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<ナンバーナイン>原田マハさんの小説

一気に読んだ。だいぶ前の作品なので、当時の原田マハさんはこういう感じだったんだな〜と思いながら。作風というか、雰囲気というか、やっぱりちょっとずつ変わっていくし、どの時が良いとかではなく。

作中に中国のコンテンポラリーアーティストたちの名前が出てくる。張暁剛、林天苗などなど・・・知ってる人たちが数人いて、読みながらニヤニヤしてしまった。大学院に通っていた頃は、中国のコンテンポラリー作品が一気に花開いた時期だったんだと思う。私は中国人コミュニティーにしか生きていなかったし世間知らずの学生だったので、諸外国のバイヤーたちがなぜ彼らの作品を買っていこうとするのか、全く理解できていなかった。有名になったアーティストもいるし、そうでない人も沢山知っている。覚えているのは、ロックやっていたはずなのに、いつのまにか芸術家のマネージメントのような事をやるようになった老黄(黄燎原)がボロボロのTシャツにモスグリーンの人民服のようなズボンを履き、布靴に肩から布製の袋をかけて現れ、アーティストたちと”大量の”タバコを吸いながらあそこの美術館がどうだとか、ヨーロッパのバイヤーが来るとかわいわい話している姿や、そのアーティストたちのガールフレンド達は皆民族舞踊などのダンサーだった事。年齢も皆10歳以上離れていて、ダンサー達は美人でスタイルがものすごく良かった事を覚えている。

今みんなどうしているんだろう。

老黄や張暁剛たちは、いつも大勢で集まっては食事に行っていた。中国人って、何故だか大勢で食事をすることを好むし、大勢の中には知らない人がいつも混じっていた。私も最初はその知らない人の一人だったのだろう。次第に打ち解けていくうちにその大勢の数名が連絡先など聞いてくれ、そうなると毎回連絡がくるようになり、貧乏学生でも美味しいご飯にありつけるようになった。ドラマの監督や映画監督、音響や照明をやっている人、助監督、美術関係者などなど、毎回色んな人たちが加わった。正直、毎回知らない人ばかりなので名前も顔も覚えないようにしていた。でも私は日本人なのでどうしても目立ってしまって、いつも二度目に会った時に苦笑いだった。

上述のダンサーたち。話に聞くと、大体民族舞踊などのダンサーだった。背も高く、美人揃いで、男性陣が仕事の話か何かをしている間は少し離れたところに集まりトランプゲームをやっていた。私はコンテンポラリーダンスを習っていたので当時の中国では珍しく、おかげで可愛がってもらった。「コンテンポラリー」が流行りだした頃だったんだろう、美術もダンスも。

私はその大勢グループの中でも一番年下だった。美人ダンサー達よりも年下だったし、言葉はそれほど出来なかったし、きっと大勢で行動する彼らにとっては、そんな人が一人増えようが減ろうがどちらでも良かったのだろうなと、今になって思う。ただ、一端の大人っぽい事は言っていた。「なぜ西洋人に迎合するような物ばかり描いてるの!?」とか。私は中国人コミュニティーの中で生きてきた、国籍などはほとんど気にしていなかった。ただ、育ったり学習する環境は中国だったので、影響を受けている事は否めない。当時の私は、西洋人の哀れみを乞うような作品やエキゾチズムだけの作品は「大嫌い!」と言い放っていた。むしろ思想の上で西洋人と対等に立つべきだ!そこから作品を作り出すべきだ!とか偉そうに言っていたw

美味しいご飯をいつもいつも食べさせてもらっていたのに、今思うとやっぱり中国人は懐が広い・・・。あの時はすみませんでしたw

そうこうしているうちに、哀れみを乞うどころか、彼らはいつの間にか年に数回ヨーロッパツアーをして、ヨーロッパ各国からアート作品を買い付けては中国に持って帰り、コレクションするようになっていたんだから、彼らもちゃんと考えていたのだよと、あの頃の私に言ってあげたい。

そんな事を思い出しつつ読んだナンバーナインでした。ネタバレしたくないのだけど、どうしても言いたいのは、小説中に出てくる超金持ちの中国人男性が、何故だかCOTENラジオのヤンヤンさんに思えてしまって・・・私の脳裏ですべてのシーンがヤンヤンさんで再現されてしまった。私のCOTENラジオ愛にも気付かされました。

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