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私は小説を読まないようにしている

私は小説を読まないようにしている。小説が嫌いなのではない。生活に支障をきたすので、やむを得ず自制しているのである。

思い返すと、私は幼少のころから読書の習慣をしっかりとつけてもらっていた。家にはたくさんの本があったうえに、物心ついたころには母が毎晩数冊の絵本を読んでくれていた。今でも、実家には大量の絵本がそのまま大事に保管されている。

小学生になる頃には、絵本ではなく活字の小説を読んでもらうようになった。アンデルセンやグリムの童話全集、千夜一夜物語、ギリシア神話等、子供用にアレンジされた絵本ではなく、分厚いハードカバーの全集を、夜な夜な母に音読してもらっていた。自分では読めなくとも、朗読として聞くのは難しくないし、少し難しい言葉が出てきても母にすぐ聞けばいい。一緒に活字を目で追っているので自然と漢字も覚えるし、語彙も増えた。

中でも、ハリー・ポッターシリーズを読んでもらったのが印象深い。小学校低学年の少女が一人で読むには難しい本だったが、毎晩少しずつ母に読んでもらったので問題なかった。ハリーポッターを読んでもらう夜は、10歳、第4巻の『炎のゴブレット』まで続いた。(10歳の時に、インフルエンザで寝込み、その時に初めて自分で第5巻を読破したと記憶している)

こうして、活字を読むことへの抵抗感を持つことなく、いつの間にかよく小説を読む子供が出来上がった。ジャンルを問わず、目についた小説は割となんでも読んだが、私の中にも多少ブームがあるようで、例えば、中学1年生の時に、かつて”鉄ちゃん”(=鉄道オタク)だった父とひょんなことから時刻表の話になり、それから派生して松本清張の『点と線』を読み、その後一気に学校の図書室にある松本清張をすべて読んだりしていた。念のため補足すると、『点と線』は東京駅の列車時刻表がカギになる推理小説である。

因みに、ドラマ化で話題になった本にはあまり興味がなく(というか、私はドラマを見るのが得意ではないのである)、ベストセラーになった本、例えば東野圭吾の『容疑者Xの献身』等もブームが落ち着いた数年後、図書館の片隅にポツンと置かれたものを見つけて読んだ。流行りの本を読まないのは、ティーンズ特有の社会への抵抗か、はたまた流行りへのアンテナが鈍いのか、、、自分でもよくわからないが、図書館や本屋さんを気ままに歩き回って、その時目についた本を読むことが多かった。

そして今、私はなるべく小説を読まないようにしている。この自制心は大学生頃から、かれこれ5年ほど続いている。大人になってきて、小説を読んでしまうと日常生活に支障をきたす、ということが明らかになったからである。

例えば、映画館で映画を見る時のことを想像するとわかりやすいと思う。映画を見終わった後の足取りは、何だかふわふわしていて、映画館を出て街の喧騒に戻ると、自分の心持ちと外界のギャップに、眩暈がするような感覚を覚えたことはないだろうか。映画の世界観が体から抜けきっていない、余韻を抱えながら現実世界に強制的に身を置く、そうした違和感がある。

私は小説を読む時、この感覚をとても強く感じる。目や耳を刺激してくる映画よりも、小説は脳内に直接語りかけてくる分、私はその世界観で頭がばっちり埋め尽くされる。現実への復帰が映画より難しく、読み終わった後はしばらく頭が働かず、ボーっとしたくなる。そのような訳で、読んでいる小説を中断するのも苦手で、おまけに続きが気になってしまうものだから、トイレを我慢するし、夜更かしをするし、電車を降り忘れそうになる。そうすると、隙間時間に小説を読む、ということが上手くできないのである。

子供の頃からこの片鱗はあった。休み時間に読んでいた小説の続きが気になって、授業を聞かずにずっと読んでいたこともあった。ただ、どうも学校というのは、内職したりおしゃべりをすることと違って、本を読んでいることには寛容で、咎められることが少なかった気がする。

大人になるとそういうわけにはいかない。1時間仕事をさぼったら、大量のメールとチャットが来ている。1時間コンロから目を離したら、お鍋のスープやフライパンのお肉が焦げ付いてしまう。友達との約束に遅刻しそうになったのも1度や2度ではない。

先日も、夫に勧められてうっかり手を出した三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズに囚われてしまい、2~3日で既刊10冊程度を一気に読んでしまった。忙しくない時期だったからよかったものの、仕事は手につかないし、食事も適当に済ますし、脳内はあの世界観にどっぷり浸かってしまっていた。

というわけで、今はもっぱらエッセイや哲学書(まあこれは哲学徒であったから当然であるが)を中心に読むことを心掛けている。短編であることが多いエッセイは隙間時間に最適であるし、哲学書は難解で一気に読むものでもない。小説を読むのは、仕事を片付け、家事を済ませて、トイレが近くにあり、簡単につまめる食事とコーヒーを手元に用意した後、翌朝の予定がタイトではないときだけなのである。


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