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フェリーに乗ってライラックを見に行く(3)

デラックスA和室

新潟港を離れた「らべんだあ」。
ジャンボフェリーのように爽やかなテーマソングがかかるでもなく、宮崎カーフェリーのように派手な汽笛が鳴るでもなく、かつての青函連絡船のように「別れのワルツ」やドラの音で盛り上げるでもなく、実に静かであっけない。阪九フェリーに乗った時も、レストランでカレーを食べているうちにいつしか船が動き始めていたと記憶している。

間髪入れずにレストランランチタイム営業開始の放送が入る。こちらも5分早く開けたらしい。空腹だし行ってみたいが、その前に部屋の設備を確認する。

救命胴衣は玄関脇の靴箱上に収納されている。ふすまを開けると畳部屋。

シンプルで落ち着く内装

障子を開け、さらに奥の襖を開けると船室窓が現れる構造。

北国めざして旅立つ船の

この写真で障子左側にあるスペースは船室外デッキへ通じる扉になっている。何か思い出すとしばし記憶の引き出しを探し、かつて幾度か宿泊した、湯の川温泉にあるホテルの露天風呂つき和室部屋と気づいた。好きな時好きなようにお湯につかりながら津軽海峡や大森浜を眺め、夜はイカ釣り漁船の灯りを数える体験は最高にすばらしかったが、その後リニューアルされてしまい、いかにも和室という感じではなくなった模様。ホテルのサイトを検索してみたらひとり旅では洋室しか予約できなくなっていた。淋しい。

今目の前にあるデッキは温泉どころか単なる青い鋼板。平日のお昼から旅ができるだけでも十分に恵まれていてありがたいと思うべきだろう。

団地ベランダのような隣室との仕切り板
地上側職員が手を振って見送ってくれた

床の間にはちょうどよい大きさの液晶テレビが置かれている。地上デジタルもそこそこ受信できる。もちろんBSも見られる。他に船舶現在位置案内兼新日本海フェリー広告専用チャンネルがある。「あおい」ではロビーにしか現在位置案内表示が設置されていないので重宝するが、BGMの音量が結構大きいので、チャンネルを合わせるたびにミュート操作が必要になる。

テレビの下には定番のお茶と湯飲み入れ、電気ケトル。ラベンダー色の袋にはドライヤーが入っている。ドライヤー本体はホワイトだった。

床の間まわり。これを撮影している時に船は港を離れた。
ドライヤー袋下には小さな鏡
現在位置案内画面。2種類の縮尺が交互に表示される。

写真にはおさめていないが、窓と反対側に押し入れがある。上段に布団や浴衣などの寝具、下段に冷蔵庫が収納されている。スペースの使い方としては賢く、私は感心したが、目立つように案内しないと気がつかないお客さんもいそう。冷蔵庫は既に電源が入っていて、コンビニで買ったおにぎりや飲み物を入れた。

ホテル客室定番のインフォメーションファイルもラベンダー色。おおよその航行時刻表がついていて、最近では珍しいレターセットもあった。

船内ご案内
通過時刻表

船のまわりには海鳥が舞う。乗船記によればかつては餌をやる乗客もいて、鳥のほうも格好の”レストラン”と認識して結構群がっていたそうだが最近はあまり餌にありつけないのか、数羽がはかなげに鳴くのみで、やがて去っていった。

港の関門を通過する時に右手から轟音が響き、飛行機が目の上を左へと横切った。近くの新潟空港を離陸した便で、JALのマークが目に入った。11時55分発伊丹行きJAL2244便と見られる。

レストラン ランチ編

施設・部屋見学をひと通り済ませていよいよレストランへ。窓辺の席は既に埋まっていて、内側の大きなテーブル座席に腰を下ろした。就航当初は阪九フェリー同様カフェテリア方式だったようだが、今はタブレット端末オーダーシステムを採用している。

