モノトーン・ブルー

『わたしは、青という色が好きではなかった』
『落ち着く色だ、知的な色だなんていくらでも取り繕うことは出来るのだろうけど、わたしにとって青色は停滞を示す色でしかなかった』
『青。それはわたしの街を彩る片割れ。赤銅とマリンブルーに包まれた風景はわたしの心象風景に深く根を下ろしてしまっていて、外の世界を知った今でもわたしを蝕んでいる――』

 次の駅を示す車内放送が流れ、わたしはそこで筆を止めた。膝の上に乗せていた携帯型のデジタルメモを鞄にしまい、スカートの皺を伸ばしてから定期券の入った財布を出した。もうすぐ電車は逗子駅に辿り着く。
 トンネルを抜け、残響のような耳鳴りが残る。駅に到着し扉が開くと、真昼の夏の熱気が冷えた車内へとむわりと押し寄せてきた。ずれた眼鏡を掛け直す。天井に鈴なりに飾られた風鈴の音が群れを為してわたしのところへと至る。プラットフォームに無造作に置かれていた気温計は35℃の真夏日を指し示し、降り注ぐ蝉時雨がそれをより暑いものへと変えていた。夏休みも始まったばかりではあるが、部活動でもあるのか制服姿の学生も多い。今日は北海道でも34℃らしいぜ。マジ? それってもう沖縄よりも暑いんじゃね? そんな男子高校生たちの声が聞こえる。結局のところ、何処に居たってこの暑さからは逃れることは出来やしないのだ。汗で滲んだ手で定期券を翳し改札を抜ける。空は抜けるように澄んでいるように見えたが、湿度の影響なのかくすんだ青色に見えた。
 逗子駅から海岸まで15分ほど掛かることもあってか、風が運んできたものは潮の匂いではなかった。ほんの少しの熱気と、それに混じって漂う生々しい臭いは魚の臭いだろうか。辺りを見回すと、駅前の魚屋で魚の切り身の叩き売りが行われている。由比ヶ浜と比べて騒がしくないところだから丁度いいかもね、なんて大学の友人に勧められて来たものの、どうやら想定よりも遥かに活気付いているようだった。街中へ向かう方とは反対側の海岸に向かう道には、タトゥーをした色黒の男性や水着の入っているであろう袋を振り回している小学生がいる。周りを眺めているとタトゥーをした男性の方が振り返りぎろりとわたしを見た気がしたので慌てて頭を下げた。果たして、ここは今年の部誌に出す小説の舞台の参考になるのだろうか。アンニュイな高校生の子を主人公にしたいと考えているところであるけれど、これはテーマか舞台かを変える必要があるのかもしれない。
 海岸へと抜ける道はどうやら商店街の真ん中を突っ切る道であるようだった。空の青を背景にして、送電線が複雑に絡み合い一箇所に纏まるようにして伸びている。店の方へと目をやると、若者向けのような彩色をしておきながら、装飾が高年齢層を対象としているかのような服飾店が多くあった。アロハシャツ専門店なるものも見えたけれど、小説に出したところでどうあがいても世界観が狂ってしまうから見なかったことにしておこう。
 評価を下すには中々に言葉を選ぶ絶妙な服が数多く並ぶ中で、まるでそこだけ色の塗られていないカンバスであるかのように漂白されているような部分があった。白く照り映えているワンピースが、キャミソール、カシュクール、ティアードと何故か三種類も並んでそこに存在していた。正確に描写をするならば、Tシャツと合わせた状態で置かれているキャミソールワンピースと大人びたドレスのようなカシュクールワンピースはショーケースの中に楚々として在った。一つ残されたティアードワンピースは、段々と連なっているフリルを風に靡かせながら、店外にいる黒髪の少女を着飾っていた。少し目の粗い麦わら帽子から艶やかな黒髪が風に逆らうようにして靡く。六花の形をした白い飾り結びのイヤーカフが耳元で風を受けてそよいでいる。彼女はガラスに手を翳してショーケースを眺めていたが、溜息を吐いたのか肩を一度上下させるとこちらを振り向いた。飾り結びが揺らめく。わたしと彼女の目線がぶつかる。何処かで見たことがあるような気もしたが、それが何処であったかを思い出せない。彼女の方はと言うと、私に向けて何かを呟いたようだったが、子供たちの喧騒でその声はかき消されていた。
 ワンピースを翻してその女性は海岸に繋がる道へと歩を進めた。すらりとした長身の彼女は歩幅もわたしと比べて大きなものであった。暑い中目的地を急ぐためか、それとも彼女を追いかけるためかは分からないけれど、知らず知らずのうちに早足になる。
