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私の好きな歌 〜貧窮問答歌〜 その②


こんにちは、まりもです。

今日は昨日に引き続き、

山上憶良さんの「貧窮問答歌」

についてのお話です。

貧窮問答歌は「問い」と「答え」に分かれた形式となっています。

↓昨日は問いについて。


今日は答えです。

天地(あめつち)は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる
日月は明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か
我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並みに
我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松(みる)のごと
わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬(ふせいほ)の
曲廬(まげいほ)の内に 直土に 藁解き敷きて
父母は 枕の方に 妻子(めこ)どもは 足の方に 囲み居て
憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑(こしき)には
蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに
いとのきて 短き物を 端切ると いへるがごとく しもと取る
里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり
すべなきものか 世間(よのなか)の道


世間を 厭しと恥しと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
(よのなかを うしとやさしと おもへども とびたちかねつ とりにしあらねば)


現代語訳:
天地は広いと言っても、自分のためには狭くなったのか。お天道さまやお月様は明るいというが、自分のためには照って下さらぬのか。誰でも皆こうなのか、自分だけがこうなのか。
たまたま人間として生を受け、人並みに自分も耕作しているものを、綿も入ってない袖なし衣で、海藻みたいによれよれの垂れ下がったぼろ切れを肩に引っ掛けて、
潰れたような歪んだ家の中に、地べたに直に藁をばらばら敷いて、
父母は枕の方に、妻子は足元に自分を取り囲んで嘆いている。
かまどには火の気もなく、甑には蜘蛛の巣がかかり、飯を炊くことも忘れている。
ぬえ鳥のような細々と弱々しい声をあげていると、
「特別に短い木の端をさらに切る」という例えのように、鞭をかざす里長の声が、寝所の戸口までやって来て呼び立てる。
こんなにもどうしようもないものなのか、世の中を生きていくということは。

世の中を辛い、身も細るようだと思うけれども、飛び立つことは無い。鳥ではないのだから。


※現代語訳は角川ソフィア文庫の「ビギナーズクラシック 日本の古典 万葉集」を参考にさせて頂きました。


かなり長くなってしまいましたが、
以上が歌の後半、答えの部分です。

昨日の問いかけの人物の生活より、
どうしようもないくらい貧乏な生活をしています。
想像するだけで辛い……

奈良時代、東国の農民はまだ半地下の竪穴式住居をしている人がほとんどでした。

農耕技術も発達していないこの時代に、
租庸調(そようちょう)という3種類の税
(お米、布もしくは都でのタダ働き、地方の特産品)を
国に納めないといけなかったし、
防人に任じられたら自費で九州まで行かないといけませんでした。
その間も租庸調の税は免除されません。

家族も抱え、こんなんじゃまともな生活は出来ませんよね。

搾り取るだけ搾り取られて、
最後にトドメを刺すように里長(さとおさ)が登場します。
さらに労役を課そうというのでしょうか。

この時代は律令制だったので、
家五十戸を一里とし、里長を一人置くことが決められていたようです。


この歌の中の
「短き物を 端切ると いへるがごとく」
(特別に短い木の端をさらに切るというように)
の部分は、何もかも取り上げられる悲惨さを表す秀逸な例えだと思いました。

お米を炊くための釜には蜘蛛の巣が張り、火も途絶えてしまった。
ぼれ切れをまとった家族だけ身を寄せあって生きています。

それでも、
この歌の男性は自分が人間に生まれたことについて、ちゃんと向き合っています。

最後の短歌がそれを代弁していて、
自分は人間であって鳥ではないから飛び立って逃げはしないと言っています。
戦う力も逃げる力もない、ただひたすら土の上で生きることを決めた人間の底知れぬ強さを思わせてくれる歌です。



私が社会の授業で習ったのはこの答えの部分でした。
あまりの悲惨さに脳裏に焼き付いたんですね😢

子どもの頃は悲惨としか思わなかったけど、
まあ本当に酷い状況だけど、大人になって再び読むと人間の強さを感じることが出来ました。

私たちのご先祖様はこんな、
苦労という言葉では表せないほどの苦労を重ねて、今に至るまで血を繋いでくれたと思うと本当に感謝と労わりの想いを抱かずにいられません。

ここまで、
長文を読んで頂きありがとうございました。
よろしければまた遊びにきて下さいね。
それでは!


22/11/20   まりも

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