CHIHARU|ヨーガと共に生きる

日々の行いをヨーガに|ヨーガで自身のよき観察者となる

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最近の記事

ついに社長に慈しみを感じるようになってしまった。

土曜日の出勤、のんびりした午後。 社長が私のデスク横を通った。 一瞬のことだけど、今までに感じたことのない、慈しむような気持ちが生まれていた。 なんだこれ。どうした私。 社長はおそらく80歳前後。 (詳しくは知らない) 先日まで入院していて、退院後さらに元気になったと聞いてはいたが、姿をみたのは久しぶりだった。 正直、面接で少し話したくらいで、社長のことはよく知らないけれど、細かなルールで縛る慣習や、圧倒的な休日の少なさ、朝令暮改でみんながアタフタする様子をみていて、「な

    • 「全てはブラフマンである」を実践してみた。

      インド哲学を学ぶグループに参加している。 と言っても、リアルタイムでのミーティング参加はいまだハードルが高く、アーカイブ受講とコメントでのやり取りが中心だ。 今回はバカヴァッド・ギータ第10章 「バガヴァーン(全知全能者)の輝きについて」というテーマだった。 内容は私ではうまく伝えられないので省くけれど、とにかく「全てはブラフマンである」この一言に集約された世界観を存分に楽しむことができた。 ガイド役のYさんのおすすめは、散歩に出たときに「あれもブラフマン」「これもブラ

      • 評価する側とされる側

        4月になってはや1週間。 新しい職場で新しい仕事に取り組まれている方も多いはず。 みなさまお疲れさまです。 思えば3年前の4月1日、私は今の職場に転職した。 何度かnoteにも書いたけれど、どうしても正社員になりたくて、居心地のよかったパート先を辞めて移ったのだった。 最初は力が入っていたと思う。ここで頑張らなくては!と。 でも、3年も経てば会社の力量もわかってきて、私がどのタイミングでどのくらいの力を出せばいいのかも掴めてくる。 何と言っても、私には帰宅後2匹の犬の散歩と

        • 理想の未来を具体的に描けるようになったら、たぶんそれは叶うと思う。

          「今、1億円と1年間の自由時間を手に入れたら、あなたは何をして過ごしますか。」 そんな問いを自分自身に向けてみた。 まずは旅に出たい。国内外問わず、気の向くままに。 海外でアーユルヴェーダの施術を受けたり、アシュラムでのヨガ修行にも参加したい。 自然あふれる場所に古民家を借りて犬たちとのんびり過ごす。ヨガと犬が好きな人たちと交流する。 毎日ヨガと瞑想をする。 本と映画漬けの日々を送り、文章も書きたい。 野菜を育てて、ベジタリアン生活に突入したい。 岡山と東京を行

        ついに社長に慈しみを感じるようになってしまった。

          「好き」は執着を生む。取り扱い注意案件だ。

          突然の告白、失礼します。 わたし、「くらこん塩こんぶ」が好きだ。 (塩こん部長さんのやつ) 台所にもストックがあるし、 実はストックのストックとして 自室にも隠し持っている。 出来れば私が死んだとき 棺桶を塩昆布の袋で埋めてほしいと 密かに願ってもいる。 無くなったらどうしようという不安と常に闘っているから、夫に不用意に食べられると、猛烈に腹が立つ。 「私の大切な塩昆布を軽い気持ちで食べないでほしい」 心の底からそう訴えているのだ。 何が言いたいのか。 そう、「好き」は

          「好き」は執着を生む。取り扱い注意案件だ。

          心のザワツキが教えてくれたこと。

          ずっと心が揺れていた。 そして、疲れていた。 詳細は避けるけれど、 毎日の勤務時間が30分延びた。 勝手な変更を許せない と思う気持ちがずっとあって、 愚痴が止まらない。 仕事にも集中できず、 いよいよ転職かな、 と考えてみたり。 何がそんなに嫌なのか、 私の中の何が反発しているのか、 この出来事は私に 何を教えてくれているのだろう。 やっとそんな風に考える余白ができた。 そして、私は思い出した。 この会社に転職したときのことを。 私は長く専業主婦で、 パートを始めてか

          心のザワツキが教えてくれたこと。

          罪悪感(未遂)との闘い

          インド哲学を学ぶグループでの瞑想会で「罪悪感を手放すこと」についてのシェアがありました。 今回の地震による被災者の方々が苦しい思いをしているのに、自分は温かい場所でゆっくり眠ることが出来ている。そこへの罪悪感。 そういうお話だったのですが、どんな罪悪感ももしかしたら元々は同じ思いから来ているのかなと、個人的に感じたことを書いてみたくなりました。 ちなみに、いまの私の罪悪感(未遂)は会社を辞めるかどうかというもの。 「辞めたら同僚に迷惑をかけるかも」 「家計の面で家族に迷

