『余白』 午前8時の女の独白

下記は、以前上演した『余白』より、一部を抜粋したものです。午前6時から午後6時まで、2時間ごとに朝を迎えるそれぞれの女たちの独白を、毎日ひとつずつ、その時間に投稿します(〜7/27)

午前8時に目が覚めると、もうすでにリビングでは複数人の話し声がしていて、慌ててパジャマを布団の中に引き込む。朝早い来客というより、招き入れてしまったこの家が恨めしい。そうして寝ている自分の姿を晒してしまったことが恥ずかしくなって、わたしはベッドの上で出来るだけひらぺったく息を殺し、じっと身を潜めている。かすかに包丁がまな板を叩く音とやかんが吹く音が聞こえて、初めてそれがテレビのニュースの音だと気付く。予想していたより更に多くの人がこの時間より早く起きていると知る。

「はーい」

たった今起きた私は壁にかけてあるお決まりの制服をはおって食卓について、ご飯とお味噌汁とお魚をほおばっている。最新の炊飯器に変えたから、うちのお米はふわっとして美味しいらしいと聞いたけど、他の家と比べることもないし、毎日食べているお米に美味しいも美味しくないも分からなかった。もし分かったとして、朝に最上のものを食べていたら、これから先、何にも感動しないような気がする。美味しさなんて相対的な図り方、育った家によって違ってしまうという記事を読んでから、わたしは何を信じて良いか分からない。とりあえず、これがうちの朝なのだということだけ。


こんな朝なんて誰にでもあるのだろうなあと、ふと視線を落として紺のスカートに包まれたのを見る。白の上着は世の中から浮いているような気がして、直視できない。白い部分だけ自分が打ち消されているようなふわふわした気分、それが特に気持ちいいわけでなく、ただ自分じゃない誰かを想定して着せられているような背徳観。わたしは理想には程遠い。けれど、この制服から生まれるある程度の安心感には抵抗できない。

わたしの起きる前から朝は始まっていて、わたしは始まりそびれたというか、すでに出遅れている。変わることのない朝は変わることない夜を迎えるだろう。という、これは予言でもなんでもなくて、ただみんな学校の規律に従っているだけ。みんなって、実際思い浮かべると3人もいないんだっけ。この生活リズムは効率がよくて無駄がない。人の一生はある程度統計が押さえられていて、これから先80年生きるのにいくら必要なのか大体分かっている。80年もないか。16年の月日がわたしに何をもたらしたかといえば、まわりまわるお金の消費で、わたしはこのままベルトコンベア式に流されていく。今日は晴れのち曇り。降水確率は30パーセント。念のため傘を持つようにピンク色のカーディガンを着た女の人が笑って言う。きっと今から家を出る誰しもの鞄に折りたたみの傘が入っているのだろう。まだ雨は見えない。

雨は見えないけれど、雨が降るのが何となく分かるという人が羨ましい。気圧が下がってきているのを、その人は体調で察することが出来るらしい。降り始めのぽつぽつとした雨さえも気付かないわたしは誰かの予測を疑うことを許されない。予測するのは起きるのが早い人たちだから。今日の朝ご飯も天気も事件も、全てはわたしが起きる前に誰かが回していて、わたしは自分の愚鈍さのせいで予測される対象になる。それは誰かの理想なのかもしれないけど。目覚ましを止め、制服を着て、ご飯とお味噌汁とお魚を食べて、忙しささえ感じられず、わたしはあれよあれよと電車で運ばれていく数分後のわたしを横目で見ることができる。今は、未来へ続くための瞬間であって、さほど考えることはないみたいに、横へ横へ流されて流しに食器が置かれる。

「今日学校でパン買うから。いらない、だって降りそうじゃないし。置いてくって、自分で洗うから」

雑音にほだされてわたしは家を出る。

「いってきます」

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