オーダー用タブレット端末

「空席」の札を裏返すと赤で「食事中」と記されている。これを脇に置く。画面にタッチするとおすすめメニューが表示される。画面上方のタブは定食、単品、麺類、刺身、ご飯・味噌汁、アルコール類、デザートなどのカテゴリーに分けられていて、タッチすると各メニューが表示される。

「ご飯・味噌汁」カテゴリー画面

メニューの写真をタッチするたび、画面右側にオーダーリストが表示される。選択を終えたら左下の「注文」をタッチして確認画面に進む。

確認画面

複数個頼みたい場合は各メニュー右にある+-で数量を変更する。右下の「送信する」のタッチでオーダー終了。わりと早く届いた。

私と同世代以上の人はこの種の新システムにあからさまな拒絶反応を示すことが多いが、発音に障害を持つ私にとっては実にありがたい。小学生の頃からいつかこういう時代が来ないかしらとずっと願っていて、それがようやく形になった嬉しさをかみしめる。

ザンギ(鶏唐揚げ)をぜひいただきたかったが定食プレートはなぜか炒飯とのセットなので、単品の積み重ねで注文する。ファミリーレストランに行くと様々な組み合わせで何円プラス、何円マイナスと事細かくメニューに記されているが、船内では時間・スペースともに制約が多く対応しきれないのだろう。

ザンギ・白飯・お味噌汁

ザンギは揚げたてでサクサク。しょうが風味がやや強めの印象。ご飯は硬からず柔らからず。お味噌汁は温かい。十分においしかった。ごちそうさまでした。デザートは欲しいものが見当たらないのでパスした。食べ終えた食器やトレーはセルフ返却の必要がなく、そのまま置いて構わない。

食事を終えたらタブレット端末左のバーコードカードを取り、出口脇のセルフレジで支払う。バーコードを読み取らせるとレジの画面に支払い金額が表示される。硬貨は向かって右下の小さなベルトコンベアーに乗せる。紙幣は向かって左下に挿入する。おつりとレシートを受け取り、カードを回収箱に入れて終了。支払いは現金とクレジットカードのみで、「あおい」で採用している電子マネーには対応していない。陸地からやや離れた海域を通る航路なので致し方ないだろう。

食事の後はそれこそカツゲンなど乳酸菌飲料が欲しくなるが、ショップを覗いてもこれといったものが見当たらない。カフェ開店を待ってレモンソーダを注文した。船内セコマ(セイコーマート)があればいいのにと思いかける。

春から夏への

昼食を終えて甲板に出ると、航跡の彼方に新潟市の高い建物が小さく見えた。着実に歩みを進めているとわかる、船旅ならではのひと時を楽しむ。

朱鷺メッセや新潟日報メディアシップ、工場の煙突が見渡せる

進行左側と左後方に陸地が見える。前者は多分佐渡だろう。

まだ見ぬ佐渡か

ならば後者は能登半島だろうか。能登はかつて家族旅行で出かけたが、まだ旅の良さを理解できる年齢に達していなかったこともあり、父の怒声や嫌味だけが印象に残されている。その頃石川さゆりさんが歌う「能登半島」(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)がヒットしていた。有名な「津軽海峡・冬景色」に続けて発表した三連バラード。私はこちらのほうが好きで、今でもたまにキーボードでメロディーを弾く。父母と乗った北陸鉄道観光バスの男性ガイドさんがこの歌を器用に歌い、「これ、別に能登半島でなくてもいいんじゃないでしょうか。伊豆半島でも構わないですよね。」と笑いを取っていたことを思い出す。

春から夏への能登半島?

