耕すようにおこす
文字に起こしましょう。言葉を植えましょう。もやもやした抽象とか思考の海から世の中に蒔いてやろう。忘れたころに大きく育って巡り合えるかもしれない。
自分が忘れても、誰かの気づきになって知らないとこで茂ってるかもしれないし。
ここは紙のノートと違って誰かが常にアクセスしてて開かれている。
おれが膨らませれなくても誰かのアイディアの肥やしになるやもしれんし。
誰のノートだったか忘れたけど。なんだっけ。
「真意」について書いてたやつ。
思ったことは。本とかでしか会えないような昔の人。もう会えない人。
そういう人とでも問いとか命題とか、生きていく姿勢。そういうものを見たり読んだりして、自分の中で対話ができる。それこそ片方が死んでしまっていても。
そして、そこから気づきを得られたなら、心はもう離れない。
昔の偉人とかでもさ。影響力とか、解き明かした本質とかは今も働き続けている。誰かを支えている。
そういう意味では今もここに居る。って言ってもいいと思うんだよ。
それでー…「真意」。
真意を知ると、すげー馴染みの本とか付き合い長かった人とかでも。
「初めまして。俺あんたの事知らなかったわ。全然知らなかった。ごめん。改めて話を聞かせて。」という事を思う。思うことがあるんだよ実際。
それと同時に「ああ、もう離れない。この見つけてものは離れない」みたいな確信めいたものもなんか起きるわけ。おれが「気づき」とかいってんのはそういう経験も含むよ。
夏目漱石の「夢十夜」だっけ?とか
えーと、洋アニメの「bee and papycat」の
『好きないろは?』
『将来なりたいものは?』『なんにでも。これって答えになる?ほんとになんにでもなってみたいの』
みたいなくだりとかさ。絶対そういうことだろ?
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