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古畑任三郎が声をあらげるとき

引き続き古畑任三郎三昧が続いています。残り少なくなってきて見終わるのがこわい。

今回見たのは第3シリーズ  #5 古い友人に会う

古畑任三郎が事件を未然に防ぐという、殺人の起こらない珍しいストーリーです。古畑の小学校時代の友達という設定の津川雅彦さんに事件を思いとどまらせるんです。こんな回があったんだなぁ。

とは言えいつものように謎解きをするわけですが、何かが違う。誰も死んでいないということ以外に何かが違う。

それは、古畑任三郎がどこで声をあらげているか、です。

いつもはもちろん、犯人にしか知りえない、またはなしえないことをぽろっと犯人が披露しちゃってる点、犯人の説明どおりだと矛盾が生じる点について、おかしいですね!!とたたみかけていくわけです。程度の差はあれ大体ここです。

ところが今回、古畑任三郎はおかしいと思った部分を話すときはかなり落ち着いて説明します。今わかってよかったよ、と諭すように。津川さんは観念します。そして、ちょっと席を外してほしいと言うのです。古畑は、彼は自殺する気だとすぐ気づきます。ここで!!声をあらげるんです!

死んではいけません!!

と!

これでわかりましたね。どこで古畑任三郎が感情を震わせるか。相手を黙らせてまでたたみかけて伝えたいものは何か。

それは、自分自身のことなめてんじゃないよ、ってこと


だと私は思う。たいていこのドラマの犯人は、殺人のために美点を汚すわけです。誇り高く生きていたり、矜持のある人も、それゆえに弱さや悔しさを受け入れられずに犯行に及んでしまう。罪を犯してまで守ろうとした自分の大事な部分を、自分が罪を犯すことで最も傷つけるという大矛盾をおこしてしまう。言い逃れをしようとすればするほど、自分を卑小なものにしてしまう。

そこに、古畑任三郎は、あなたやっちゃってますよ!とたたみかけるんです。あなたの面目をつぶしてるのあなたですよ!あなたがかわいそうですよ!これ以上傷つけますか!と、言っている、のではないか、と思うんです。

だから津川さんの犯行シナリオを暴いた時は落ち着いていた。犯行前だったから、そこには津川さんの弱さしかなくて、まだ津川さんの大事なところは傷つけられていなかった。そういう弱さは誰にでもあるんだと諭せば足りた。

でも、自殺となれば。自分のことを最大に傷つけて、自分の可能性を信じないことになる。だから、古畑任三郎は声をあらげたのだと思う。殺された人、殺した人をたくさん見てきた古畑任三郎にとって重要なことは、人がありのまま生きることそのもの、なんだと思う。

ちなみに古畑は津川さん演じる友人と特別仲が良かったわけではなく、彼のトリックのために呼ばれたという設定。友達だからというより、古畑任三郎の人への愛情ということだよね!!

もちろん現実の世界の殺人事件であてはまることじゃない。あくまでフィクションのドラマのメッセージとして、人は弱い、けどそれでいい、と古畑任三郎が言っているんじゃないかと思ったわけです。

これは、前にも書いたとおり、

三谷幸喜さんの意図を超えて、田村正和さんの力量だと思ってる。

古畑任三郎はものすごく面白い。そこは三谷幸喜さんの脚本の狙いだけど、全編通して古畑任三郎が訴え続けるもの、みたいなことは、三谷さんはあんまり意識してないんじゃないかと勝手に思っている。これは古畑任三郎が意思を持った1人の人間として存在すると視聴者が信じ切るところまで田村さんがお芝居をしているから、私が感じることなんじゃないかなぁ。田村正和様すごいよ!!やっぱり!

というわけで、今日の古畑任三郎の感想は、まさかの「自分を大事にしよう」です。ドラマも見返すと何があるかわからなくて面白いもんだ。







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