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ジャンボフェリー「あおい」に乗ろう!(6)神戸6:00発高松行き2便

ここからは私が乗船した「あおい」の各便について、旅行記も兼ねて紹介します。乗船する季節や時間帯によりそれぞれ印象が異なります。まず、神戸港を朝出発する高松行き2便から。

乗船ガイド

地元民以外の徒歩乗船は前日宿泊が必要

※この項目は2023年5月現在の情報です

神戸発高松行き2便は平日と土休日でダイヤが大きく異なります。
(平日ダイヤ)神戸6:00発→坂手9:20着→高松10:45着
(土休日ダイヤ)神戸8:30発→坂手11:40着→高松13:10着

2時間30分開きがあります。平日ダイヤでは首都圏からの夜行交通機関で朝6時までに三宮フェリーターミナルに到着することは不可能で、徒歩乗船には前日の宿泊が必要です。

平日ダイヤの連絡バスはミント神戸5:45発。JR線ならば大阪~西明石間、阪神ならば尼崎以西で始発電車に乗ればこのバスに間に合います。遅延の可能性もあるので、できれば三ノ宮駅徒歩圏内が理想です。

土休日ダイヤ運航日は、首都圏から神戸もしくは大阪行きの夜行バスでアプローチ可能です。神戸行きはミント神戸バスターミナルに到着します。フェリー連絡バスはミント神戸7:30発と7:55発です。当日始発の飛行機や新幹線では惜しくも間に合いません。

”うどん県”巡りは平日ダイヤ運航日に

一方、香川県のうどん店のほとんどはランチタイム営業です。9時~11時頃に開店して、麺がなくなり次第(14時ごろ)閉店というスタイルを取っています。従って平日ダイヤならば高松に到着したら目星をつけたうどん店を目指せますが、土休日ダイヤではなかなか厳しい。昨今のブームで、人気店は週末かなりの行列ができてしまいます。うどん以外の用件ならば午後の時間を存分に使えますが、うどんが目的だとジャンボフェリー2便はあいにく胸を張ってお勧めとは言い切れません。

乗船までのハードルが高いということは、空いていて新船の魅力をじっくり味わえるということ。2023年のある日、早春の港を旅立つ「あおい」に乗船しました。

「あおい」の夜明け

午前5時、宿泊したホテルをチェックアウト。まだ明けやらぬ街の中ミント神戸へ急ぐ。210円出して連絡バスの人となる。フェリーターミナルまで約8分。降りたら既に5時50分を過ぎていて、即乗船。改札でプリントしておいたQRコードをかざす。車両甲板には車の姿が全く見られない。

徒歩客の靴音だけが響く夜明け前

コンフォートリクライニング席を予約していたが、部屋に入ってきた人は私の他に2名程度。ほぼ貸し切り状態。座席のオリーブ柄が静かに並び、まるで島にいるかのよう。

「あおい」は定刻に港を離れた。明け始めた空に向かい短く汽笛を鳴らす。ネイビーブルーの空に包まれながら、最後の街あかりとの隙間に少しずつ海が入り込む。

6:00 三宮フェリーターミナル
東の空にシャドウひとはけ

出港からおよそ5分、「二人を結ぶジャンボフェリー」の歌が爽やかなリバーブを伴いながら響き渡る。チャイムが続いて
「皆さま、おはようございます。ようこそジャンボフェリーへ。この船は瀬戸内海に浮かぶテラスリゾート、あおいです。」

船は和田岬を通過して大阪湾に出る。

はーばーらいとはもうすぐきえる
光のテラスより

振り向くとまさに朝陽が昇るところ。水平線を染める夜明けを見るのはいつ以来だろう。

あなたにも見せたい、ジャンボフェリーの朝陽
夜から朝へ 「あおい」は進む

改めて甲板を眺めたら、今朝は航送車両が本当にない模様。自由席にどれほどのお客さんが乗っているかはわからないが、徒歩乗船客もおそらく数十名程度だろう。空いている交通機関ほど好ましいものはない。ピカピカの新船ならばなおさら。

静寂の車両甲板

"Sumahama"

