見出し画像

『友達経営』を読んだ人へ、これから読む人へ。

*ネタバレが 多少含まれるとても長い本のレビューです

渋谷さんが本を出した。『友達経営』という本を。私はもうフラーで働いていない。私は確か25人目ぐらいの社員だったと思う。

私が世の中のビジョナリーリーダーを頭に浮かべると出てくるのはイーロンマスクと渋谷さんだ。ちなみに私もビジョナリーリーダーだと自負している。

この人のすごいところは訳のわからないことを言って、何年か後に次々とそれらを実現していくことだ。それが全く整合性の取れていないようなものであっても、人を巻き込みながら整合性を見つける力にあった。

入社した時から、渋谷さんを尊敬する多くの者が会社にいた。渋谷さんがいたから入ってきた。そんな言葉を何度も聞いた。渋谷さんの凄さを知らない私は、何をみんなそんなに尊敬してるんだろうと不思議だった。

彼はそれを一緒に歩む過程で私に見せてくれた。

友達の友達

私は渋谷さんの友達の友達としてフラーに入った。他の人とは違って渋谷さんを尊敬して入社したわけでもなく、昔から可愛がられていた高専の後輩でもない。その頃まだフラーのマジョリティーが渋谷さんの友達だった事もあって、1つ円の外にいるような感覚だった。それはフラーを辞めるまでずっと変わらなかったが辞める頃には私のいる円の外にもう2つくらい円ができていた。

私は入社前ドバイで仕事をしながら世界を旅していた、そのような生活を長く続けるつもりはなかったので次にどんなことをしていこうかと自分のスキルになるようなことを手探りしていた。

そんな絶妙なタイミングでフラーに誘われた。思っていたよりも早く次に出来そうなことへのお誘いが来てしまい、まだ世界を旅して半年もたっていなのにもう次のことに踏み出していいのかと不安と後悔に見舞われた。

なにより日本に帰ってくるのはとても怖かった。7年ぶりで、一生日本では働かないと決めていたくらいだったので素直に喜べないお誘いだった。でも全く新しい知らない世界に飛び込ばない選択の方が怖かった。

柏の葉キャンパス

シリコンバレーに住んでいたにも関わらず、私にとっては初めてのスタートアップのオフィスだった。

実は、渋谷さんと何人かのフラーのメンバーに会うのはこれが初めてではなかった。彼らがシリコンバレーに遊びにきていた時に滞在先のテックハウスでたこ焼きパーティーをした。その時渋谷さんの印象はとても最悪で、ヘラヘラしながら一言目に「でかいね」とアメリカでは絶対言ってはいけないような人の見た目のことを高身長の私に向かって言ってきたので、なんだこのチビ、この人のことは一生好きになれないと腹をくくった。笑

渋谷さんとの面接?はオフィス近くの居酒屋だった、ノミュニケーションや飲み会文化などはなかなか嫌いだったので加えて印象は悪かった。
唯一された質問はとてもざっくりと大きな質問で「将来どうなってたいの?」ときかれ、「今を生きる」ことがテーマだった私には答えを今見つける意味のないような質問だった。なんとなく思いついたことを言ったが深く考え込まれた答えではなかった。渋谷さんは私の回答に否定することもなく、「やればいいじゃん」と軽く言った。

その後はっきりと採用通知などのようなものはなく、「ぜひきてほしいと思ってるよ」というような軽い誘いでさらに不安になった。笑

ここまでで、全く渋谷さんに身を売る決心はできていなかったが、その隣で渋谷さんを支える私の恩人を信用してフラーに入ることにした。なんせ、私は一緒にもっとこの恩人と時を過ごしたかった。結果、渋谷さんの『友達経営』に友達の友達として参画することになった。


ノージョブディスクリプション

何をすればいいのかわからなかった。私に与えられた業務内容がなかった。ビジネスとマーケティングの学位はあったこともあり専門性に欠けていたわけではなかったが実践力は過去の仕事ではついていなかった。ITはましてはじめての分野だった。もはや英語ができてシリコンバレーに住んでいたというだけで採用されたようなもだった。いくら『友達経営』といえども、渋谷さんの仲間はみんな自分と同い年くらいなのに、手に職のある人で溢れていた。環境のレベルが自動的に上がったことで自分もできて当たり前だと自分を勘違いさせたのが、自分が自分に求めるレベルを自然に押し上げた。それはフラーを辞めて他のスタートアップを目にするまで気づかず、このように贅沢な仲間が集まることが当たり前だと思っていた。