 いつの間にか商店街から抜けている。逗子には初めて来たけれど、浜辺へと続く道は大抵どこも変わらない情景だ。少し傾斜になったアスファルトの道路。人が二人並んで通れるかどうかという歩道。白いガードレール。両端から張り巡らされた送電線。その情景に、縁日の屋台で白い金魚が手元からするりとすり抜けていくかのような、ひらひらとワンピースをはためかせる彼女の姿が陽炎のごとく焼き付いている。
 わたしと彼女の間の距離は歩くたびに広がり、遠く見える彼女の白いワンピースに重なるようにして電柱に飾られたハイビスカスの赤い造花が見える。二本間隔で飾られていた赤い花と重なる度に彼女の姿は遠くなり、数度目に重なった時に、彼女の姿は赤い造花に飲み込まれるように消えてしまった。彼女のいた跡には、遠く橋とフェンスと工事中の黄色い看板が見える。車道の下にある海と住宅街を結ぶトンネルが近づき、そうして抜けた先には逗子海岸が遥かに広がっていた。

 トンネルのところから遠目に見た時には海は水色に見え、太陽の光が海面にプリズムのように燦いて見えた。けれど近づいてよく見てみると水面はくすんだ碧緑色をしていた。湾の先に見える深緑の山々が水の色の淀みを強調し、浜辺に設置された赤い郵便ポストとまばらに見える人々の蛍光色の水着がその光景を質の悪い冗談のように映し出していた。
 海の家で新しく買い直した黒色の水着に着替えてはみたものの、到底泳ぐ気にもなれず、体操座りで海を眺める。浜辺は家族連れと華の女子高校生と外国人とサークルで来ている大学生で溢れている。どうやらナンパ目的で来ている男性もいるようであったけど、そんな人もわたしの目の前を通り過ぎていった。人がいないぽっかりと空いた空白地帯に座り込んで、鞄からデジタルメモを取り出して脚の上に広げる。そうしてわたしはしばしの執筆活動に勤しむ。
 わたしが描きたいのは静観な浜辺ではあるけれど、海であるということに変わりはないのだから何か参考になる部分もあるだろう。そう思って漣の音に耳をすませようとしたが、姦しい声でその考えは遮られた。視覚も聴覚も参考にならないというのならば、それならばもう触覚と嗅覚と味覚しか残っていない。砂を手に取ってみたが、湿気を帯びた空気にあてられてか浜辺から離れた場所にあった砂であるにも関わらず少しべたついていた。味覚を感じると言いながらくすんだ色の海水を手に掬って飲む気も起きなかったことであるし、潮の匂いを感じてみる。すると、どこかで嗅いだことのある甘ったるい匂いがした。
『少しお時間の方よろしいでしょうか。私○○という番組のプロデューサーなのですが』
『悪いけど後にしてくれない? ちょっと人探しに忙しいから』
 心なしか周りが少し騒がしくなっている気がするが、気に留めず嗅覚を研ぎ澄ませてみる。自然の匂いというよりは甘さだけを抽出して煮詰めたようなひどく人工的な匂いがする。それでいながらどこか夏を郷愁的に感じさせるこの匂いは――。
「見つけた。私、彼女と待ち合わせしてるの。だからここで失礼するわね」
 突然、自動販売機で100円で売り出されている奇抜な色のラベルをしたペットボトルが視界に入る。そう、これはメロンソーダの匂いだ。なるほどたしかにメロンソーダというのは夏の描写をするのに中々適した小道具だ。メロンという果実自体が夏という要素を若干ながら含有するということもあるけれどメロンソーダというもの自体が爽やかさというイデアを含んでおりある種の青春という概念を連想させるものであってもしも舞台を海に限定するのであれば少しくどいとも言えるメロンソーダの甘ったるさと海のしょっぱさとジュブナイルにおける恋愛というものが重層的に重なって――。
『本当にこの人がきみの待ち合わせの相手? きみのこと無視してずっと何か打っているみたいだけど』
『間違いないわ。さぁ後でたっぷり書いていいから行くわよ』
 白磁のような手が差し出される。緑と白。嗚呼、メロンソーダフロート! 緑色のものと白色のものが合わさり頭の中で即座に公式が組み上がる。緑と白の対比はいい。人工的な翠を白色が膾炙することによって幻想的で人工的な色彩が解体される代わりにどろどろとした実体が不気味にも現実味を持ってそこに立ち現れてべたつく汗がグラスの表面に流れる水滴と重なりそうして少年と少女は――。
