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苦しい時間を越えて

またまた時間が空いてしまいました。
時間が空いたのには理由があって、色々と私なりに考えたり足掻いたりしていたのです。

突如として訪れた、落ち込み期

私は難病を診断された人間です。
その診断を受けた時は、はじめは落ち込み、すぐになんとか立て直し、仕事もプライベートもなんとかやっていました。もちろん、立て直したといっても仕事の帰り道や何の予定も入れなかったお休みの日には、一人ナイーブになったりすることはありました。それでも何とか、気丈に振舞っていたのです。

気持ちが沈む瞬間は突如として現れました。何の前触れもなく。いや、前触れはあったのかもしれません。私がその時そうと気づいていなかっただけで。

友人の結婚や婚約の報告、仕事で認められる先輩の姿、出張が続く仕事…
杖を見るからに明らかに障害があると分かる私がこの先恋愛や結婚などすることはあるのか、あと数年で車椅子の生活になるかもしれない私が先輩のようにバリバリと働き続けて昇進する未来などあるのか、仕事も出張も楽しいけれど体が疲労しきっているといつ言えばいいのか。
私が抱えていた悩みをただ深くするだけの出来事が次から次へと訪れていたようにも思います。

ストレスをコップに注がれた水にたとえることがありますよね。
まさにその例えの通りのことが私の身に起こったのだと思います。何とか水面張力で保っていた水面に、数滴のストレスを与えるイベントが降り注ぎ、溢れてしまった。
私はまさにその事象が、自分の身に起きたのだと感じました。

また水が溢れない状態まで戻るまでの時間のことを、徒然なるままに書き残してみたいと思います。

1人の時間

私は、とにかくなんとか立て直そうとしました。
新しいことをしてみようと思ったり、友達と会って楽しい時間を過ごそうと思ったり。けれど、私の全身がそれをやりたがっていないような感覚がありました。
何をするのも面倒くさい。友達と会ってもまた傷つくだけでは?と思える。

そんな状態だったので、しばらくして人と会うことはやめました。そして、逆に1人になってゆっくりする時間を作ることにしました。

潜る時期

そんな時、たまたま私が大好きなTBSアナウンサーの古谷有美さんが、Instagramのストーリーズにて質問を募集している瞬間に遭遇しました。

「ちょっとだけお話しましょう」という言葉に惹かれて、限られた文字数の中で人生も仕事もうまくいく気がせず落ち込んでいること、古谷さんならどうしますかという意図を込めて質問を書き込みました。お返事が返ってきたら奇跡だな、と思いながら、その時はそっとアプリを閉じました。

数時間後、ふとスマートフォンを流し見していると、Instagramから通知が来ていることに気づきました。そう、なんと古谷さんが私の質問に答えてくださっていたのです。それだけで胸がキュッとなった気がしました。

「潜る時期だと思って とことん潜ったらいいんじゃないでしょうか!」
「昔、会社の先輩に言われた『潜る時期があってもいいんじゃない』という言葉が私はすごく好きで」
「そういう時期しか見えないものや感じられないこと、聞こえてこない声があると思うし 人の痛みもわかるようになるかもしれないですし」

なるほど、とその時感じました。
私は今潜っている。それは今の私にしかできない冒険。
望んだものではないかもしれないけれど、振り返った時に人に語れるような大冒険だといい。
もちろん他人からそういった言葉をかけてもらったから完全に立ち直れた、というようなことはないのですが、新しい感覚を身につけて狭まっていた視界が広まるような感覚がありました。

日の光を浴びる

少し視界が広まった私は、ある日友人と会話をしていました。
何だか気分が落ち込んでいる、ということを打ち明けたところ、相手はこう言いました。

「冬は日照時間が減るからそのせいもあるかも」

なるほど、確かに。
その言葉を聞く前の自分を振り返ると、平日は仕事のためブラインドで日光ら遮断された世界に、休日は昼頃に起きて夜まで起きていると言う、日の光から遠ざかった生活をしていました。まずはこの習慣を改善しよう、と思いました。

平日は自分の意思では変えられない部分が大きいため、休日の起床・就寝時間を変えることにしました。
朝は8時〜9時頃に起きる生活に。そうすると夜は眠くなるので、程よいタイミングで眠りにつける。そして翌朝も昼まで寝すぎるということはなく、適度に日光を浴びることのできる時間に起きることができる。
そうやって日の光を浴びる生活サイクルへしふといきました。

日の光を浴びると、不思議と心が暖まり、元気になる気がしました。

お茶

日光の話をしてくれた友人が、もう一つ話してくれたことがありました。

「今お茶にハマっているんだよね」
「好きな茶葉でお茶を出して、水筒に入れて職場に持っていくの。飲む時幸せな気持ちになるよ」

素敵だなと思い、真似してみることにしました。
私は会社にお茶を持って行くのは荷物が重くなるのでやめることにしたのですが、家でその時間を作ってみることにしました。

ほうじ茶を買い、のんびりしたい時に淹れて飲む。
心がほぐれて、和む気がしました。温かいものを飲むと、寒さで硬くなった身体、悪い考えに引きずられて冷たく固まってしまった心も暖まっていきました。

以来、私はお茶を飲む習慣を継続しています。
肌寒さが残る内は、しばらく続けるつもりです。

(ちなみに茶葉はこちらで買いました)

素直に

私は、人からよく言われる言葉があります。
「もっと頼ってくれてもいいのに」

この言葉を言われると、悲しい気持ちになります。
なぜなら、人に頼ることが私にとっては難しいことだから。体が不自由になり出しても一人でなんとかしてきた自分にとって、街中では白い目で見られるような気がして孤独を感じている私にとって、人に何を頼っていいか分からないと思っていたからです。

むしろそう言われると、
「明らかに困っていそうだからそんな声をかけてくれているんだよね?」
「そうしたら、そちらから率先して手を伸ばしてくれたらありがたいのだけど」
と捻くれた感情を持ってしまう自分もいました。

しかし、私は気づきました。
このまま人が察してくれるのを待っていても何も起きない。私は自分の思っていることを表現しなければ。
捻くれた気持ちで物事を受け止めるのではなく、素直な態度で色々なことに望まないと。

この気づきが、私を少しずつ変えてくれました。
人に何かをお願いすることも徐々にできるようになってきました(まだ勇気はいるし、本当に少しずつですが)。

そして副次的に、人に何かを頼むこと以外に対しても素直かつ積極的に接することができるようにもなってきました。
やる前に諦めてしまっている自分がることに、気づけたからです。これからもこの気づきは忘れずに、色々と取り組んでいきたいと思っています。

気づけば、いつもの私に

約4ヶ月でしょうか。
落ち込み出した頃から、色々な人の言葉や内省を経ていつも通りの自分に戻ってきました。
不思議なことに、今となっては落ち込んでいた時がすでに懐かしいです。そしてあの頃を思い出すと、今の方が遥かに強くなった気分にもなります。

きっとまた落ち込んだり壁に当たったりするのでしょう。その度に周りの声や自分の声を聞いて乗り越え、苦しい時を懐かしめたらいいなと思います。

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