方言で育まれるもの
方言問題は深刻だった。
東京から引っ越した初めの頃は、言葉が聞き取れずにスムーズに会話ができないことさえあった。(相手は呆れ顔で、周りの人は笑いながらそれを見ていた)
言葉が変わると人柄も変わる
同一人物でも、英語で話すときと日本語で話すときでは、性格が変わるという。英語のときはポジティブな発言が多く、日本語のときはシャイな印象を感じさせるらしい。
日本には「相手をたてる」という美徳があるためにシャイな印象を受ける言葉の言い回しが多いのかもしれない。その土地に根付いている文化や習慣が言葉になって、話す人の性格にまで影響するのだろう。
方言でも同じことが言えると思う。
この土地の方言で、「○○してらっしゃる」は「○○しとらす」と表現する。
「おっしゃる」は「言わす」
「いらっしゃる」は「来(こ)らす」
もっと言うと、「差し上げる」は「やらす」
尊敬語が軽い印象で耳に入ってくる。
「○○と仰ってますが〜」というまどろっこしい表現は使わない。そのせいか目上の人との会話が"失礼"なく自然と距離が近いものになっている。
方言で育まれる人柄
聞き慣れない言葉の中での生活はおもしろい。
「ねとらんぎんくるけん」
引っ越してきてすぐの頃、熱を出した私に初めてできた友達がラインで送ってくれた言葉。全く意味が分からず、何かの呪文だろうかと思った。「(何かあったら連絡して)もし寝ていなかったら行くから」って意味だった。
この土地に住んで4年。
今なら呪文じゃないと分かるけど、まだネイティブな方言は身につかない。
子どもの流暢な方言にびっくりしてしまう。「土地柄」というのはこうして育まれるのだろう。
「東京の人が冷たい」とは全く思わないけど、距離感を保つ言葉遣いは、たしかに冷たく感じることもあるかもしれない。
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