の都市に住む嘉代子は息子と娘の3人で暮らしている。
 ニュースでは昭和特有の事件が頻繁に流れている。
 当時は今と違い、結構緩い規制だったため、ゴールデンタイムでも女性の裸など普通に流されていた。
今、考えると信じられないくらいのことだが、これは紛れもない事実だ。こんなことは、日常的な一コマに過ぎない。
 綺麗ごとでは済まされないことが世の中には溢れている。そんな事件が昭和の頃には山のように存在している。ひたすらにひた隠しして、世間一般では表向きのことしか伝えない。陰で苦労しながらも、世に出さないように闇に葬るように動くひとたちもいる。
 それに反発するかのように、学生運動が盛んになり、個人の集まりがやがては、拡大していき国や大企業を相手取り、テロを起こす。一般大衆は固唾とブラウン管の小さな世界を見つめて、この国の未来を問う。
今の時代に生きる人にとってはどう映るのだろうか?
その日、わたしは学校に呼ばれた。
学校までの距離は自宅から5キロといったところだろうか。大人のわたしからすれば、なんて事のない距離だが、子供の足なら到底長く感じられるだろう。
田舎道というのは、いま考えると楽しい。学校までにはさまざまなものがある。まるでアスレチックやサファリパークみたいなアトラクションが目白押しだ。とくにこの時代はまだあまり文化的ではない。昭和の時代とはそう言う雰囲気がある。デジタル化など微塵も感じさせない。
アナログな世界はパラダイスの宝庫だ。川沿いの左手には工場地帯が軒並み広がり、煙突からはもうもうと煙が立ち込めている。フェンスはこの世とあの世を隔てるものみたいで、子供には神秘的に感じられる。パン工場かお菓子の工場を想像してしまう。口からはいつもよだれが垂れてる。
この時代の子供は鼻垂れ小僧など頻繁に存在した。
名の如く鼻が垂れている。昔見た漫画やアニメの世界そのものだ。わたしは子供を後部座席に乗せて学校へと車を走らせる。時間にして10分か15分くらいだろう。 
途中の道がでこぼこしていたり、小高い丘のようになっている場所があり、車の勢いでまるでジェットコースターのようでスリルが感じられる場所がある。子供たちは大はしゃぎである。
まもなく学校に到着する。
子供のころは、とてつもなく大きく広く感じられた校舎やグラウンドは大人になった今では小さく感じられる。
古びた校舎を横目に正面入り口から職員室へ向かう。
冷え切った廊下は灰色で光っており、歩くとコツコツと響いていた。呼ばれた生徒指導室をノックする。
中からは図太い声をした人が、「どうぞ、お入りください」と声を上げる。中には校長か教頭か分からないが中年男性とそばには女教師が腰掛けていた。
「灰色ですな…」
「…は?」
「オタクのお子さんですよ。」
「灰色…とは?どういうことです?」
中年男性の言葉に嘉代子は絶句していた。
その人がいうからに、わたしの子供たちの性格が灰色だという。女教師はデスクから絵を取り出した。
先日、授業で行った絵だった。
自分の好きなものを描くというものだったが、そこに描かれていたものは、森の中の大木に首を吊るされて骨だけになった猫の死骸だった。
嘉代子は悍ましくなって身震いしていた。
「なんですか?これは…」
「オタクのお子さんの作品ですよ」
「は?なにかの間違いでは?」
「オタクではどういった生活をされているんですか?」
嘉代子は事情を事細かく説明した。嘉代子は数年前に離婚しており、彼女がひとりで仕事をしながら、子育てもしていた。
「これよりも今日お越しいただいたのは別の件です」
「どういうことですか?」
校長は1分ほど躊躇っていたが重い口を開けた。 
なんでもクラスの同級生のことだった。
彼は「聖徳」と呼ばれていた。なぜ「聖徳」と呼ばれていたのかは、担任も校長さえも知らなかった。理由を言わないからである。彼は母子家庭で母親は近くのゴルフ場のキャディーをしていた。仕事は忙しく食事の用意が出来ないため自分の息子に食事代としてお金を渡していた。
彼はまだ小学1年だったが、財布の中にはいつも聖徳太子が5人入っていた。当時は昭和40年代後半だったが、小学一年生が持つお金ではない。当時でも大金の部類に入る。 
そんな彼はいつも嘉代子の子供も帰宅を共にして学校帰りによく駄菓子屋へ立ち寄っては買い食いしていた。
その時に、聖徳からお金を自慢されていた。
俺にも一枚くらいそのお金くれよ!とせがんでいたらしい。
それが担任を通して校長の耳に入っていたのだ。
これはゆいしき問題ですぞ。
何でも半ば強引に脅して金品を奪い取るような強盗紛いのことまで起こしている。
「脅し…ですか?どんな?」
「ちょっときみ、彼を別室へ…」
「実はですね…
「友人が滑り台の上から犬をですか?
「そうです。犬を高いところから投げ落として虐待していたんです。

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