付加価値の考え方
年度が変わるタイミングということもあり、自分自身の価値について整理しておきたいと思ったので書いてみます。
ここ最近、新年度に向けて後輩の意識が高くなってきていて、
後輩の1人が役職が一つ上がるということもあり仕事に対して前のめりであるということが視覚化されてきているんだと思います。
非常にいいことなんですが、そんな後輩を見て思うのは、この後輩でも仕事は進むんだということです。
今のままでも後輩の頑張りによって仕事は進むし、さらに意欲的に頑張ることでも仕事は進む。
会社の機能としてはあるべき姿で、誰がやっても同じように成果がでるシステムが会社の意味なのでこれはこれで有りなのですが、
どこかやっぱり自分じゃなくてもという気持ちが沸々と湧いてしまいます。
これまでにも自分よりできる人を見て自分じゃなくてもこの会社の仕事は進むということを思いましたが、言い方は悪いですが自分よりできなくてもなんとかなることを知り、少し恐くなりました。
年数が経つとある程度は仕事ができるように、というか回せるようになり進められるようになるのは間違いないのですが、自分の「価値」に疑問が出てきたわけですね。
例えば会社に留まらず他のところでお金を稼ぐとして、お金=価値の対価だとすれば自分はどれぐらい価値を生めるのかといった具合です。
そんなこんなで、最低限生み出せる範囲の価値で満足するとその他大勢になってしまうようなので付加価値について考えてみます。
付加価値はこんな算数で表される気がしています。
付加価値=期待する未来の姿−最低限のサービス
炊飯器で例えると
めっちゃ美味しい=めっちゃ美味しいご飯−ご飯が炊ける
服で例えると
かっこよく見られる=かっこよく見られる服−着れる服
わかりにくいですか?
要するに機能性ではなく意味を持たせるわけです。
仕事に話しを戻すと、誰でも仕事は進むのでこれが「最低限のサービス」ですね。
「円滑」という付加価値をつけるなら人柄とかキャラクターみたいなものが付加価値になる感じでしょうか。
「早い」という付加価値も有りかと思ったんですが、これは機能性の延長線上にありそうな気がするのであまり効力がなさそうです。
差別化もできて持ち味が活かされるものでいくと今のところ人柄やキャラクターが一番の強みになりそうかなといったところです。
ということで、明るくて笑いながら周囲を巻き込むようなキャラクターを実験的に試してみようと思います。
それでは、お疲れ様でした。
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