 ぱたんとデジタルメモが強制的に折りたたまれる。見上げると逆光と麦わら帽子で定かには見えず断言は出来なかったけれど、そしてどうやらその人は服装を変えてこれまた純白の水着へと着替えているようであったけれど、それはおそらくさっきの服屋の前にいた女性だった。あ、え、え、なんて言っているうちにデジタルメモがわたしの鞄へと仕舞われ早足で連れ出される。チッあれは特番のトリにちょうど映えるくらいの美人なんだからもうちょっと上手くやれよ、なんて声を尻目に彼女は海とは逆の方向へとぐいぐいわたしを引っ張っていく。
「あっあの、あなたはなに?」
 どもりながら彼女に問いかける。聞くなら何じゃなくて誰だろ。そんな突っ込みが何処から聞こえた気がしたが、そもそも人生これまで生きていた中でこんな美人な人と接点を持ったことがない。
「貴女は私のことを覚えていないとしても、私は貴女のことを覚えているわ」
 謎かけでも修辞表現でもなくね。そう言ってなぜか白い水着の谷間に引っ掛けていた紺色の眼鏡を掛ける。ああそうだ、彼女は――。
「哲学特殊の講義でいつもわたしの席の後ろにいる人?」
 誰だよそれ、なんて突っ込みがまたしてもどこからか聞こえた気がした。

 そのまま浜辺の端の方まで連れられ、海の家へと入る。オーナーと知り合いであるのか一言二言言葉を交わして、扇風機の前の座席へと案内される。そして人も余りいないその場所で向かい合わせにして座る。彼女が眼鏡を外す。扇風機の風で、汗と綯い交ぜになった海水が燦めきとなって消えていく。ごめんなさいね、普通に話しかけようと思ったのだけど結果的に貴女を出汁に使う形になっちゃったわね。お詫びに何か奢るわ。そう言って彼女はポーチから白い財布を取り出した。わたしはブルーハワイのかき氷を頼み、そうして彼女はなぜ海の家にそんなものが置いてあるのか予想だにしなかったけれど、あるいは湘南という土地柄、そういう洒脱なところがあるのかもしれなかったけれど、マリブミルクを頼んでいた。
 海の家といえば焼きそばであるというのがわたしの持論ではあるのだけれど、あえてかき氷を選んだ理由は二つある。それは次の小説で「青」をメインテーマにした小説を書こうと思っていてその小道具に使いたい、というのが建前の理由。もうひとつの理由は食べ物系にすると調理に時間がかかると思ったからだ。わたしは自他ともに認める人見知りだ。手持ち無沙汰な状態であまり関わりのない人と長時間話せる自信がない。そもそも彼女とは今年に入って履修した講義で席が近くになっただけの、そうしてディスカッションの時に少し話した程度の仲である。大学においてそれは他人であると定義される。そもそも向こうから話しかけられなければわたしは思い出せなかったほどだ。彼女はわたしのことを覚えていたようではあるけれど。
 かき氷とマリブミルクが間を置かず机に届く。わたしはしゃりしゃりと氷を崩しながら、彼女はマリブミルクを口に運びながら会話を始める。ここのところの天気の話、なぜここに来たのか、夏休みは何をして過ごしているのか。顔のいい人と向かい合うことの出来る幸せよりも共通項の少ない人と話す苦痛が先立つ。永遠のように感じられたけれど、時間にしては数瞬だったのだろう。
 かき氷が海の家にまで届いている熱気でどろりと液状化し始める。かき氷のシロップは味は全て同じで、色と香りで違う味だと感じると聞いたことあるけれど、そうであるならば青を選ぶ人の気がしれない。食べ物に青色を使うなんてアメリカのケーキで舌を汚染されたか脳までチョコミントで染まっているかだろう。ゲル状のスライムのような色をした残骸をストローの先で弄る。しゅりしゅりと音を立てて崩れるが、それも含めてまるで得体の知れない生物のようだった。しかし長時間もたないかき氷を頼んだのは早計だったかもしれない、なんて手持ちの話題を脳内検索しながら考えていると不意に彼女が呟いた。
「貴女は青が嫌いだと思っていたのに、ハワイアンブルーのかき氷なんて頼むのね」
「もしかして、見た?」
