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失ってから気づくもの

もっと人に気持ちを寄り添えられたらという約1年半の出来事です。自分の心に留めておくために。


私は28歳の会社員。全国転勤がある身です。

仕事もありがたいことに1年目から新規案件に挑戦させていただいたり、全国にも回らせていただけてとても充実していました。私は根っからの仕事好きで休みの日も休みたいとは思わないほど。Wワークもしてみたいななんて思う、そんな性格。


そんな私ですが、とあるきっかけで出会った人がいました。

初めて出会った時から話が弾み、遊びに行ってもまるで昔から一緒にいたような気持ちでした。些細なことでも笑い合い、とても居心地が良かった。そんなこともあり、付き合うまでもあっという間でした。


そして同棲も経て、2018年に結婚。
同棲をしていたこともあって、生活自体に大きな変化はありませんでしたが、帰ってきて2人でご飯を食べて、1日のことを語り合い、狭い家での生活で贅沢はできないなりにもとても幸せでした。

そしてより一層、妻が大切な存在となり、同時にこの幸せを、家族を守っていかないととこの時に思ったことも覚えています。 それくらい、結婚が私の人生の中で気持ちも変化する大きな出来事だったわけです。もっともっと家族のために頑張ろう!とそんな気持ちでした。


しかし、このあたりから私の心の余裕も失われていたのかなと今になって思います。


私が小さい時から特にお金で不自由な思いをしたこともあり、結婚後の妻との生活や、将来できる子供には何一つ不自由をさせたくないという強い想いがありました。やりたいことはやらせたい、そんな環境を妻にも子供にも与えられる夫になりたいと、そんな気持ちが強かったわけです。


しかしそんな環境を与えられるほど私には給料もなかったのと、全国転勤があるので単身赴任もあり得たことが、私の中で引っかかっていました。会社でも、新婚さんや、家を買ったばかりの人が転勤というのも現実として見てきたので、今のうちに何か考えないとなと思ったのです。


そこで私は休みの日にはセミナーや講演会などに出るため外に出向き、たくさんの方に会い、何かブレイクスルーする手はないか、話を聞きにいきました。色々と試して、実際に上手くいくこともあったので良かったのですが、この時気づかないうちに私の中で変化が起こっていました。

それは『自分の思考』です。段々と考え方が変化していることに私は気づかなかったのです。


「家族でこんな生活できたらいいな」
「子供にはこんなことさせたいな」
「笑顔あふれる家庭にしたいな」


などと沢山未来にワクワクしながら最初はいたわけです。しかし知識と経験が付いてきたら段々と変わっていきます


「今からこうなってないとヤバイ、、」
「今のうちになんとかしなきゃ!」


何かに追われるような、マスト感が働いてくるような、そんな感覚です。


そんな中、結婚式の準備や新婚旅行の計画もしていてより一層過密スケジュールになります。段々と何のために仕事をしているかもわからなくなり、今だから思いますが家族に対する接し方にも余裕がなくなってきていたように思います。 何より私の考え方がより現実思考に変わってきてしまったので、人の気持ちに寄り添えなくなってきたのです。


これは私にとって凄い後悔です。妻の心の奥の気持ちにも気づけなくなってしまったように思います。

 結婚式が近づくにつれ、準備にも追われるようになり、笑い合っていた日々からケンカも増えました。何とかしたいなと思いながらも上手くいかない日々。妻には大変な負担をかけたと思います。


そして結婚式まで1ヶ月を切ったところあたりから妻に異変が生じます。元々妻は難病を患っていました。潰瘍性大腸炎です。

心優しい妻です。ケンカがストレスになり、結婚生活に抱いていた理想と現実のギャップを感じ、大きなストレスを感じていたんだと思います。この病気が再燃してしまいました。

少し休んだら良くなるかなと思って様子を見ていたのですが、なかなか良くなりません。むしろ悪化していきます。そして妻は実家近くの病院へ行き、点滴治療へ。ステロイド投与し、落ち着いてはきたものの、まだ波があります。


そして結婚式まであと1週間。当日は完治は難しいとなり痛み止めを打ちながら臨みました。結婚式は12時入り。二次会も100人規模を予定していて21時までです。とてもハードスケジュールの中の結婚式でした。


