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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第14回 五百羅漢があらわれた!

(44)さあ、もう目と鼻の先だ。天寧寺を拝みに行こう。阿弥陀佛(オーミートゥオフォー)!

(45)わが食道街にして胃袋の新朋友、麻巷を過ぎて延陵中路(イエンリンジョンルー)を横断したところに、その境内は広がる。唐代に開山、のちに北宋のとき現在の寺号となった。現存する大寶雄殿・普賢殿・金剛殿・羅漢堂などは清代のものだが、やはり文革のときに破壊、のちに修復されたという。ちなみに、江南地方が大のお気に入りだった清の乾隆帝は、北京からわざわざ三度もこの天寧寺を訪れている。さて、現時点で読者諸兄の大部分はご案内がないと思うが、この禅寺にはなんと高さ153米の仏塔が鎮座する。2007年に完成した、ピッカピカの十三重の塔である。名を天寧宝塔という。ぼくは、数年前に上海の書店で求めた『尋找中国最美古建築・江南』というガイドブックによってその存在を知った。精緻なカラーイラストが豊富で取っつきやすく、おまけに手ざわりの良い、なかなか実用的な観光攻略本だ。日本人にもなじみ深い江南エリアを対象に、有名な歴史的建築スポットが二十カ所ほど紹介されている(ただし再建ものも含まれる)。たとえば、世界遺産に登録されている蘇州の拙政園や留園、あるいは無錫の錫恵公園、南京の秦淮河風景区とまあ、そんなラインナップである。そのなかで見つけた驚愕の「超高層」仏塔が、この天寧宝塔であった。他の由緒正しきスポットとはなんだか毛色が違う気がしたが、これもご縁である。近くに泊まっておいて素通りする法はない。そう理由づけて、てくてく此処までやって来たのだ。

(46)中国の禅寺らしく、鮮やかなイエローの壁に出迎えられる。この色がほんとうに眩しい。思えば揚州大明寺(西暦754年に渡日した鑑真和上ゆかりの寺)の山門も、蘇州寒山寺(蘇州夜曲の詞のなかで鐘が鳴る寺)の照壁(しょうへき)もそうであった。鎮江金山寺にいたっては、大小さまざまな様式の伽藍(がらん)によって、山がまるごと真っ黄色に染められていた。あれは壮観だった。日本で生活していると滅多に出会わない、積極果敢な色づかいだ。そしてこういう場所へ来るといつも、ぼくはこの「黄色の衝撃」をまともに受け、ついでにブルース・リーや少林サッカーのどぎついコスチュームを思い起こすというルーティン思考を脳内で走らす。ついでに余談だが、井上靖原作の『天平の甍』が文革終結後の1980年、熊井哲監督によって映画化されたが、大明寺が登場する最初のシーンがやはり、黄色の山門を捉えたものであった。あれも、なかなかインパクトのある映像だった。

(47)售票処(ショウピアオチュー、切符売り場)で20元を払って入場する。チケットには大仰(おおぎょう)にも、「香花券20元、千年古禅寺・神州大佛塔、国家4A級旅游風景区」などと書かれている。国家4A級とは中国国家旅游局による名勝旧跡の格付けで、最高が5Aである。緑濃き境内を進む。大寶雄殿には赤銅(しゃくどう)の仏像が何体もならんでいて、それは豪勢なものだった。殿内を移動して裏にまわると、天井まで届く極彩色レリーフが垂直に屹立している。おもに青、緑、茶に塗られた壁には、太陽や雲や象をかたどった物のほか、おびただしい数のちっちゃな神様たちがじつにファニーな表情をして、それぞれの持ち場(くぼみ)に納まっていた。そういえば、鎮江金山寺にも似たような装飾があったが、なにか故事因縁の数々を表したものだろうか。境内では、ほかに金ピカの五百羅漢や日時計の役を果たした石板を参観した。羅漢さんはみな服装、髪型、顔つき、表情、姿勢、動作すべてが異なり、じつに個性的で(たいていはヘラヘラ顔である)、彼らが階段状に四段構えで回廊のガラスケースにならぶさまは圧巻だった。東京の街ナカ駅ナカにこんな多幸感に満ちた、のんきな像があふれていれば、重苦しい日本人の顔にも笑顔が増えるだろうか。ふと、そんなことを考えてしまう。

延陵中路。ガードレールが多いのは、車道中央にBRT(後述)停留所があるため。
BRT(Bus Rapid Transit)=バス高速輸送システムの停留所
大雄寳殿(本殿)。手前左は「日晷」という名の日時計。
ノリノリな表情の羅漢像。

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