見出し画像

弱さを知ること

つらい日々を過ごしているなら、覚えていて欲しい。あなたは弱くないということを。たいていの人間は、自分の弱さとなんて向き合わないから。

でもそれなりの才能で俺は俺を救ってやろう
苦悩のわりに実りのないこの感性を愛している

『二束三文』さよならポエジー

多くの人にとって人生で大切なのは、勝ち続けることではなくて、負け続けないこと。負け続けて痛みを抱えていれば、呆気なく人は死んでいく。

人に頼りつつ、ちょうど良く弱くあれれば、死にはせず耐え切れる時期が、人生にはあるはず。そこに必要なのは、「どこで自分は頑張るべきでないか」を知っていること。

努力は素敵だ。だけど、ギリギリまで耐えていたら、動けなくなる。ひとに頼ることにも相当の体力がいるわけで、ギリギリまで消耗しているときには、つまり一番助けが必要なときには、ひとに頼ることすらままならない。

努力の大切さを教え込まれた僕たちは、できるところまで人に頼らず自分でやり切ることの「大切さ」を身に染み込ませた。

でも、忘れがちだけれど、弱いところをつつかれ続けると人はいずれ壊れる。努力が永遠に続くわけではない。だから、大切なのは、自助努力のその先。「どこで自分は頑張るべきでないか」を知ることだ。

どこまで頑張ったら、自分は壊れてしまうのかを知ることだ。壊れてしまうのが分かってたら、ひとに頼るのが苦手だとしても、少しは声をあげれるようにはなる。体験談。


ただ一方で、自分の弱さを知るには、とことんまで弱くなることが要るのだと思う。壊れた経験は弱さへの理解を深めるから。ちょうどよく弱くあることには、かなりの熟達が必要でもある。

最初から中庸を目指せるわけじゃない。両極を知らないと、「真ん中」も分からないから。残念ながら苦しい経験が、「役に立って」しまうことがある。

少なくとも僕は、自分ひとりの努力ではどうにもならない圧倒的な困難を突きつけられてようやく、自助努力を放棄する魔法を身につけた。

でも、「つらい経験が人を育てる」という言葉が嫌いだ。だってそのたった一回の崩壊が、人生のすべてを破壊することだってあるから。

だから別に、壊れるまで努力しろ、とかいうつもりはない。

でも、つらい日々を過ごしているなら、覚えていて欲しい。あなたは弱くないということを。たいていの人間は、自分の弱さとなんて向き合わないから。

たいていの人間は、自分の弱さとなんて向き合わない。「自分の強みを活かせ」を「自分の欠点は無視しろ」と読み替えて、思考を放棄して脳みそを腐らせている人間だって少なくない。

自分の弱さに打ちひしがれたことがあるなら、自分の弱さの成分を知ってる。気負わなくていい。弱さを克服する必要も、活かす必要もない。つらい日々に無理に意味を見出す必要もない。

「弱さ」と向き合い続けて、少しずつだけど自分を許せるようになってきたよ。これがひとつの希望だと信じたい。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

最後までありがとうございました。ゆるく生きていきましょう。