 先程のビーチでの一幕で見られたのだろうか。そう思って思い切って確認すると、馬鹿ね、講義中に前の席でデジタルメモなんて取り出してかたかたやられると嫌でも見えるわよなんて返された。青は別に嫌いじゃないわ、なんて言ったわたしに彼女は無意識かもしれないけど貴女のさっきの空と海を見る目の厭わしさは外部からでも分かるものがあるわよと言われた。
「貴女は、きっと世界が青く見えているんでしょう」
 物語のキャラクターはどこまでも作者の思惟に依拠せざるを得ない。語りえないものは書かれないという沈黙の形でしか立ち現れない。だから世界を青色に見ているのはきっと他でもない貴女よ、と彼女は続けた。
 そうして唐突に彼女はわたしの顔の方へと手を伸ばし、冷たくしなやかな手によってわたしの眼鏡が奪われる。その瞬間世界は色を変えて、なんてそんな都合のいい展開は小説でも映画でもないこの状況で起きるはずがない。ただ分かったのは、レンズが生暖かい潮風に吹きつけられて、自分でも気が付かないうちに曇ってしまっていたらしいということだけだった。早く返して欲しいと言っても彼女はただうっすらと笑いを浮かべるだけ。そうして出来の悪い生徒に教える教師のような面持ちで、わたしに言葉を放った。
「世界が青く見えるのはね、貴女が世界をくすんだ青色で塗りつぶしているからよ」
 急に眼鏡を外されて薄ぼんやりとした視界の端でちかりと光るものがあった。屋台の外側、その光の元を辿ると、塞き止めていたものが滲み出すようにして灰色の中から赤みを帯びた光帯が見える。そうしてわたしが今日見てきた空は、少し色素の抜けてしまっている青空などではなくぼんやりと濁っている曇り空でしかなかったことを知った。暖かく湿った空気が冷たい海面に隣り合うことで海霧を生じさせ、そうして曇った視界にわたしの認識は囚われていた。
 人によって見えているものが違うのは、そこに存在するものの存在強度が薄く揺らいでいるからではない。人の見え方というバイアスが違うだけで、わたしたちは、それがたとえ無色透明に近いものだとしても、全てのものを色眼鏡越しにしか見ることができない。世界は薄い薄い皮膜によって包まれていて、個々の人間の性質に呼応するようにしてわたしたちが見たいと思ったものしか見せてくれない。貴女が青色に見えている景色は、たしかに青味を帯びたものかもしれないけれども。それは貴女が青色だと思い込んでいるから青色なだけよ、と彼女は滔々と語った。
 その語り口には覚えがあった。幾つか前の講義の時に、存在論と認識論についてディスカッションした時の情景そのままであった。わたしはイデアのような本質が物体や場所に埋め込まれていて多くの人はそれに左右されるのだと主張し、彼女はそれは人の認識の差異に依るのだと言った。そうしてそのまま議論は平行線を辿り、こうしてなぜかこの海の家にその延長戦が持ち込まれた、というのがことの顛末であった。
 フッサールの志向性やフレーゲのセンスデータ論を始めとして細かな具体例・反例・複合案などを検討して詳細を詰めているうちにいつの間にか日も暮れて、呆れ顔の海の家の店主に店を追い出されてしまった。最新の学説ではそれらの複合理論が適用されているとは聞くけれど、理論に白黒がはっきりとつかないのは気持ちが悪いことで、一文筆家としても本質論や真正性といった概念は譲ることのできないものである。結局収集がつかなかったことだし、この議論は大学で次会った時に持ち越しね、なんて言われたけれど次は事前に資料を調べてぐうの音も出ないほどに完封しようと心に決めた。

 着替えを済ませてから二人で並んで海の家を出て昏い夜の海へと歩いていく。境界線の国道に備え付けられた街灯が、二人が砂を踏みつけた轍を照らしている。国道の高架が、彼女の白いワンピースに夜の帳よりも暗く深い影を落としている。夜の海は濃紺に染まりながら、それでいて街灯の光がぬらぬらと揺蕩っていた。曇った夜空の上に、緑、赤と色を変えながら飛行機が描く点が動き去っていく。わたしは彼女の後ろを歩く。海の家を出がけに買った水色のラムネの瓶に、それに写りこんだ彼女の姿が白光と共に攪拌されるのが見えた。わたしはそれを見ながら、次に書く小説の、アンニュイな主人公へと手を差し伸べる女性を頭の中で密かに思い描き始めていた。

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