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悪阻になってみて

ここ数か月、Noteを更新できなかった。この度妊娠が分かり、悪阻で日々をやり過ごすのに精いっぱいだったためである。一般的に悪阻が収まると言われる時期を過ぎで大分経つ今もなお、気持ち悪さや胃もたれ、貧血に悩まされ、日によっては使い物にならない。しかし、生まれてこのかた大病をしたことがなく、インフルエンザも3日程度で回復する健康体の私にとって、数か月にわたるガチの体調不良は初めての経験だったので、記憶が薄れないうちにこの体験を書き残しておこうかなと思っている。

振り返れば私の悪阻は二波あったように思う。妊娠6週くらいの頃からすでに悪阻の兆候はあったが、第一波は8~11週くらいの時。鼻が敏感になり、常に胃を持ち上げられてこねくり回されているような気持ち悪さで起き上るのがしんどくなった。

特に午前中は体を縦にするのが辛く、ゼリー飲料で水分不足を補いながら耐えた。午後になると多少動けるようになるのがありがたかったが、少し何かお腹に入れるとまた気持ち悪くなる。眠っている間が一番穏やかな時間だった。妊娠10週の時が最も起き上がれず、仕事が落ち着いている時期だったので、上長と相談して1週間有休をとってやり過ごした。

このゼリー飲料生活のせいなのか、このころからお腹が緩く、常に下している状況に陥ってしまった。ただ、吐くことが少なかったので、体重が落ちることはなく、体力の消耗も少なかったように思う。

また、悪阻で匂いに敏感になるというのは良く聞く話だが、本当にびっくりするくらい匂いに敏感になった。特に、飼い猫の餌の匂いがダメになり、給餌器の置いてあるリビングに居られなかったのはきつかった。食べ物の趣向も変わるというが、ごま油や紫蘇といった香りの豊かなものが食べられなくなるだけでなく、生野菜、麦茶といった癖のないものですら無理になった。その癖にハンバーガーは食べられた。食べられるものと食べられないものの違いは理屈ではなかった。

妊娠11週の後半ごろから、匂いに敏感だったのが落ち着いてきて、身体を起こしているのもだいぶ楽になった。悪阻のピークを過ぎたのだと喜んだ私は、白米や素麺を食べるようになった。

そして、このまま食べられるものが増えるかなと三食固形物を食べ始めた矢先、忘れもしない13週と2日、何を食べても吐く悪阻第二波がやってきたのである。

吐くという行為は体力をかなり持っていかれる。正直なところ、第一波とは比べ物にならないくらい第二波がきつかった。

私の場合、食べた矢先に吐くのではなく、食後すぐはただただ気持ち悪くて動けず、食後2,3時間たってようやく食べた物を全部戻す、という感じだった。食べてから吐くまでの時間が最もつらく、数時間たっても消化されなかった吐瀉物を便器の中に見る時は、やっと諸悪の根源が出ていってくれたというすっきりとした気分が大きかった。しかしそれも一瞬のことで、直ちに嘔吐のもたらす身体へのダメージでぐったりとなり、ゾンビのように布団に倒れこんでいた。

結構な頻度で吐く上に、吐くものがなくても吐き気があるので、私の喉は傷ついてしまい、この時期の吐瀉物は血が混じることが多かった。特に、フルーツシャーベットを食べた後やポカリスエットで水分補給した後の嘔吐は、喉が焼けるように痛んだ。酸味があるものや液状の物は、どうやら喉への負担が大きかったようで、私は吐きやすい食べ物を求めた。悪阻第一波の時からお世話になっていたゼリー飲料もやめた。

そして、どうやらパン類は比較的気持ち悪くなりにくく、また吐くときの喉へのダメージも少ないと気づいた。夫には毎日のようにコンビニのサンドイッチ、それも一番相性が良かったレタスハムサンドだけを買ってきてもらうようになった。この状況が妊娠16週くらいまで続いた。うちの子の身体はレタスハムサンドで形成されていると言っても過言ではないだろう。

結果的に、仕事を休んだ妊娠10週よりも、妊娠13~15週ごろが私の悪阻のピークだった気がする。加えて、そのころ仕事がとても忙しかったのも運が悪かった。ただ、コロナ以降在宅勤務が主流となっていたことは本当にありがたく、身なりがボロボロでも構わなかったし、しんどい時にはベッドから会議に出ることができたのは助かった。

しかし恐ろしいのは、私の悪阻は軽症な方だろうということである。極端な体重減少はなかったし、妊娠悪阻(にんしんおそ)で入院する事態にもならなかったからだ。

考えてみると、私の母は私を妊娠中、世界史の教師として教壇に立っていた。悪阻関係なく生まれるまでずっと気持ち悪かったし、学校で吐いたこともあると言っていた。元々貧血もちで私ほど健康体ではない母が、あの体調不良を抱えて仕事をしていたというのは、想像できなかった。
「よく働いていたね。私は在宅だったから何とかなったようなものなのに、通勤があってましてや立ち仕事だなんて、、、」
「休みを取る発想なんてなかったから。気合、かしらね。何とかしたのよねえ」
今ほど働き方の自由度もない、“24時間働けますか?”のドンピシャ世代である母の言葉に、私は尊敬を通り越して恐ろしさを感じた。ちなみに、母はその年の卒業生を送り出したタイミングで退職し、私を出産した。

そういえば、高校時代の親友の母親は、仕事が忙しくて流産してしまい、それをきっかけに専業主婦になって妊娠・出産に専念した、という話を何かの折に聞いたこともあった。

現代においても、働き方に制約のある職場は多いし、そもそも在宅勤務が不可能な職種も世の中には多いだろう。それについて良し悪しをとやかく言うつもりはない。ただ、妊娠・出産に限らず、子育て、介護、様々な事情が発生した時、選択肢のある環境に身を置くことの重要性を改めて感じたし、結局のところ自分を守れるのは自分なのだなと思った次第である。

#エッセイ #悪阻 #つわり #妊娠 #働き方 #在宅勤務

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