見出し画像

03.横から見るGlobe40までの道のり

鈴木晶友(team MILAI )について。本人ではなく家族の描く「道のり」なので、そうじゃなーい!というところがありそうだが、まぁザラっと。

1. 幼少期〜小学生

千葉県東金市出身。ご両親、特にお父さんがヨットに乗っていた影響で、6歳からヨットに乗っていた。お父さんと出かけた航海で外海に興味を持ち、かつ、ディンギー(※)の練習で指示通りに動くことに反発を覚え「自分の力でもっと遠くに行きたい!」と夢を持ち始める。
ヨット以外の趣味はアマチュア無線。日本のあちこちのおじさまたちと、葉書をやりとりしていたらしい(※※)。
ちなみにおうちではお母さんがNHKのラジオ英会話ずっと流していたそうで、いまでも英語の聞き取りが得意なのは、あれのおかげなんじゃないかな、とのこと。ラジオ英会話、役立ってる!

※動力を持たない、比較的小型のヨット。オリンピックで競技になっているのもディンギー(もしくはウィンドサーフィン、2022.6現在)

※※アマチュア無線の承認番号?みたいなものがあるそうで、それだけで、住所がわからなくても葉書を届けることができるんだそう。

幼少期の鈴木。
鈴木晶友Facebookより拝借。

鈴木晶友 Facebook

2. 中学〜高校生

OP(オーピー、オプティミスト級と呼ばれる、主に子ども向けの小型ディンギー)を卒業、シーホッパーに乗る。
高校の時に国体に出場し、6位入賞を果たす。いわく「あれが俺にとっての大学入試だった」。言葉通り、この結果で推薦を得て大学に入学。以来ヨットは、彼の強い武器となったのだと思う。
ちなみにこの頃ダイエットに成功して急激に痩せ、「人生最大のモテ期」が来た模様。チャラい写真も残っている。

3. 大学生

ヨット部で活動、スナイプに乗り、インカレ優勝を経験。同時期に活動した先輩には、オリンピック選手が複数含まれる。
大学4年生の時にオリンピックキャンペーン(※)の活動支援を行う。この時にプロジェクトの回し方や海外で活動する基礎を学んだのではないかと言っていた事があり、今に至る大きな経験になっていると思われる。

※ オリンピックに出るための活動。転戦しながらレースに参加したり、スポンサー探し、資金繰りを考えたりする。

4. 社会人

大学卒業後、某日本企業に入社、人事として仕事に明け暮れる。ヨットは会社のヨット部でスナイプに乗る。数年の激務ののち退社、この時の退職金をつっこんで、当時最新鋭の水中翼船 “Moth” を購入、のめり込む。
また、国体での物販を手伝ったことから、ヨットやヨット向けアパレルなどを扱う会社に就職。修理の緻密さやプロとしてプライドをもって仕事を行う事を学び、ここでの経験はその後の活動に大きく役立っている。また仕事を通して、ヨット界への人脈ができたのもこのタイミング。

2016年、神奈川県・葉山町でモスワールド(モス級ヨットの世界選手権)が開催され、数々の名だたる選手がやってきた。モス級は、水中翼がつくため動きが早く、操作に対して敏感な船である。そのため他のヨットに乗る選手にとってもトレーニング・ボートとして良く、大変に人気があった。オリンピック競技ではないことも、逆に自由闊達で明るい雰囲気を作り上げていたのだと思う。各界のスター選手たちが葉山で一同に会した中に、フランス人選手のベノア・マリーがいた。彼は2015年ミニトランザットの覇者(※)で、彼が来る事に鈴木が大興奮していたことを覚えている。ちなみに会ってみると、ベノアはものすごく気さくでお茶目、自由で楽しい人柄だった。彼は後々、鈴木のミニトランザット挑戦のアシストをしてくれることになる。

※ミニトランザットは、2年に1度行われる、フランスの外洋ヨットレース。ミニ6.5と呼ばれる全長6.5mの小さなヨットで、大西洋を横断する。乗組員は1名のみ、外部との通信は制限される。特に若手にとって、外洋レースの登竜門と呼ばれるレース。
プロトタイプと呼ばれる改造が可能なクラスと、シリーズと呼ばれる量産型の船のクラスがあり、ベノアは2015年プロトタイプ優勝者。

沢山のモス乗りたちが葉山に集まった。とにかくカッコよかった!

(写真は BULKHEAD Magazine より)

フランスで再会したベノア。
ミニトランザット本番前の船の整備にフランスまで来てくれた、レジェンド古谷さん。熟練のボートビルダーであり、現役のモスセーラーでもある。

(写真2点は 鈴木晶友Facebook より)

5. ミニトランザット挑戦、そしてGlobe40へ

「ミニトランザットに出たい」と(私にとっては)突然の宣言。その時の心境についてはひとつ前の記事に書いたので、宜しければどうぞ。

「ヨットで世界一周してみたい!」と言われた時の家族の心境(「奥さまは凄い」のか)

計画とスケジュールを立て、仕事先に相談して3ヶ月休みを貰って渡仏。規格にあった船を探して購入するところから、安全講習、操船やメンテナンスのレクチャー(※)などを受けながら、クォリファイレース(※※)に出場。レース参加を繰り返しながら、街に慣れ、レース仲間たちやクラスミニ協会と交流し、船を大西洋横断向けに補強しながら1年半掛けて準備を進めた。2019年のミニトランザットに出場し、無事完走。準備から本番までの様子は本人の YouTube によく纏まっているので、是非こちらを見て欲しい。

https://youtu.be/Ca6BqRnr6PU

無事にゴールしたその日は、たしかに、「もう暫くいい」と言っていたのだ。しかし全て終わってみるとロスが勝ったようで、年末には、「次は世界の海が見たい」と呟くようになった。とはいえ1人で長い期間セーリングをするのは淋しかったようで、ダブルハンド(2人乗り)でのヨットレース「Globe40」への挑戦を目指すようになった。
中川紘司氏と共にプロジェクトを立ち上げ、メンバーを決定し、また船を選び、メンテナンスし、練習してレースに出る。活動拠点もミニトランザット2年目からフランスに移していたが、本格的に家を借り、車も持って、生活もフランスが中心となる。途中、コロナによるスタート1年延期を経て、2022年6月、Globe40のスタートラインに立つ。

※ヨットに乗らない身からすると、「ヨットに乗る」とは、一度習得すれば変わらず未来永劫なものだと思っていたが、船によって特性があり、ベストな走らせ方や注意点があるのだそう。上手くなるには独学より教えてもらうことだと、すぐにコーチをお願いしていた。その時のコーチが、今回のGlobe40にも参加するエステル。

※※ 大きなレースに出る権利を得るために、指定のレースに参加して完走する必要がある。マイルを貯めるように必要な航行距離があるので、計画して幾つかのレースに参加しなければならない。

ホームポート LA BASE(ラバーズ)でのMILAI

(写真は Team MILAI Facebook より)


#ヨット #世界一周 #旅 #応援 #外洋セーリング


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?