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民藝運動から考える、現代における道具との向き合い方 1/3

こんにちは、「道具へのカンシャ」が芽生える体験を届けるライフスタイルブランドlilo(リロ)を運営する古谷です。

今回は、大正時代に起こった民藝運動について、そしてそこから考える現代における道具との向き合い方について、3回に分けて書いていきたいと思います。

日用品の中に美を見出した民藝運動

まずは民藝運動とは何か、時代背景とともになぞっていきましょう。

民藝運動とは、今から約100年前の大正時代に思想家・柳宗悦(やなぎむねよし)を中心に、陶芸家・濱田庄司、河井寛次郎の3人が提唱した運動で、今までにない”新しい美の価値観”を提唱した出来事と言われています。

ここからは鬼滅の刃の世界観を頭に思い浮かべながら読み進めていただけると、わかりやすいと思います。鬼滅の刃が描かれている世界がちょうど大正時代なのです(見ていない方は、検索していただき画像で街の雰囲気だけでも見てみてくださいね)。

大正時代からさらに50年遡った明治時代初期の日本では、文明開花の流れで急速な西欧化が進み、日本古来の生活文化を排除、西欧の生活スタイルへのシフトが半ば強引に国家主導で行われていきました。代表的なものとして鉄道や郵便、レンガ造りの建物などがこの時代に登場します。その裏には、当時のヨーロッパ諸国が積極的に近隣のアジア諸国を植民地化していたことへの危機感があったようですね。今の日本のままでは危ない!そう感じた日本政府は先進国である西洋諸国のスタイルを取り入れ、国力のアップを図るために西欧化を進めたわけです。

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引用:https://smtrc.jp/town-archives/city/kanda/p03.html

※今からざっと150年前の東京の街並みです。洋風の建物の前には人力車が並んでいて、まさに転換期にあると言う印象の一枚です。

そんな流れがあって約50年後、大正時代に入ります。都市部を中心に西欧化が定着し、ガス、電気、水道の普及、洋服やラジオ、食べ物ではカレーライスなどが楽しまれていました。鬼滅の刃でも、タクシーや路面電車が描かれたシーンが出てきますね。また、戦争の影響もあり輸出産業の大好況で急速に近代化が進み、大量生産品が一般市民にも行き渡りました。西洋風のライフスタイルが完全に日本に溶け込んだ時代です。

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引用:https://tripeditor.com/12628

※モダンガール、ボーイ(モガ、モボ)と呼ばれる西洋文化を取り入れた最先端のファッション、ライフスタイルに身を包んだ若者が出現します。いやあ、おしゃれですね。

別の捉え方をすると、明治〜大正時代は都市部を中心に日本古来のモノの価値がどんどん失われていき、忘れ去られていった時代でもあるのです。美しいモノ=西洋的な華やかで派手なモノといった価値観がスタンダードになりました。日本の昔から伝わる生活の道具たちの価値は全くといっていいほど無くなっていったわけです。

しかし地方に目をやると、まだまだ日本古来の暮らしをし、伝統的な道具を生み出し続けている作り手がたくさんいました。都市部の生活と地方の生活スタイルが全く違ったわけです。ここまでで、大正時代のリアルな日本の生活がどういったものか見てきました。

民藝運動の説明に入る前に!当時の社会情勢について軽く触れておきます。民藝運動が起きる大正時代、西洋化が急激に進んてきましたがこれは国家主導のものでした。そして、軍部が政治の実権を握っていた時代でもあります(国のトップのはずの内閣総理大臣を軍部の一声で辞任させられるほど。今では想像できないですよね)。

詳しく書くと長く長くなってしまうため、割愛します。とにかく軍が力を持って、民衆に圧力がかかっていた。それに反発するように”自由”を求める機運が高まります。有名な大正デモクラシーです。大正デモクラシーの風潮は政治だけでなく、芸術の分野にも影響を与えます。これ以前の芸術とは高貴なもので、作り手も見る側もエリート層のものでした。必然的に民衆とは縁遠いものだったのです。そこに自由の風が吹き込んできたわけです。大正時代は非常に前衛的なアートが次々と生まれた時代でもあったのです。

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引用:http://www.pref.nara.jp/16585.htm

※日本の前衛美術のさきがけ、1920年の普門暁の作品です。100年前の作品とは思えない色遣いで、デジタルアートのような質感ですね。

先に書いた通り、近代化&大量生産品の台頭で日本の工芸品が価値を失っていた中、芸術にも自由の風が吹いていました。この流れの中で、エリート層で西洋近代美術を生業としていた柳宗悦(やなぎむねよし)が声をあげます。非常に広い視野と”直感”を重視する思想をもった柳は、とあることがきっかけで朝鮮の焼き物の壺を見た瞬間、その美しさに心を奪われたのでした。

ここが一つの大きなターニングポイントになります。

その壺は高貴な美術品ではなく、朝鮮で日常的に使われていた工芸品だったのです。美術品ではない、今まで価値がないとされていた日常で使われる道具のなかに美が見い出された瞬間でした。その後、柳は日本のさまざまなところに出向き、失われつつある工芸品を拾い集め、その価値を世の中に訴えかけます。美しいもの=西洋的な華やかで派手なものという今までの概念を覆す提唱。日常で使われる道具の中にこそ美を見い出す。それこそが ”民藝運動” なのです。

エリートが作り出し、エリートが楽しむ物であった芸術に、民衆の作り出す工芸品と言う真逆のものをぶつけてきたわけです。かっこいいですよね。今では民藝運動なしには存続していなかったであろうと言われる工芸品が、日本各地にたくさんあるのです。

まとめ

今回は、柳宗悦の提唱した民藝運動の時代背景についてなぞっていきました。今まで「民藝運動」という言葉は聞いたことあるけど詳しくは知らなかったという方にとっては、民藝運動がどういったものかざっくり理解できたのではないでしょうか。次回以降は、民藝運動をさらに詳しく紐解き、現代における道具への向き合い方を私なりに考察してみたいと思います。

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