チコで出会った3人の仲間

入社したらサプライズでもう一人同じアメリカの大学に通っていた友達がいた。『友達経営』の一つ円の外にいる私に新しい友達の輪を作ってくれたような気がした。入社前よりもより居心地が良くなった。日本語だけが飛び交う環境ではなく、隣に同時入社日の韓国人もいて英語も韓国語も日本語も話しながら働けるとても楽しい環境。一緒に働ける友達がいる事の幸せな気分をもっと味わいたくて私も自分が一緒に仕事をしたい友達を会社に引っ張ってくることにもなった。気づいたら北カリフォルニアの遠く離れた大学を卒業した人間が5人もフラーで働いていた。

オフィスに吸い込まれて行く人

柏の葉は満員電車とは無縁で、家からスキップしながら7分で通える距離に住でいた。なぜか社内での社交性を買われたのか、少ない女性社員だっただからのか広報になってしまった。日本語のやりとりはもちろんまだ日本に馴染みきれてない私にとってとても辛い仕事になった。広報になると外に出ることが多く、サラリーマンの蟻行列に自分も加わって列をなすことが無理だった。足が痛いのにヒールやパンプスを履いて歩き回るのが嫌だった。訳の分からない「とりあいず名刺交換だけ」が嫌だった。
私はTシャツとパジャマ?とスリッパで出社するエンジニア達と同じようにヨガパンツとビーチサンダルで会社に行きたかった。
急にフラーのエンジニアたちに親近感が湧いてしまった。何もできない私にこんな機会を与えてくれているのに、私はやりなくないと言った。
そしたら「やりたくないことやらなくていいよ」と渋谷さんはすんなり言ってくれた。

社長って呼ぶなってキレた

そんなことを本に書いてあったけど、私は渋谷さんのことを誰かに「社長です」って紹介して場の空気をピリつかせたのを覚えている。帰国して誰かを「さん」付けしたり、敬語を話したりすることにバランスが見つけられず、無理した結果だった。

渋谷さんは仲間の悪口を絶対言わない。この本に書いてなかった。絶対って言っていいか分からないけど、私は聞いたことがない。もちろんたまにおこったり、仕事の指示を出したりはするけれど、振り返ると全く本人は上司だと思ってないだと思う。人間としてみんなと向き合ってる。たまにキレるのも、本気で友達だと思ってるからキレてたんだろうなと今は思う。『友達経営』がうまく行かなくなっていた理由は渋谷さんの周りにできる円がが遠くなりすぎて、自分は渋谷さんの友達の友達だって思えなくなってしまう時があるからだ。実際渋谷さんもそう本に書いていたように思う。そう思ってしまうほうに原因があるようにも思える難しい問題だった。


渋谷さんのプレゼン

私は今も渋谷さんのプレゼンを真似して自分のキャリアの糧にしている。テンポ良く、夢を見させる、みんながまた今月もがんばろと思える、そんなプレゼンだ。

私はフラーではほとんどプレゼンをやることはなかった。それでも毎月の渋谷さんの月次のプレゼンが私の資産になった。
そんな私も渋谷さんに頼まれて英語のプレゼンを私が作ったこともあることを今思い出した。人が作ったプレゼン内容にほとんどケチもつけず信頼して一晩もかけずに丸暗記して大舞台に立った姿は逞しかった。
私は今はどんなに自信がなくても二つ返事でプレゼンの依頼が来たら「ハイ、やります」と言えるようにはなっている。(オンラインのおかげもある)
たくさん渋谷さんのプレゼンをみて、自分の心を動かされたからこそ、自信を持ってそのやり方を貫ける。コーチ達にいくらお金を払って面接のやり方を教えてもらっても、実際自分が面接官になるまで何がいい面接かはわからなかった。それと一緒だ。

旅によく出た

フラーではよく旅に出た。海外展開は私の実力不足もありなかなかうまく行かなかったけれど、みんなでよく海外に行った。渋谷さんはいつも楽しそうだった。ポケモンGOがリリースされた時はゴールデンゲートブリッジを車で走りながらでみんなで必死でポケモンを捕まえた。Airbnbで一つ屋根をシェアしながら毎日いろんなアイディアや夢がドカドカ出てきて、フラーのみんなでいたら出来ないことはない、そんな思いにさせてくれた。

