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【中国留学】 LIVE講義の全貌

前回の記事で、疫情により半ば強制帰国となった留学生(私)について書いたのだが、オンラインでは未だ留学継続中だ。
今回はその中でもLIVE受講について書く。

※つい見出しの主語を大きくしてしまいましたが、超個人的な経験談です。あしからず。

在宅で継続中の留学はこのように進められている。(再掲)
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  ①録画済み動画を視聴 ⏯
  ②事前課題を提出 📝
  ③LIVE受講 🖥
  ④事後課題を提出 📝
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アプリは何を使うの?

基本的には ZOOM を使う。これは日本の多くの大学と同じようだ。
講義内で、スレスレを攻めるなあと思われる内容に触れても、今まで特にシステムに支障があったことはない。

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最初の試行錯誤期間は 企业微信 なども使っていたが、音声の明瞭さや通信上の都合などから結局zoomでやりましょうということになった。

日本の大学のオンライン授業を受講している友人の話を聞くと、zoom等を使った講義は、ビデオオンの場合が多いように思う。
しかし私の場合、一度もビデオをオンにしたことがない。
個人的にはオフの方が集中できるので良い。

ただ、同学(クラスメイト)の顔がわからない。先生の顔も見たことがない(WeChatのトプ画だけ拝見した)。
せっかくの留学なのにやっぱりそれではザンネンだということになり、
”放課後”にHousepartyというアプリで同学たちとTV通話をした。通話機能だけではなく、レクのオプションがあって盛り上がる。

また、授業内で Kahoot! というアプリが使われたこともあった。これについては次の章を見ていただきたい。

ついでに言うと、授業ではないが友人と話すときは Google Meet を使うときもある。無料でも時間制限がないのが利点だ。
ちなみに彼らとは 谁是卧底^^(Undercover) を使うことも。言語練習にはもってこいのゲームアプリである。

その他にもいろいろ使っているのだがキリがないのでそろそろ次に。

受講の流れ

WeChat上にその講義に出席する学生と先生のグループチャットがあり、授業開始直前にzoomのリンクが貼られる。これは中国特有かもしれない。
一般的にはメールやHPなどでお知らせされると聞くが、それに比べて簡便だ。
チャット内では質問も随時可能で、とても便利だ。

教科書や資料はあらかじめPDFで配布されるので、各自PC上で書き込んだり、印刷したりして準備する。

基本的にはzoomの「画面共有」にて、先生のwordが黒板とされる。
また、オンライン上の資料を使う時は、それがそのままプロジェクターにもなる。
場合によって、先ほど述べたWeChatのグループチャットを併用することも。

先生陣はあの手この手でマンネリを打破してくれる。
例えば、先にも少し触れたが、前回の内容を復習する際に Kahoot!というアプリを使いクイズバトル形式で行ったこともあった。

そして、グループディスカッションをする際には、zoom内で小グループに分かれて行う。先生はいくつかのグループのルームを巡るかたちで出たり入ったりする。私が冷や汗をかきつつ(緊張) 意を決して話しているときには、なぜか先生はなかなか入ってこない。それどころか、沈黙を狙ってきているんじゃないかとすら思うくらい、ある意味タイミングが素晴らしい。
あえて何とかしてほしいところを挙げるとすれば、そのくらいだ。

授業後、例のWeChatのグループチャットで”黒板”が共有される。
書き漏らしをすることがないのでとても助かっている。

とはいっても、やはりデメリットもある。

▶︎雑音問題

”教室に入る”と、まずマイクとカメラがオフになっているかを確認する。
カメラがオフなので、寝転がりながら受講したり、途中退席したりなんかも自由といえば自由だ。
指名されたときに、すぐに戻って答えられるならば、だが。

最初のうちは全員マイクをオンにしており、他の学生の頷きなどの反応も聞こえたが、いかんせん雑音が多かった。
以後、先生の声のみ聞こえるよう、オフに。自分が発言するときのみ、マイクをオンにする。

先生は、学生の反応が殆どない中、話し続ける。
いわばPCに向かって ひとりリサイタル をするようなものである。
ジャイアンじゃあるまいし、非常にメンタルがやられそうだ。もはや聞いているこっちの心が痛む。

リアルの教室内では、隣の学生に気づいたことをすぐ言ってみたりできたが、オンラインとなると
【全員が】【同時に】【一つの話題を】【一方向的な流れの中で】
共有しなければならない。明らかに一点過集中である。

複数の人が発言すると何言ってんだかワケわからなくなるので、一人ずつ話す。【students⇄a teacher】ではなく、【a studenta teacher】といったやりとりを繰り返してゆくしかない。