春から夏への能登半島~としゃれている場合ではない。能登は先日大きな地震に襲われたばかり。被災された方々の悲しさや怖さを思うとやりきれなくなる。

部屋に戻ると進行方向に粟島が近づいてきた。しばらくDDT(デジタルデトックスタイム)と見込んでいたが、粟島浦村の電波のおこぼれを頂戴する形で、地上デジタル放送もスマートフォンも結構良好に使えた。それも束の間、やがて携帯電波は届かなくなり、持参してきた文庫本に目を通した。

粟島が近づく

遠くにかすむ本州の山は朝日岳や月山だろうか。鳥海山は遠すぎるようで、私の目では認められなかった。

私はウォークマン世代に属する。今もデジタルウォークマンを愛用している。配信・サブスク、もしくはアナログ回帰の時代に何威張っているの?だろうが、オンライン環境から外れるフェリーの船室では最適。ここで聴きたかった曲はスラップスティックの「デッキ・チェア」(作詞:森雪之丞、作曲:大瀧詠一)。

スラップスティックとは1970年代末から1980年代にかけて活動した声優さんによるバンド。古谷徹さん、三ツ矢雄二さん、野島昭夫さん、古川登志夫さんなどが参加していた。

今のJ-POPシンガーにとってアニメ主題歌を任されることはステータスだが昔は逆で、人気の声優さんたちが「一般向けの音楽をやりたい!」と集まる時代だった。すぎやまこういちさん、加山雄三さん(弾厚作)など作曲陣もかなり豪華。

「デッキ・チェア」は長い船旅での妄想とオチをユーモラスに描く楽曲で、のんびりゆったりしたサウンドとアレンジが心地よい。この曲は後年別の詞がついて改題され、今でもその筋では結構有名な楽曲となっている。

前述した通りデラックスA和室デッキには何もないが、6階のスイートルームにはデッキ・チェアが置かれている。

レストラン ディナー編

年を取ると時間の経過が確かに早くなる。気がついたらレストランディナータイムの営業開始時刻が近づいていた。ランチはあえて軽めにしておいたので、オープン前に赴く。17時55分、今度も早めにドアが開いた。窓際席をキープする。

人が来る前に店内を記録

夕食のお目当てはビーフシチュー。新日本海フェリーファンに定評がある。サイドメニューとして冷ややっこを加えて注文した。

夕食の代表メニュー

送信から3分も経たないうちに到着。驚いたが、必ず誰かが注文するのであらかじめスタンバイしているのだろう。お肉はとてもよく煮込まれていておいしかった。ごちそうさまでした。「北斗星」に初めて乗車した際、食堂車でビーフシチューをいただいた経験を不意に思い出した。セイビシンカンセンッテイッタイナンナンダロウネ。

サラダも新鮮だった

動画サイトによると、新船当時はデミグラスソースをかけたカツライスを出していたらしい。今のご時世メニューの選択と集中はやむを得ないだろうが、知ると惜しくなる。

夕陽から夜へ

夕食を終えると程なく日没の時間。この日の日の入りは18時49分。船は既に男鹿半島沖を越えて、秋田県の五能線沿線沖合を航行している。五能線はほぼ海に面して線路が敷かれているが船は陸地から遠く、須磨のように線路や街灯りが見えるとはいかない。そもそも列車の本数は比較にもならない。岩木山の方角は既に闇が迫っていた。

東へ進むジャンボフェリーは夕陽に背を向ける形になり、金色に染まる航跡を空のテラスからずっと見ていられる。対して北へ進む新日本海フェリーでは夕陽を横に見る形になる。
西の空にはやや雲が出ていて、太陽は叢雲をかき分けるかのように水平線に近づき、日没時刻数分前に雲に隠れた。

水平線の向こうは異国

部屋に戻る。航行時刻表では青森県西津軽郡深浦町の艫作崎(へなしざき)沖を進むことになっているが、テレビは秋田県の放送を映している。電波が届かなくなり自動でチャンネルサーチを行い、なぜか山形県の放送が入った。

出港からおよそ7時間で本州から離れようとしている。が、到着までは9時間以上ある。すなわちまだ半分に達していない。津軽半島や北海道の大きさを改めて感じる。もっとも積丹半島の沖合を回り込むので、鉄道や飛行機の尺度で見てはいけないのだろう。

