橋本環奈ちゃんが「信じないのは性に合わない」って言ってた
でも、齋藤飛鳥ちゃんは「期待して裏切られた時の負担に耐えられないから期待しない」って言ってた
いやこの前ね、美容院で読んだ雑誌に橋本環奈ちゃんのインタビュー記事が載ってて。
何かの質問に答えてる時に言ってたんですよね、
「芸能界という世界で仕事をして行く中で、みんなを簡単に信じていくわけにはいかないけれど、だからと言って信じないのは性に合わない。もし裏切られたとしても“自分はこれだけやった!信じれるだけ信じた!”って思っていたい。だからこそ仲良くしてくれている子たちとかはなおさら大切にしたいって思う」的なことを。
わたしは、憧れである齋藤飛鳥ちゃんがハタチなる前に言ってた、「裏切られた時耐えられないから信じたくない、期待したくない」という考え、言葉が頭から抜けなくて。
当時13歳で乃木坂に入って、芸能界の闇も、大人の汚さもいろんな、いろんなことを知って、絶望したり期待したり、ジェットコースターのように動いていくメンタルをどうにか保つには、彼女は、こうするしかなかったんだと思います。
今はその考えも少し変わっているかもしれないけれど、当時の彼女にとって“期待しない”は逃げではなく武器で、そんな闘い方をしている彼女に憧れて、あーなるほどなって勝手に納得して、同じように考えてたんですけど、
でも環奈ちゃんの考え知って、あーわたしはどっちが合ってるんだろうなぁってふと考えちゃって。
しんどいことがあって、トラウマになって、そうじゃない人を羨んで、いいなーわたしもあれがなければトラウマにもならずに済んだのにな、とか自分に起きたしんどいこととだけ比較してて、
それって楽だけど、楽しくなくて。
あたらしい世界見れないから、自分を守ってばっかりだから、自分が何をしたいのか、誰とどうなりたいのか全くわからなくなっちゃってて。
期待しすぎたせいで裏切られたって思うのが嫌で、セーブかけがちだったけど、そうしてたら自分は何を望んでるのか、何がどう動いて欲しいのかわかんなくなってきちゃってるなーって気づいたんですよね
テストが返ってくる時も何かの試験の合否を見る時も「これさえあれば良いや」って最低ラインを考えてどうにかやり過ごしてきた人なので、これからガラッと変えれるとは思いませんが、
でも、これがしたい、あれがしたい、こうなればいいな、とか自分への期待、信頼と出来事への期待、信頼は持ってたいなと思いました^^
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