空は洗顔するようにどんどん明るくなる。「あおい」は須磨沖に出る。

そこは恋する人たちが、いえ仕事に行く人たちが

船内放送が「一ノ谷の戦い」について紹介している。山裾ではJR山陽本線と山陽電鉄の電車が行き交っている。船内は夜明けのリゾートでも今日は平日、電車には通勤する人たちが大勢乗っているだろう。

この数十年間山陽電車で、新快速で、普通電車で、ブルートレインで、サンライズ瀬戸やサンライズゆめで幾度となく眺めた須磨の海を、グリーン車並みの新船で反対側から眺められる至福。長生きもそう悪くはない。

私はこのごろ須磨と言えば、The Beach Boys "Sumahama"(1979)を思い出す。1960年代にエレキギターを用いた"Surf Sound"で熱狂的な人気を得たビーチ・ボーイズがベテランバンドになった頃発表した曲。当時日本のリスナーは、今でも人気のミュージシャンも含めて「砂浜のことでは?」と一様に首をひねっていたが、作曲したマイク・ラヴによれば須磨で正しいという。作者のお墨付きが得られて、地元では改めて顕彰する動きができていると聞く。

舞子へ

朝のピンクをほのかに残す空の下、明石海峡大橋がぽっかり見えるが、なかなか近づけない。

泳ぐが如く橋へと向かう

山陽本線の電車ならば須磨から舞子まで10分もあれば行ってしまうが、フェリーはゆったりと進む。この頃は大きなフェリーやタンカーも当たり前となり、ジャンボフェリーはこの海域を通る船としてはむしろ小柄なほう。「全然ジャンボじゃない!」という声も散見されるが、ゆったり着実に歩みを進めていくという意味で、ジャンボの名は今でもふさわしい。

早春のあさかぜに吹かれること20分近く、アジュール舞子や舞子ビラがようやく近づいてきた。

舞子ビラ(右)とTio舞子(左)

舞子を初めて訪れたのは架橋工事が始まる前。潮風に抱かれた知る人ぞ知る景勝住宅地で、釣り人以外の姿はあまり見られなかった。そこに世界最長のつり橋を架ける工事を行うという報道には文字通り仰天したが、いざできてみるとたちまち風景になじんでしまった。私自身、橋のない舞子はもはやイメージが難しくなっている。

ジャンボフェリーにとって橋は最大のライバル。開通時に便数を半減させたという。開通前ジャンボフェリーは「海の新幹線」をキャッチコピーとしていた。すなわち”四国への速さ”をアピールする方針だった。しかし開通後は「旅の楽しさ」を強調する方向へ舵を切って生き残りを図る。「二人を結ぶジャンボフェリー」の歌もその流れにより生み出されたのだろう。

今では橋の存在を逆手に取り、「明石海峡大橋くぐり」を名物として、船内放送で盛り上げる。そういえば開通した時は九州へ向かう寝台特急でも車掌さんが案内して、乗客が拍手していたがすぐにやめてしまった。

出港からおよそ55分くらいで橋とクロスした。

橋を走る車の音が響く

橋が東側に移ると、いつしか空高くなった太陽とハーモニーを奏でていた。

舞子午前7時

高砂

明石海峡大橋をくぐると船内のふんいきもやや落ち着く。光のテラスで鑑賞していた人たちも客室へ戻っていく。私はもう少し潮風に吹かれていたかった。

明石市。中央に天文科学館。

明石の市街地の沖合を過ぎると次第に陸地から離れていく。遠くに加古川市や高砂市の工場群が見えてくる。

加古川河口の工場群

今や話題にする人も少ないが、謡曲「高砂」にうたわれた高砂である。

高砂やこの浦舟に帆をあげて
月もろともに出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾の沖こえて
はや住の江につきにけり

謡曲「高砂」

15世紀、すなわち今から600年ほど前に猿楽師世阿弥が作ったと伝えられている。掛詞がいくつか張り巡らされている。鳴尾は今の兵庫県西宮市、住の江は今の大阪市住之江区で、住吉大社を指している。

