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可視化される熱量 #005 :くらしを豊かにする木曽漆器_01

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"忙殺されるくらしのひとときに手仕事の工藝品を使うことの素晴らしさ"

本日、僕の大好きな“漆硝子”と“挽き曲げ”の技法で勝負するブランドを購入できる応援クラファンが立ち上がりました。

2019年12月にグロービス経営大学院地域活性化クラブの安藤共人さんからお声がけいただき、日本一おかしな公務員山田崇さんと一緒に登壇させてもらったのがこのクラウドファンディングの始まりました。

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懇親会で、『で、グロービスのみなさん塩尻にいつきますか?』といつもの山田さんからの一言で、みなさんを塩尻に当日アテンドすることに。そこで真っ先に連れて行きたかったところが木曽平沢の大河内家具工房と丸嘉小坂漆器店。

今思い返すと、白馬に向かう山田さんと、車中でzoomで繋ぎ、オンライン・チェックインやオンライン・フィールドワーク、オンライン・チェックアウトなど行ったのが、BEYOND COVID-19を先駆けてたなぁと。

あれから色んな山や谷を越え今日に至りました。

少し文章を書きました、よかったらお読みください。


『ものづくり』、と聞いてみなさんどんな想像をしますか?

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さまざまな仕事が世の中にあって。それは誰もが知っている『なにか』を作っている人もたくさんいるし。もしかしたら『なにか』の一部を作っている人もいます。『なにか』を運ぶ仕事をしている人もいるかもしれないし、『なにか』を売ることをしている人ももいます。

『ものづくり』って?
 
僕の場合は"希望"と"手"を想像しました。


ものづくりは"希望"

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こだわりの一品やサービスに携わってる人は、『いいものを届けたい!』、『使ってほしい!』という想いを胸に仕事をしているかもしれないし。もしかしたら悟りの境地になっていて、『存在することだけでも価値だから特別ならことは思っていない、そんな強い想いではないんだよ、ケセラセラ』という人だっているかもしれない。
 
反面、『自分の仕事なんてくだらない』や『給料がいいから』、『ただなんとなく』と想いながら働いてる人もいるかもしれない。もしかしたら『そんなたいそうなことじゃなくて生きてく上でしかたなく』という人だっているんだと思います。
 
ゆたかなくらしを!、世の中の課題を解決して!、なんて言葉を聞いたり読んだりしても、へぇ〜、って。
 
でも、みんなそれぞれ何かこうなったらいいな、って思いながら、日々仕事をし、くらしている。
 
僕が、豊かな心でくらしてたなって、生きているなって感じた瞬間はどんな時だろう?と思い返してみました。
 
子供の頃には、母親や父親、祖父や祖母、叔母や叔父との時間を過ごしていた時だったな。あたたかかったし、守られていたなぁって。その時の記憶は色や匂い、手触り、温度で思い返されます。
 
高校生の時には、部活でテニスをしてた時に。ラケットにグリップを新しく巻いて、手に馴染ませて、テニスショップにガットを張りに行き、どんなショットが打てるようになるんだろう?と想像したり。ガットのテンションかけすぎて、ボールのかかりが悪く、頭で想像している手応えと違ってへこんだり。全米でアガシが優勝した時は、テンション上がってボールが見えなくなるまで練習したり。でも部活を引退した時はなんか寂しくなって。
 
大学生の時には、塾の講師をしている時。勉強嫌いな子が宿題をやってきてくれたことに喜び。成績のいい子が、僕からするとそこまで悩まなくてもいいのに、っていう5点足らないことに悩んで頑張っていたりすることを見守ったり。
 
八幡ねじの時には、世の中のブランディングされた工業品を製造する大きな世界の裏側をみて、希望をもったり絶望したり。サプライチェーンの中で技術を活かすために、もがいてる人たちと一緒に仕事したし。親子二代でやっている加工所で、製造現場の事故に巻き込まれて息子が亡くなった日におやじさんに納期督促をどうしてもしなくてはいけなく、とても言える状況じゃないから、死にたくなったり、でも必死で違う加工所にお願いに行ったりもした。
 
だいぶ文章が長くなってしまいましたね。
 
鳥羽なりにこのクラファンのことをみなさんに伝えたいと考えた時、人には色々な思いがあるなかで今を生きていて、それが思い出になって。

そこには、1人でも、カップルでも、家族になっても、”くらし”、というものがあり。”くらし”って、小さくても大きくても、こうなったらいいな、この時間が幸せだな、長くつづけないな、って想いの積み重ねだと思うんです。

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希望っていうと大それてる言葉になっちゃってるけど、僕にとっての希望ってこういうこと。


ものづくりって聞いて思いつく"手"

