見出し画像

母になった日

土曜日の夕方、急に破水して病院に行った私は、分娩台の上で「なんだかとんでもないことを始めてしまったな」と今更思っておりました。子供を持とうと夫婦で話し合ってから約1年、その内10ヶ月ほどは妊娠生活を送っていたにもかかわらず、やっと今更親になることの自覚が芽生えたようでした。

振り返ってみると、妊娠がわかった時も、悪阻の時も、胎動を感じるようになった時も、どこかふわふわした気持ちのまま、子供を産むことの重大さをあまり分かっていなかったと思います。計画無痛分娩を予定していたこともあり、分娩それ自体の大変さや身体的負担もあまり気にしていませんでした。まあ、結局急な破水だったので、普通分娩になったんですけどね…

夕方に入院してから日付が変わった頃、うつらうつらと寝落ちそうになったところに陣痛が来て、というサイクルを繰り返しながらいつのまにか夜が明けていました。もう眠いんだか痛いんだか、時間の感覚もよくわからなくなっています。おまけに少しの朝ごはんと水をとったところで、帝王切開の可能性から絶食を言い渡されてしまいました。でもまだ、痛みの合間に考え事をしたり家族にLINEをする余裕はありました。

昼近くになり陣痛が強くなってくると、もうのんびり思いを馳せる余裕もなくなってきていました。その時の私は、自らの手に負えない大いなる力に翻弄され、ただ痛みに体をよじることしかできませんでした。呪文のように「がんばれ、がんばれ」と唱えていたのを覚えています。これまで意識したことのなかった、繁殖という身体に備わった本来的な機能に振り回され、何が何だか、自分の体が自分のものではなくなってしまったような感覚でした。

夕方、入院から24時間、永遠にも思えた陣痛を経て嬰児がぬるりと滑り出た時に、漸く私はその胎で子供を育てていたことを実感し、母になるということを理解しました。
産声を聞きながら、酸欠の脳みそが母親の思考に切り替わっていくのをはっきり感じました。耳の奥では血流がだくだくと脈打っており、下半身は力んでいたせいで痙攣していましたが、不思議と頭は冴えていました。

「頑張ったね、やっと会えたね、こんにちは」
羊水と血でしっとりとした頭を撫で、ひと心地ついた時、私は全身の緊張感がやっと解けとてつもない達成感を感じたのでした。

#エッセイ #妊娠 #出産 #子供 #母親 #家族

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?