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自分と他者との境界線

ここ最近noteを書けなかったが、ようやく書こうと思えるようになった。


昨年秋に妻が病気で体調を崩し始めてから、10ヶ月が経つ。

体調はまだ完全ではないが少しずつ回復してきたところ。妻の人生においてこれ以上ない、とても辛い期間を過ごしたはずだ。

その人にとって経験したことのないような大きな出来事は、一度立ち止まって振り返る機会になったり、これから自分が進むべき方向性を見直す機会になったりする。


さて、私は以前にこのようなnoteを書いた。

江戸川の河川敷でこのnoteを書いていたのがつい昨日のことのように思える。

お互いどうなれば幸せになれるのか。
この問いに対する答えは、結婚に対する考え方というより、自分の大切にする生き方を知ることにあると思っている。


そこで、あれから4ヶ月が経った今、私は1つの決断をすることにした。
それは12月まで妻とは連絡を取らず別居するというもの。


妻は実家で自宅療養しているので別居はすでにしているが、今後は妻の実家にも行かなければ連絡も一切しない。要するに、期間限定で独身に戻った気持ちで過ごすというものだ。


正直かなり悩んだが、妻の心の状態を考えて決めたことだ。
とてもじゃないが、今、妻は家族のことを考えられる状態ではなかった。



「別々に生きたいという気持ちが湧いている」という話が妻からあったのは3月の2回目の入院の時。


1度目の入院で、死を考えてしまうほど辛い経験をして、心の奥底にあった素直な気持ちや人生観がどんどん溢れてきたとのこと。そして妻から見える世界には家族の存在は含まれていないらしい。どうやらもう一度独身に戻りたいようだ。


この言葉を、妻は涙ながらに口にした。
妻にとってもとても苦しい決断だということは十分すぎるほど伝わった。
家族というくくりに固執せず、自分の幸せを考えた上での素直な気持ちなのだろう。


しかし、私にとって妻は、家族は何より大切な存在だ。そんな中初めて『離婚』という選択肢が浮かぶようになってから、私は心の置き所が分からなくなってしまった。

そのため、この話もすぐに受け止めることはできなかった。


心が冷静にならないうちは判断できない。それは妻も同様だった。
だからこそお互いの幸せのために、自分の大切にする価値観をもう一度見直す期間が必要だという結論に至った。



別居を始めて少し経った今思うことは、私には私の人生があるように、妻には妻の人生があるということだ。

どんなにおかしい理由であろうと、周囲から批判や反対を受けるようなものであろうと、人の幸せに対して、例えどんなに悲しくとも私は邪魔する権利はない。


妻の気持ちは妻のものだ。私がどんなに望もうとも、私があれこれできる領域の話ではないのだと悟った。

自分と他者との境界線。
理屈で計るものではないし、私もこの境界線を認識して考えなくてはならないと感じた。



次に会うのは12月の私の誕生日。
その時お互いの気持ちがどうなっているかは分からない。

このまま夫婦として前に進むのか、別々に道を歩むことになるのかその時になってみないと分からない。

それでも、お互いの人生にとって次に繋がる決断ができるはずだと、私は信じてその日を待とうと思う。

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