          罪悪感(未遂)との闘い

          「決断」に必要なのは手放すこと、委ねること

          昨年末12月30日、2匹目の保護犬を迎え、 先住犬との相性を見るためのトライアルが始まりました。 慣れない環境で2匹が体調を崩したりしないかな、と心配していましたが、特に大きな問題もなく、無事、正式譲渡となりました。 2匹目を飼うにあたって 先住犬との相性、時間のやりくり、 世話の分担、かかる費用など ある程度のハードルはクリアできていましたが、なんとなく最後の決断ができないままでした。時間だけが過ぎていく先延ばし感。 先住犬との顔合わせやお散歩も問題なく、夫婦ともに我が

          「決断」に必要なのは手放すこと、委ねること

          ブランコから見えた景色

          夫とブランコに乗った。 ハイジのブランコみたいな名前の、高台にあって、ちょっとしたスリルを楽しむというやつ。ブランコが特別好きなわけでもないけれど、その日は素直に乗ってみようと思った。 係のおじちゃんが手で押してくれて、もうひとりのお兄さんは預けたスマホで写真まで撮影してくれる。 子どもたちはもう家を出ているし、最近は夫と犬さんの3人で出かけることが多い。昔、子供たちを連れて出かけた場所を、懐かしく思いながら楽しむことも増えてきた。 子供を連れて出かける遊園地や公園は

          ブランコから見えた景色

          肩書きへの執着を捨てる

          肩書きに縛られた人生だったように思う。 「学生」を卒業し、 「会社員」となり、 「専業主婦」「母」を経て、 「パート勤務」から「正社員」へ戻る。 特に「専業主婦」の時代は苦しかった。 身動きの取れない環境を言い訳にして 必死に自分を取り繕おうとしていたから。 何としても「正社員」の座に戻りたかった。 勢いでつかみ取り、今も続けてはいるけれど 本当にこんな生活を望んでいたのか、 意地になっていないか、 自問自答を繰り返す日々。 実はこの半年間コーチングを受けていた。 (今

          肩書きへの執着を捨てる

          人生のお知らせが届く

          11月は 「普段しない活動をあえてする」をテーマに インド哲学の勉強会に顔出し参加したり、 クラシックギターの演奏会に出かけたり、 東京でヨガのレッスンを受けたり、 アーユルヴェーダの施術を受けたり、 と仕事の合間を縫って 忙しい毎日を過ごしていました。 タマスに傾く心を、ラジャスに向かわせる 自分なりのバランス調整です。 中でも一番大きな影響を受けたのは、 東京のヨーガ学院で先生たちに お会いできたこと。 「私はここにいていいんだ」 直感的にそう感じました。 この半年

          人生のお知らせが届く

          ヨガを体験しに東京へ~オンラインからリアルへ そしてまたオンラインへ

          2023年11月24日、念願だったヨーガ教室を訪れるため東京へと向かいました。 ヨガと自分自身に向き合うだけの旅。 今の自分の立ち位置とこれから進むべき道を確認する旅。 自分の制限を取り払う今回の旅は今まで自分に課していた制限を取り払うためにあえて計画したものでした。 「ヨガの為だけに新幹線で4時間かけてレッスンに行く」 私にとってこの壁はとても高かった。 お金、時間、家族、自分の能力 すべて自分が勝手に作っていた制限だよ 私はいつだって自由だよ それを確かめたかった。

          ヨガを体験しに東京へ~オンラインからリアルへ そしてまたオンラインへ

          人生は「イス取りゲーム」ではない。みんなの椅子、ちゃんとあるからね。

          眼科の駐車場にて 私と同じタイミングで3台の車。 我先にと急ぐ自分の姿が自動ドアに映り、滑稽に思えた。 受付時間中なのだから必ず診てもらえるのに。 「誰に勝とうとしているのかな、私」 椅子取りゲームする気満々だな。 大学生のときの就活を思い出した。 今思えば超氷河期で、内定なんてどうやってもらえるのか全く見当もつかなかった。焦っていた。誰に相談していいのかさえ分からなかった。 当時は大学入って、まじめに勉強していたら、4年生で卒業する時には就職先って勝手に決まっているんでし

          人生は「イス取りゲーム」ではない。みんなの椅子、ちゃんとあるからね。