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比較的な報告

オンラインゲームに誘われたので、遊んでいた。

チーム戦で、高いポイントを目指していくルールである。
ベストポイントは獲得できた。
もう少し高いポイントを更新できそうだったけれど、
自分には難しかったので、抜けた。
その後も、お誘いしてくれた相手は、
オンラインでプレイヤーを見つけ、続けていたようで、
さらに良いポイントが出た、と教えてくれた。

本人にとっては、満足のいく結果だったので、
喜ばしく、伝えてくれたのだろう。
あめでとー、良かったね。と返答した。

ただ、結果を教えてくれる流れが、
どこか申し訳ない感じだったので、
自分が悪かったんだなって思ってしまった。
実際、そういう事だ。

君とプレイした時は、100点だった
他の人とプレイした時は、120点だったよ

事実、そういう事だ。
ゲームの事だし、そんなに気にしてなかったのが、
オープンリレーションシップの事を考えていたタイミングだったので、
飛躍して、自分をこじらせてしまった。

君と過ごす時間は楽しいし、セックスも良い
他の人と過ごす時間はとても楽しいし、セックスもとても良いよ

いつか、こんな事を言われる日がくるのかもしれない。
本人にとっては、満足のいく結果だろうから、
喜ばしく、伝えてくれそうだ。
そう言われても、
おめでとー、良かったね。と返答するんだろう。

あまり良い気分はしない。
でも、それはその人の真実であり、
こちらとしては、
相手が喜んでいるのを見ている分には嬉しい。
けれど、自分じゃなかったんだ、と思う。

結果求めるか、経過を求めるか。はたまた両方か。
評価されての世。
どれにせよ、感情は動く。

そんな気持ちのフォローはされたい。

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