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Oh, mia vita

 今日で、9ヶ月の停学期間が終わる。そこで、僕はこれまでの人生を振り返ってみようと思う。普段は敬体で書いているが、今回は常体で失礼する。

義務教育期間

 平成のちょうど中頃、僕はとある地方都市の病院で産まれた。幼少期から英単語を憶えるなど、ちょっぴり高い知能の片鱗を見せていたという。しかし、どうやら沢山話す方ではなかったらしくそこは心配したらしい。思い返せば、幼い頃から重度の心配性で在り、やたらと強い正義感が有った気がする。それでも、ADHDの衝動性からか、僕は問題行動を度々起こしていた。
 昔は好きだった虫が段々と苦手になっていき、同年代の友達との心の距離が離れていった。それが、僕の背丈を示していた。小学二年か三年生のとき、僕には良い友人がいた。その友人ウチダは、のちに僕が診断される自閉スペクトラム症(ASD)で在ったと思う。こだわりが強く、そして異常に高い知能を有していた。故に、周りからは浮いており……というよりもはっきりと嫌われていた。しかし、周囲の人間で僕だけは彼を理解することができた。きっと似た者同士だったのだろう。違いと言えば、僕はある程度の年齢まではかなり顔立ちが整っていて、それで得をすることも多かったという点だろうか。それと学業の成績で言えば、小学生の頃の僕はそこまで良い成績を取っていなかった。宿題がどうしてもできなかったことや、授業に集中できなかったことが、理由に含まれる。これは典型的なADHDの症状だ。

不注意
・学業、仕事中に不注意な間違いが多い。
・課題や遊びの活動中に、注意を持続することが出来ない
・直接話しかけると聞いていないように見える。
・指示に従えず、業務をやり遂げることが出来ない
・課題や活動を順序立てることがむずかしい
・精神的努力の持続を要する課題を避ける、いやいや行う
・なくし物が多い
・他の刺激によって気が散りやすい
・日々の活動の中で忘れっぽい
多動・衝動性
・手足をそわそわ動かしたり、いすの上でもじもじする
・授業中に席を離れる
・不適切な状況で走り回ったり高いところに登ったりする
・静かに遊べない
・まるでエンジンで動かされているように行動する
・しゃべりすぎる
・質問が終わる前に出し抜けに答えてしまう
・順番を待てない
・他人の邪魔をする
出典:https://www.ncnp.go.jp/hospital/patient/disease07.html

 これらのうち6項目以上が見られ、それらが半年以上継続し、家庭や学校など2つ以上の環境で、生活や学業に悪影響を来しているときにはADHDの可能性があるとされる(17歳のときに受けたASRS検査でCutoff 値を超えている)。僕は小学生の頃から、症状が確実に発現していたのだ。
 ウチダと僕の会話は、とても小学生の……それも低学年の会話とは思えないものだった。とは言えど、僕はその当時その会話をハイレベルだと思ったことはなく、普通の会話だと捉えていた。内容としては、相対性理論やドイツの暗号機エニグマなどについて話していた。

 そんな、学校で最も話の合うウチダとも、中学校が別になったことで関係が途絶えてしまう(彼は私立の中学校に進学した)。中学校では、彼のような人物は見つからず、僕は自分を表現できないことに不満感が有った。友達がいなかったわけではなく、小学校の頃からやっていたスポーツを中学校の部活でも続けたことから、その仲間とは特に親しくなる。また、小学校のときとはかなり性格が変わっており、所謂陰キャになっていた。嫌われ者の友達と比較すれば、社会的には(この社会というのも小さなものだが)マシになったというべきだろう。中学校でも多少のトラブルはあったものの、この時期は割と落ち着いて過ごせていたと思う。

 しかし、中学校三年生のとき、僕は起立性調節障害を発症する(同時に過敏性腸症候群も発症している)。朝が起きられなくなり、生活リズムが崩壊した。これは身体の成長の不整合と共に、心的な理由も有ったのだと思う。授業前後の号令で立ち上がった時に、すっと血が抜けたような感覚になり、目の前が真っ暗になって倒れてしまうということも、季節が秋になるのに従って増えていった。二年生のときには最高で4位を取っていた成績も、段々と下落していき、一度は五教科の点数が370点を下回った。これは、家で全く勉強せず授業への依存度が高かったからだと思われる。この頃には、授業を集中して受けるということができていたのだ。中学校では、友人たちとの幸福によって、それが支えられていた。同じ部活だった最高の仲間たちや、一年生のときに特に親しく今でも交友の有るアオイやタナカ……この場で彼らに感謝を伝えたい。有難う。
 しかし、授業への依存度が高いとなると、起立性調節障害の症状が重くなるに従い授業に出られなくなった途端に、成績が悪化した。一時期は県内トップレベルの県立高校を勧められる程だったのが、最終的には自称進学校のレベルまで下がっていた。勉強を一切しなかったのも悪いと思うが、当時はひたすらに自分の病気を恨んだ。

自称進時代

 総合して30分にも及ぶ受験勉強の末、僕は偏差値62の高校へと進学した。受験の前日は、買ってもらったばかりのスマホを弄り回し、Twitterにアカウントを作っていた。第一志望だったトップ校を早々に諦め、ノー勉で受かる高校を選んだ人間の末路がこれで在る。しかし、新しい環境というものに刺激を受け、入学前課題は数学のみだがちゃんとやるという偉業を成し遂げた。これは以前までの僕では考えられないことだった。数学は一番の苦手教科だったからである。数学というのは、勉強の成果が最も素直に表れてくれる教科だと思う。それ故に、一切勉強をしなかった僕には困難なものだった。しかし、授業で理解できなかったことは殆どなく、嫌いな教科ではなかった。だからこの奇跡が生まれたのだろう。

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