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真珠の耳飾りの少女 に会いたくて①
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」
この絵を初めて知ったのはいつだったか?
はっきり覚えていないのですが、
画家フェルメールのことは
1996年時点では知っていました。
なぜ、そう言えるかと言うと、、、
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フェルメール展を観たい
1996年春、オランダ デン・ハーグの
マウリッツハイス王立美術館で
「フェルメール展」が開催されるとの
情報を私はどこからか入手しました。
現存する絵画約38点のうち
20点以上が一堂に会する特別展です。
デン・ハーグ 行きたい!
フェルメール展 観たい!!
と強く思いマウリッツハイス美術館訪問計画を
立てたこと、はっきりと覚えているのです。
まだスマホなど影も形もなく、
携帯電話も個人所有は珍しい。
パソコン通信が主流で
インターネットは普及途上中。
ネット検索で調べ物をするなんて
想像すらしなかった頃。
多分地元紙か日経新聞国際版を読み、
知ったのでしょう。
え〜、これは行かねば。
せっかく近くに住んでいるんだから
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115212451/picture_pc_d93894f334edc701ef95644a243d1efa.png?width=1200)
国境の西
ドイツの西隣の国オランダ。
当時私は家族とドイツ某大都市で
暮らしていました。
仕事を辞め夫の海外転勤について行き、
初めての海外長期生活、そして
ちび人間、子育て中。
フェルメール観に行こうよと夫を誘うも、
彼は全く乗り気でなく、
「仕事があるから行かない、行けない」と
素っ気ない。そもそも興味なかったのです。
「行きたければ行ってもいいよ。
土日なら子どもの面倒は見るけれど
平日に行くなら子供も連れて行ってね」
ならば、と週末日帰り弾丸訪問プランを練ります。
美術作品には興味を示さず(当たり前)
広い空間に解き放たれたのなら、
オランダ古典建築の代表作とされる
17世紀半ばの建築という歴史的建造物で、
しかも偉大な画家の特別展開催中であろうが、
そんなのお構いなしにただ走り回る、
片時もじっとできない幼児同伴は
最初から考えておらず、一人旅と決めていました。
一人日帰り訪問計画
地続きの隣国で近いといっても
デンハーグまで片道約五百キロの距離。
交通プランは三つ。
① 車でアウトバーン(速度制限なし)をひた走る。
② 飛行機で一っ飛び
③ 電車(DB ドイツ鉄道)で行く
アウトバーンを1人で飛ばして
長距離運転する自信はなく、
①車プランは最初から除外。
まだLCCの運行はなく
ルフトハンザドイツ航空か
KLMオランダ航空、いずれも
フラッグ・キャリアの座席を
購入することになります。
ネット予約のない時代、
旅行代理店に問い合わせましたが、
チケット代が高すぎて②飛行機プランも断念。
③の鉄道について。当時は紙の時刻表を手にして
発着時刻、接続を調べて乗車列車を決めていたものです。
トマスクックの時刻表はヨーロッパ旅行には
必須アイテム。ただ一回の旅行のために
その期の号を買うのは勿体無いと、
街のターミナル駅でもある中央駅に出向き、
デン・ハーグとの往復について調べました。
早朝出発して昼前につき鑑賞、
午後早めの電車で日帰り訪問できるのでは
と踏んでいたのですが、週末だと本数も
減り、こちらが望むような
発着時刻の列車はありません。
日帰りは無理と分かった時点で
諦めてしまいました。
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あの頃の自分に言いたい
なぜ土日一泊旅行としなかったのでしょう。
幼児を夫に託すことへの気兼ね。
ホテルの宿泊料金が高く予算オーバー。
知らない土地で一人宿泊することに
漠然と感じた不安。
もちろんこれらの理由もあったと思いますが
あっさり断念した一番の理由は
またそのうち機会があるわ
安易な気持ちでしたいことを先送り、
チャンスを手放してしまったのです。
そしてそのうちに行けると思っていた
マウリッツハイス美術館訪問の機会は
その後まだ起きていません。
あの時の若い私に言いたい。
「いつかは永遠に来ないかもしれないから、
やりたいことは少し迷っても今やったほうが
いいわよ。」
さて私はその後「真珠の耳飾りの少女」に
どこかで会えたのでしょうか?
後ほど続きを。
長い文章お読みいただきありがとうございます。
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