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とりとめもなく、思い出と日々のこと

東京に雪が積もり、一週間ほど経った。今でも道のそばには、溶け残った雪が白い像となり静かに佇んでいる。

雪のほとんど降らない地域で育ったせいか、私は雪に関する知識が非常に乏しいことに気がついた。雪の種類(積もる雪と積もらない雪)や、雪対策、雪道の歩き方など。東京にはいろいろな出身地の人がいるので、皆の知識のおこぼれを一つずつ拾い集めて、私は積雪の数日を乗り切った。

”根雪”という言葉を初めて知ったのは、小学生の時か。北海道を舞台にした漫画の中で、
「根雪になるのはまだ先だよ」
というセリフがあり、当時の私は聞き慣れないその言葉に戸惑いながらも、漢字からなんとなくの意味を想像したものだ。まだ見たこともない”根雪”を。

知らない言葉を知るのはとても楽しく、それらを教えてくれるのはたいてい小説だった。”御令室さま(その上があったと思うけれど、今は思い出せない)”や”お姫(ひい)さま”などという呼称や、あらたまった手紙の書き方は三浦綾子か森茉莉の作品で知った。前にも書いたと思うけれど、物語は私のエスケープで、知らない世界を知るための手段だった。

小説を読む時間がよくそんなにあったなあ、と思う。振り返れば、私は待つことが本当に多い子どもだった。母が仕事に行っている時間、仕事ではないけど外出している時間、祖母の家や書店や仕事場の隅で待たせてもらった。友だちと遊ぶことは許されず、自宅に残ることも許されなかった。父や、同居する父の両親もいたはずなのに。母は私が勝手に何かを食べさせられたり、買い与えられたりすることをひどく恐れていたように思う。
いただいたものを正直に
「これ◯◯さんからいただきました」
と報告すると、決まって母は眉間に皺を寄せていたから。

待つ時間は読む時間だった。幼い私はいつも本を持ち歩いていたし、気に入った本があれば何度も読み返した。知識もそれなりについたし、本を読まなければ勉強をしていたので、学年の中でも成績は良い方だった。世の中のことはなんでも理解できるような気がしていた。

本好きでよかったなあと思うことは多々あるが、一番は今の職に就けたことだ。作品が生まれる瞬間に立ち会うのは緊張する。出版社ではないけれど、それに携わる仕事に就けたことは私の誇りだ。でも、本を読む時間はぐんと減った。昔のように「読みたいし、時間がある」のとは違って、今は「読まなければならないのだけれど、時間がない」のだ。大人って余裕がない(私だけ?)。今は有栖川有栖の”学生アリス”シリーズ最終作(上下巻ある)に取り掛かっているのだけれど、余裕のない今の私はまだうまく物語に溶け込めずにいる。

実は今月末帰省することにしていたのだが、仕事が入り難しくなった。恐る恐るその連絡をすると、なんとあの母が、
「仕事じゃしょうがないね、また今度ね」
とあっさりと引き下がったのだ。今までの傾向だと、
「ムキー!なんでよ!仕事なんかほっといて帰ってきなさい!」
と怒るはずなので、私はびっくりしてしまった。どこか具合でも悪いのかと兄に近況をこっそり尋ねようかと思っているのだが、もしかしたら年末の帰省の際に揉めた「娘(私)の自立」を考えてくれたのかもな…と淡く期待している。本当に淡く、ですが。世の中、まだまだわからないことだらけ…

また、私の苦手な分野は美術だ。見る方はまだマシだけど、つくったり描いたりするのはてんでだめで、美術の筆記テストは100点だったのに、実技が振るわず成績が3だったという経歴がある。長年、「母のお気に入り」ばかり選んできたせいで「自分のお気に入り」を見つけられていないから、好きな画家もあまりいない。そんな中、最近クリムトとゴーギャン、あとプリューゲルは、ずっとこの絵を見ていたいという感情になることに気がついた。描かれている人間にあたたかさを感じる。全然詳しくないので、とんちんかんなことを述べていたらすみません。
そんなわけで、今回の画像はゴーギャンにしてみた。良い絵です。

今年は家にも好きな絵を飾りたい。




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