修学旅行は社員旅行という言葉に全く置き換えられない。あれは修学旅行だった。誰一人全く社員らしくなくて学生がそのまま大人になったような、総務にとっては旅行が成り立つのか分からないぐらいのまとまりのない状態で、それがどんどん大所帯になり、韓国までみんなで行ってしまった時にはちょっとヒヤヒヤした。高校が全然楽しくなかった私にとって、その時は少し小馬鹿にしていた修学旅行も、今はダイヤモンドみたいに心の中で輝いている。一人でやることは記録、みんなでやると思い出。どこかの本にそう書いてあった、まさにそれだ。

飲み会が大好きな渋谷と、飲み会が嫌いな私

あんなに飲むのが好きな渋谷さんにとって魚民の飲み会を嫌う私はとても感じの悪い社員だっただろう。会社の経営が厳しい時に「彼の唯一の楽しみ」を私は協力的に一緒に楽しい顔をしてしてあげれないときがあった。それはタバコの煙が本当に苦手で酔っ払いの悪ふざけが大嫌いだったこと。そして『友達経営』を憎むこともあった、このタバコ吸いで酒飲みの集まりめ!笑

自分と似てる人

こんな私が尊敬する渋谷さんも自分に似てると思うことがよくある。私も17歳で海外の大学にいったことで、高専のような専門性のある、家族から離れた場所で、寮生活をしながら友達を家族のように作ってきた。そういえば寮監もしていた。そして88年生まれの同級生。組織に変化をもたらしたいところ。仲間のことを大切に扱いたいところ。コロコロ変わる環境ですぐ誰かと同盟を結べるところ。そして新しいことにいつも興味があって、変わらない事を死とすること。

その興味の種類や、時やタイミングは違えども、自分にすごく似てると思える人が隣で起業をしてこんなに仲間を引き連れている。起業に関しては自分でもできると感じるようになるには時間がかかったけれども、渋谷さんやフラーのみんなは私が自分の可能性に気づかせてくれたエクスパンダー集団だった。

私が起業をしようと決意した時も友達とやることが大前提だった。新しい足りないスキルを持っているメンバーを見つけてくることをアドバイザーなどに勧められたが、友達と呼べる人じゃないとしっくりこなかった。今振り返っってみると、きっとフラーの『友達経営』が私の中で正解になってしまってからだと思う。一つ残念なことはエンジニアの友達が全く周りにいなかったことかもしれない。(笑)


友達経営①

この本は、友達経営①にしか当たらない。
悔しいから、また30年ぐらい経ったら、私にいつか貸してくれたトヨタの社長の本みたいに、本好きな私でも読むのが嫌になるくらい小さい字でその先の『友達経営』について書いて欲しい。

もっと心の底を掘り下げて、友達経営だったからこその辛さや、難しさ、苦悩を渋谷さんの言葉で綴ってほしい。

私はフラーでのたったの3年間に、遠くからでもこの本に書かれてない『友達経営』を見てきたと思う。感想としてはこれが友達経営の全てだったら嘘だと思う!

だから私は思い出に浸りながら涙を流し、何故か悔しさまぎれにこれを今書いている。

それぐらい大切な宝物のような時間を私は渋谷修太の『友達経営』から得た。そして渋谷修太が始めた『友達経営』のおかげで生涯の思い出を共有する仲間がたくさん増えた。きっと『友達経営』は渋谷修太にもたらしたもの以上に、その周りにもたらした物の方が多いんじゃないかと思う。だから私は今これを書いているんだと思う。

この本は友達ともっと一緒に人生を歩みたいと感じるどんな年齢の人にとっても、新しい可能性を見せてくれると思う。それは起業や経営という形でなくてもいい。私も友達とただ楽しみを共有するだけでなく、悔しさや、挑戦を一緒にしていける仲間を集めて2017年からTHEYというコミュニティーを運営している。この仲間達とカッコ良くもカッコ悪くも老いていきたいと決めている。そして、もしかしたらもう一度『友達経営』にいつかチャレンジしてみるかもしれない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?