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我がままに生きるってダメなこと?

先日、実母に言われた言葉がずーっとひっかかっていた。

「なんでケンちゃんはあんなに敏感なんかねぇ。何も考えず、ぼーっと学校に行けばいいのに。」
「ケンちゃんが行きたくないっていっても学童やめるのはどうかと思う。お金の問題じゃないよ。英語でも習わせれば?時間がもったいないやろ。」
「そうやって、ケンちゃんのわがままばっかり通してどうするん?後で取り返しのつかないことになるよ。まっとうな道に戻してあげんなん。」
「そうやって、人に相談ばっかりしとっても仕方ないよ。リコはケンちゃんにどう育ってほしいの?そこがないと」

反論しても「またそうやってキィキィ言う。そういうヒステリックなところがますますケンちゃんを刺激するんやって。もっと冷静にならんと」って言われることは目に見えている。

だから、だまっていた。


小1の息子が登校渋りになり、発達障害かもしれないと言われて病院で検査を受け、支援級に通うことになった。
支援級に通った今も、「行きたくない」と渋ることもある。

登校渋りが見られた当初、それでも私はひっぱって息子を学校に連れて行った。
けれど、スクールカウンセラーの先生が言った「息子さんは息子さんなりに頑張ってきたんです。通常級での毎日は、相当辛かったと思います」という言葉を聞いてからは、無理やり連れていくことをやめた。

「リコはケンちゃんをわがままに育てすぎや」
「叱らんのはダメや。言わんなんことは言わんなんやろ」

実母にも、義父母にも散々言われてきた。
でも、「わがまま」ってなんなのだろう。

「学校に行きたくない」という息子を学校に行かせないこと?
息子のいいなりに、私が動いていること?

反論させてもらうなら、私は「息子のいいなりに」なっているつもりはない。息子が望むなら、一緒に登校してあげたいし、「行きたくない」という日もあっても良いと思っている。


先日、ヨガの夏未先生のVoicyを聞いていたら、こんな話があった。

わがままって自己中とは違うと思うんです。
"我がまま"って自分の思う道を行くってことじゃないですか。
それってなにも悪いことじゃないと思いませんか。

夏未先生の言葉を意訳してます

息子は確かにわがままだ。我がままなのだ。我がままに生きているだけ。
それの何が悪いんだろう。

確かに、社会性という面では十分に適応できていない部分はたくさんある。
「行きたくない」と学校に行かない日もあるし、遅刻なんて日常茶飯事だ。
でも、息子は息子なりに頑張って毎日を送っている。
朝早くから学校に行って、頑張っている日だってあるんだ。

周りと比べるから「できていない」と言われる。
けれど、「息子は息子なりに頑張っている」ことを、私は母親として認めてあげたいのだ。


泣きながら夫に話した。
母にわかってもらえないのはつらい、と。

「そんなときはあれだよ、ひろゆきだよ。
”それはあなたの意見ですよね”って心の中で思ってればいい。」

母だって、息子のことを考えていることはわかる。
けれど、毎日息子と向き合って、息子を一番間近で見ているのは私だ。

以前は日常茶飯事だった癇癪も、最近はほとんど起こしてない。
息子は息子なりに成長している。

学校にきちんと行けることだけが、すべてじゃない。
学校で集団生活や社会性を身に着けていくのは大切なことだと思うが、それも息子のペースで学んでいってほしいと願っている。
息子のペースで成長していくのを、親として見守りたいのだ。

それが息子の"我がまま”だから。

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