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「認められたい私」がまだ心の中にいる、と気が付いた私の朝ヨーガ

朝はだいたい家のことを済ませてから(犬のお世話は夫にお願いしている)約1時間と少し、体をほぐしたり、ポーズをしたり、呼吸法や瞑想、ジャーナリングをして、たまにお祈りもして、まあ、その日の気分でメニューを決めて自分自身を整える時間を持つ。
(これら全てを含めたものが「私の朝ヨーガ」である)

仕事に行く前に朝ヨーガの時間を持つことは、実はけっこう昔からやっていて、かつて外出恐怖症であった私にとって、これらの行為は「無事に帰ってこられるように」という祈りそのものでもあった。もはやこれをしないと出かけられないという強迫観念のようなものに近かったのかもしれない。

そして、今朝、土曜日の朝はCore塾での瞑想会に参加。
いつものように呼吸法、瞑想、ジャーナリングをして、さあて久々の土日休みを楽しもうかな。。。というところで、自分のノートを見て驚いた。

「もっと認められたい」
「もっと評価してほしい」
そんな言葉を私は書き綴っていた。

ああ、仕事のことだ。
もう来年には手放したいと思っていた会社での仕事のこと。
ちょっとイレギュラーな案件があって気になっていたからかな。

会社の仕事にはそれほど執着していない、いつ辞めてもいい、そんな風に思っていたし、口にもしていたけれど、やっぱりいろんな感情に引っ張られているんだなあと改めて気が付いた。

まず私の中にそういう気持ちがあることを知る。(言葉になって出てきてくれてありがとうという気持ち)
それは決して良いとか悪いとかではなくて、ただ「あ~、あるんだねえ」と、認めてあげる。(頭をなでなでしてあげるくらいの愛情をもって)

さあて、この感情とどう向き合うか。
見なかったことにしてスルーしてもいいのかもしれない。
でも、「あるものはある」
せっかく表に出てきてくれたんだものね。

自分なりに、このノートを見つめながら思うことは、
「結果に執着せず、自分の役割として今はただ会社の仕事に従事し、この『認められたい私』という葛藤を乗り越えていけ」ということ。

つまり、私が私のやるべきことを淡々と行うこと。誰のことも評価しないし、誰からの評価にも影響されない。そうやって自分の役割を果たしていくだけ。
もう大丈夫だよっていう一番わかりやすいサインは、おそらく私の口から会社への不満が何も出てこなくなったときだろう。その時を静かに待ってみよう。

これが全体から私自身に与えられたダルマ(義務、お役目)であるのなら、もうそれはただ受け入れるしかない。
それは、仕事の内容とか、休みや給与とか、人間関係とか、そういう類の悩みではないってこと。あくまで私自身の心の在り方の問題。

そうして、「認められたい私」が消え去ったとき、本当の意味で私は次のステップへと進んでいけるのだろうし、全体の調和のためにできること、与えることにやっと力を尽くせるのだと感じている。

あぁ、先は長いなあ。。。


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