朝の調子は良かったように思いました。けれども調子の波がある。式前から妻の様子を小まめに見ながらの結婚式となりました。そんな中でも当日は親戚・同僚・友人と、本当にたくさん方が祝ってくれたこともあり、私達二人にとっても人生でこれ以上ないほどの幸せな時間になりました。

妻も身体の調子は気にしながらも、とても笑顔でいられているように見え、それが本当に嬉しかった。色々あったけど、無事にこうして結婚式を迎えられて良かった。そして妻と結婚して本当に良かったと、そう思いました。

二次会含めて21時まで続きましたが、妻の体調は悪化することなく、なんとか成功。無事に終えられ、感謝の気持ちでいっぱいでした。


妻はそのまま実家へ行き、また実家近くの病院に通院しながら治療を始めます。しかし、これでイベントは終わりではなかったのです。

その5日後には約1週間に渡る海外への新婚旅行を控えていました。それも含めて妻が楽しみにしていたイベントです。1週間も海外旅行というのは、おそらくしばらく行くことはできないとも思っていたので、何とか行きたい気持ちがあったようです。


問題の体調ですが、改善方向へ向かってきたこともあり、とても悩みました。しかし、これで夫婦イベントに一旦区切りがつくということと、体調が悪くなったら部屋の中で2人でのんびりしようと考え、行くことに決めました。

妻にとってどうしても行きたい場所があるという気持ちも尊重したいということも正直ありました。私にとっても久しぶりの海外です。折角なのでたくさん思い出を作ってこようと思いました。


旅行の内容は割愛しますが、体調が良い時も悪い時も色々あり、上手く調整しながらも何とか旅行を終えて、心から本当に良かったとこの時は思いました。また元の生活に戻ってしばらくゆっくりしようとも。


しかし、これが妻と一緒に何かをした最後となりました。


帰国1週間後、妻の入院が決まります。
症状は重症。絶食治療でステロイド投与、後に透析治療もすることになります。そして何より本人にとって辛かったのは、退院目処が立たないこと。

いつ良くなるか分からない。未来が見えない状態は本当に辛いと思います。自分の未来が暗くなっていくのは当然のこと。 妻はどんどんと元気がなくなってきました。

そんな時にこそ、今家族としてできることをしようと仕事にも打ち込み、そして妻のところへお見舞いにも行きました。


「頑張ろうね」
「早く良くなってまた元の生活に戻ろうね」


そんな気持ちを伝えながら。


しかし、今思うとこんな言葉が欲しかったわけでもなかったかもしれません。病院という場所はあまりにも閉鎖的な空間。そして毎日襲われる腹痛。自分の身体が中々良くならない中、たくさんの後悔が妻にはあったのかと思います。

それにかける言葉や姿勢によっては逆にプレッシャーを与えたり、自己嫌悪に陥らせてしまうこともあるのだと今になって思ったりもします。 共同生活の中で、私のもっと根本を変えてほしかったのかもしれません。言葉なんかではなく、行動で。


結婚生活はこれまで育った環境が違う他人との生活。ストレスに感じることも自己嫌悪になることも人によってはありますし、気持ちを抑えながら頑張ってしまう人もいる。 本当は、今の自分のことを許して欲しかったり、認めてほしかったり、帰る場所があることを感じられたり、そんな安心感が欲しかったりするのかもしれない。

家族のためにと思って将来のことを考えすぎた結果、私は考え方が偏り、人としての大切な感情や、人の気持ちに寄り添うことができなくなってしまっていたのだなと今になって思います。


妻が初めて入院してから5ヶ月が過ぎました。
一時退院しましたが、再入院。妻はまだ入院生活が続いています。

コロナの影響もあり、面会は遮断。
妻は今は1人になりたいとのことで、必要最低限の時しか会いませんし連絡も取りません。


今私は祈ることしかできません。
妻が一刻も早く元の生活に戻れることを願うしかできません。

願わくば、また元のように楽しく一緒に毎日を過ごしたい。そんな願いも叶うかは分からない。


当たり前の日常が、どれほどかけがいのない毎日だったか、今思い知らされています。この失敗を繰り返さないこと。そして人として大切なことを忘れないように、心を磨くことがどれほど大切かを痛感しています。


妻が早く元気になりますように。
そしてもう一度、家族として一からやり直せますように。

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そんな願いと自分への戒めを込めて書かせていただきました。


長くなりましたが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。

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