私は古典文学にあまり詳しくないが、ふとした契機に思い出すたび、東京は根本的なところで関西にかなわないと思う。江戸文化の象徴として大きな顔をしているあれやこれやも、大元は京や大坂から移住した人たちが伝えたものというではないか。

謡曲「高砂」は天下の平和を言祝ぐ歌として詠まれた。世阿弥の世代が生まれる少し前まで、この地域では湊川の戦いをはじめ戦乱が絶えず、多くの人が疲弊した。今の世にあるいくつかの歌と同じく、平和の大切さを伝えるメッセージソングでもある。

「高砂」でうたわれている船はもちろん手漕ぎの和船で、高砂から住吉までどれくらいの時間を要しただろうか。2~3日がかりだろうか。世阿弥の時代の人たちは、一般庶民でもその日のうちに摂津から讃岐まで船で行ける、陸伝いにもっと速く行ける時代が来るとは思いつきもしなかっただろう。

りつりん2と出会う

早起きでさすがに疲れたので一旦船室に戻る。コンフォートリクライニング席の前方には鑑賞用のキャプテンシートがあり、航海用計器や方位盤が備え付けられている。ジャンボフェリー撮影ガイドラインによれば客席内は撮影禁止だが、客席から外に向けての撮影は他者映り込みに配慮すればOK。もともと私も入れて3人しかいないし、失礼してこれらの設備を記録させていただいた。

西南西へ進路を取る

朝の足湯は視床下部の睡眠中枢にたちまちしみわたり、しばしのうたたね。

ゆるく息する物想い

締めはふねピッピのジェラート。ロビーも閑散としていて、自動演奏のピアノが柔らかな音色を奏でている。

もうすぐ「りつりん2」(高松6:15発→神戸11:00着 上り2便)とすれ違う頃。再びテラスに出る。

”ニャンコフェリー”「りつりん2」

従来船の「りつりん2」は赤色がイメージカラー。座席シートはうどんの丼柄という。前面には目のような絵が描かれていて、会社は引退した「こんぴら2」と合わせて”ニャンコフェリー”という愛称をつけていた。わずかな邂逅を経て「りつりん2」は銀色の海へと消えていった。この船は余命およそ2年で、2025年には「あおい」に次ぐ新船と交替する予定となっている。

銀色の海を東へと向かう

「りつりん2」を見送って振り向くと、もう小豆島が目の前に見える。坂手港にはほぼ定刻(9時20分)に着岸した。

「あおい」のパンフレットや公式サイトでは坂手港の到着・出港とも同じ時刻が記されている。鉄道のように車掌が乗客の乗降を確認したら1分以内に出発、のはずはない。徒歩客や車の乗降には当然それなりの時間を要する。出港まで大体10分程度かかる模様。

コンフォートリクライニング席の乗客のうち1名が坂手港で下船した。新たな乗客は2名。小豆島から高松は他社の航路もあり、生活路線に近くなるが、今日はとりわけ移動需要が少ない。

高松入港

坂手港を出ると、残り乗船時間はあと1時間ほど。もう荷物をまとめなければいけない。ちょっぴり名残り惜しい。これまでのようにのんびり写真を撮ってもいられない。

四国最北端の長崎の鼻や屋島の観光案内が放送されて、程なく高松到着を告げる「二人を結ぶジャンボフェリー」が流された。キャプテンシート前方に見える島影の奥から唐突に高松の市街地が現れる。

”玉藻よし”讃岐の国
左の白い円柱が高松駅付近

10時45分、定刻に高松東港に接岸した。船員が縄を投げて陸地の係員がキャッチ、繋留作業を行う。下船口に集まってきた人は70~80人くらい。自由席で旅する人が多かったのだろう、意外と多い印象だった。

連絡バスが県立中央病院に停車してくれたら、この日お目当てのうどん店「麦蔵」さん(11時開店)に一番で並べるかもと目論んでいたが、バスは無言で駅まで直行。気を取り直してことでんバスに170円を出して元来た道をバック、5番目ぐらいに並ぶ。塩をふりかけていただく揚げたてのかしわ天うどん、ごちそうさまでした。

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