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奇しくも社会に出た時に、サービスではなくいわゆる製造業に商社としてかかわり、金属を切削したり、プレスで型を抜いたり、鍛造で形成したり、転造で螺子を切ったり、表面処理をしたり、製造された製品を運んだり、検査をしたり、そんな現場を思い返すと、職人、技術者、そのほかのさまざまな人の手を思い出します。
 
売る側ではなく、つくる側に行きたく、会社を辞めて、金属から木の世界へ。売るからつくる世界へ飛び込んだ。
 
くらし、ってひらがなにふれ、やたらめったにひらがなを使ってました。僕もこれで建築家になるんだ、と。それでなにを仕事にしてるの?って言われてもだれもが分かる答えられる職業に就くんだ、と。
 
まぁ、今となっては、意に反して、あいつは何してるやつかさっぱりわからん、と言われることになるのですが…苦笑。
 
運が良いことに、本や雑誌、映像の世界でしか思考に触れることができなかった巨人たちの思考に直接触れたり、お酒を飲んだり、怒られたり、教えられたり、仕事をしたり、破門されたり、褒められたり。
 
嬉しかったし、楽しかった。
 
2006年からこの14年。色々な人たちの仕事を見てきて、改めて手からものづくりって始まってるなと。
 
ごつごつした手、爪が汚れた手、マメだらけの手、こんなに柔らかい手でこんな無骨なものをつくるの?って思った手、などなど、さまざまな人の手を思い返します。

 
"手仕事"

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これは、リアルやアナログな手作業だけでなく。もし、もっと世の中が進み、電脳文明になって実際に手を使わなくなっても、何かを丁寧に、作り込まれた、そんなものを生み出す概念そして、手仕事、という感覚や言葉はなくならないと思ってます。
 
でも、人って、感覚と記憶の生き物だから、触れないと忘れちゃう。
 
日々日本が誇る、建築、食、製品に、消費者の立場だけではわからなかった部分から関わらせてもらったり、触れたりしてきたなか、自分のくらしを振り返って見ると、その中に、あれだけ人生では身近に手仕事のものに触れて関わっているのに、自分くらしの中では使ってなかった。
 
手仕事のものって、愛でるのももちろんいいんですが、やっぱり使わないとそのものを忘れていってしまうな。
 
忙しくなればなるほど、朝起きて、無難な機械工業で作られた一般的既製品のものを羽織り、手間がめんどくさいからコンビニで飲み物とおにぎりを買い、歩くのがめんどくさいからタクシーに乗り、昼もお店で食べ、夜も…。
 
すごく便利だし、こういったサービスや商品をうまく利用すれば良くて。だから産業になって人に賃金を払えて、でも、そんな中で、ふと何年かぶりに、僕のくらしの中に、手仕事の品物がやってきてくれて。ご飯だけでも自分で炊いて持っていこう。一品だけでも器に入れてみよう、って。
 
ものすごく手間が大変だった。素敵なくらしなんてめんどくさい…。
 
鍋でご飯を炊くには、家に帰ってから服を脱いでベットに倒れ込んじゃいけないし。明日お弁当を持って行こうとすると、食材を買っておかないと、下拵えしないと、食べたら食気洗わないと…、使おうと思った調味料が切れてるし、とかとか。
 
あぁ、この何年もずいぶんくらしということを大切にしえこなかったんだなぁ、って振り返って。
 
でも、食後のお茶の時、食器を洗う時、ふとお弁当箱や器をまじまじと見て、綺麗だなぁとか、このカーブ触っていて気持ちいいなとか。何分もただだ眺めたり、手で触ったり。
 
そんな、ちょっとした時間が五感を、そして五感が感情を刺激する。
 
建築を志し、学生に戻り、卒業するとき、ある建築家の先生に尋ねてみました。
 
『先生、使う木材を産地から選び、架構を見せる意匠を考えて、梁や柱に使う木材を見せたい木目の向きも番付の時に考えて、壁にだって床にだって素材にこだわり、そんな建築設計に触れて。竣工した時にいわゆる既製品の、ファストな家具とかくらしの道具ってもう使えないし、でもそうすると高いものしかくらしに置けない、そんな提案しか、設計しかできないのって何か違和感を感じるんです。』
 
先生は言いました。
 
『無理しなくていいんだよ。安くたっていいものもあるし。』
 
この文章を書いていて、久しぶりにこの先生の言葉を思い出しました。
 
いいくらしなんて人それぞれ。
 
でも、手仕事という誰が作ったか分かる品物を使って、喜びを感じ、明日の希望に繋がる。
 
そんな、ブランドたちが木曽平沢には、長野には、日本には、世界には、たくさんあります。
 
ぜひ手にとって欲しいです。

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