お風呂に入る。かなり小さい浴槽だがひょうたん型。脚は伸ばせないが、肩をふちにつけると心地よかった。お湯を張ってもあまり揺れていない。

ひょうたん型浴槽 ゆるく息する
19時23分 既に深夜の気配

5階の内側には安価な簡易寝台やコインランドリーなどがあり、夏は結構賑わう日もあるようだが今夜は静か。レストランやカフェ・ショップの閉店時間を案内する放送だけが長い廊下にこだまする。明日4時30分下船ならば3時30分には起床しなければならない。すなわちもう寝る準備をする時間である。船内は22時にほぼ完全消灯すると案内されている。

布団は3組あり、薄いマットレスを2枚重ねて敷きその上に身体を横たえる。船独特の右下方向に引っ張られるような力を感じるが、気分が悪くなるほどではない。

出港する際、船長が「今日は低気圧の影響で、この先波がやや高くなることが予想されます」と放送していた。プロの言うことを評するなど不遜の極みであるが、気象情報アプリによれば低気圧は三陸沖を本州から離れる方向に進んでいて、太平洋側はしけに近いが日本海側は穏やかなほう。言われるだけで気分が悪くなりそうという人もいるから、プロとして正確な情報であってもそれを乗客に伝えるかどうかは別問題かとも思う。

寝る前にテレビをつける。東京では「首都圏ニュース845」が放送される時間だが、「あっぷるワイド845」だった。すなわち青森県のニュースを取り扱っている。足摺岬のホテルで見た際も高知県のみのニュースだったことを思い出し、人口や街の規模を勘案すると首都圏や北海道より細かいニュースまで取り上げられるのではないかと思いつつ消灯した。

小樽上陸

目が覚める。まだ暗い。テレビで位置を確認するとまさに積丹半島の北端、神威岬沖を回ろうとしているところ。

2時50分

二度寝する。眠るでもなく覚醒しているでもなくをしばらく続け、再び目を覚まし障子を開けると明るくなりかけていた。3時20分起床、30分にセットしていたアラームをOFFにする。顔を洗い、冷蔵庫からおにぎりを出して朝食とする。食べている間、船内放送で「バタークロワッサンを焼いたので希望者は4階ロビーまでどうぞ」という案内が流れた。それから5分もしないうちに完売の放送。早朝とりあえず何かお腹に入れておきたいという需要は少なくないとみられる。裏メニュー的な扱いではなく、下船前の軽食サービスが正式にあってよいと思う。予約時申し込み制・繁忙期扱い中止にすれば十分対応できるだろう。

身なりを整えて甲板に出てみるとニシン漁伝説が残る祝津(しゅくつ)の岬がブルーグレーに浮かび上がっていた。空には雲が多いが、これから晴れていくと予報されている。

水曜の朝、午前4時
夜明けのヘリポート
行く手には灯りが残る小樽の街

部屋に戻る。布団を片付け荷物をまとめるうちに船は小樽に入港、長い下船通路が目に入った。身体の疲れや気分の悪さは感じられず安堵する。4時25分接岸、定刻に下船した。過去2回の長距離フェリーでは下船後もしばらく揺れが続いているかのような錯覚があったが、今回はそれもない。

小樽フェリーターミナル
下船通路

この時間、連絡バスは運転されていない。最寄りは小樽築港駅だが、隣の埠頭から船を撮影したいので南小樽駅を目指して歩き始める。フェリーターミナルの脇から太陽が顔をのぞかせた。

10時間ぶりに太陽と再会
航海を終えた「らべんだあ」

北一硝子や六花亭など有名企業のレンガ造り建屋が並ぶ広い道を5分ほど歩き、細い急坂を上がると南小樽駅に出た。

昔ながらのたたずまい

5時41分の始発滝川行きに乗車する。朝陽を受け始めた街の向こうにフェリーターミナルがちらりと見えた。列車は乳白色の海岸沿いを走る。銭函で海から離れて札幌市に入り、星置あたりから少しずつ乗客が増えてきた。

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