▶︎時差問題

多くの留学生は世界各地の郷里に帰っているようだが、授業はもちろん北京時間だ。

私の場合は時差が1時間しかなく特に不便はないのだが、ヨーロッパから受講している友人はいつもまだ眠そうだ。メキシコに住む友人は、夜中に受講するしかないとも言っていた。
私が夕暮れ時に”教室に入る”一方、画面越しに小鳥のさえずりがチュンチュン聞こえてくると、不思議な感覚になる。私が放課後すぐに夕食をとるとき、彼らはブランチの支度をする。
まるで谷川俊太郎さんの「朝のリレー」を彷彿とさせるような、、、

あらなんだかロマンチック、とつい詩的な気分になってしまったが、当の彼らにとっては一苦労だ。米国の留学先がオンライン受講を提供するが、今は日本におり時差が原因で諦めたという友人もいる。

オンラインの利点は「いつでもどこでも」だが、時間的制約を受けるとその前者が失われる。しかし、両者とも維持しようと、録画済み動画の視聴だけにしようものなら「留学って一体…」となるだろう。便利とはいえ、やはりひずみは否めない。

▶︎音声のみ問題

先ほど、私はカメラオフの方が集中できると述べたが、これはただ先生の ひとりリサイタルを覗くパターンの場合であって、自分が発言するとなるとやはり緊張する。そのせいで、正直あまり人の話は聞いていない。「音声が途切れて聞こえませんでした、もう一回言ってください」なんて言って、しょっちゅう電波のせいにしている。最近は「ちょっとよくわからない」と言ったら、「Wi-Fi調子悪い?」とフォローされるようにまでなった。ちなみに自宅Wi-Fiルーターの側で受講している。

一人だけマイクをオンにして話す。
「距離」という空間的概念のないオンライン上では、音声は、顔の見えない全員に、均等に聞こえている。
先生のリサイタルだったはずなのに、マイクを渡され、かわって自分が舞台のセンターに一人おどり出るのだ。あるいは、自分でマイクを奪いにいかなくてはならない。盛り上げてくれるバックダンサーなぞ居やしない。
私にとってその舞台はどうしたって清水で、マイクをオンにしたが最後、発言を以て飛び降り、撃沈することはもはや茶飯事だ。
想像力のムダ使いだと嘲笑されるだろうけれども、本当にこれくらい緊張する。実際の教室で壇上に上がる方がまだマシだ。もともと私は一人リサイタルに出るような人間ではないのだ。

ただ発言をするだけならば、視線を気にせずメモ等も見られるのでオンラインはむしろやりやすいのだが、いかんせんジェスチャーがないので、ディスカッションのハードルは上がるように感じる。メッセージでテキストを打つにも逐一やってたら鐘がなるし、字幕オンにしたって自分だけ見えても仕方がない。

音声のみのオンラインと違って、面と向かって中国語で話すとき、
私は動作がウルサイと言われる。
口元なり眉毛なり手なりが、勝手に動いているのである。
ぶっちぎり劣等生(自分の能力の問題)の私にとって、表情も含め、非言語メッセージはかなり重要であった。
人生には、無くなってみてようやく大切さを感じることがよくあるという。私にとってそれはまさにそのような存在だった。恋しい。ジェスチャーが恋しい。

ところで、最近ローラさんが新ファッションブランドを立ち上げ話題となっている。VOGUEのインタビューにこのような文があった。(https://www.vogue.co.jp/change/article/rola-studio-r330)

日本に来たのが6歳くらいの時かな。その時の私はベンガル語しか話せなくて、コミュニケーションが全然できなくて。実は小学生での教育があんまり身についてない感覚があるの。ネガティブなことばっかりだったけど、今こうやって大人になって気づいたのは、逆に言葉が話せないからこそ、違う手段を使っていたんだなと思って。例えば手の動きや表情とか、心と心で伝えることを学んだのかもしれないと、なんとなく自分の中で思えるようになったけど。

まるで私もこのような壮絶な経験をしたかのように引用するのも失礼なのだが、彼女のこの感覚についてはわかった気がした。

今までの人生、ほとんど日本語を使って暮らしてきた私は、母語ではない環境で生きる人々の感覚は、机上のものでしかなかった。ただ、自分がそういった環境に置かれてみると、ようやく身を以て理解に近づけるように感じられる。

私は日本語を話す際もジェスチャーを使わないではないが、
日本語を話すときは主に感情のみを補助的に表すのに対して、
中国語を話すときは、多くの具体的な物事の説明をジェスチャーに頼る。
つまり後者は、「情」ではなく「理」の部分の表現における身体の役割が明らかに増大しているのである。

ちなみにこういった身体言語も、やはり個々人の文化的背景によってかなり特徴が異なり興味深かった。今度ネタ帳から引っぱり出してこよう。

実際そんなに変わらない?

「中国の〜」という見出しをつけておいて、なんだ日本の大学のオンライン授業とさして変わらないではないかという方もいらっしゃるかもしれない。
それならそれで、そういうもんだとご理解いただければ幸いである。
もし他に相違点や、受講にオススメのアプリ等があればぜひ教えていただきたい。
WeChatで同学にもシェアしてあげよう。

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