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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第66回 武漢少女と憂国詩人 ─東湖後編─

(47)さて、園内に「瀕湖画廊(ピンフーホワラン)」という楼閣がある。いわゆる演芸用舞台、戯台(シータイ)ではないが、その伝統的建築の正面におそろいの古装を召した女子が十数名、集合していた。遠目からは白一色の漢服に見えたが、近づいてみると、これが刺繍の施された薄桃色の衣装である。そして袴(はかま)部分は薄衣の空色。首元が詰め襟(えり)になっているのは、旗袍(チーパオ=チャイナドレス)を意識したものだろうか。みな二十歳そこそこに見える。彼女たちは、最初キャッキャとおどけていたのだが、やおらフォーメーションを組んだかと思うと、突然流れ出した二胡とピアノの音色、それと男声バラードに合わせて華麗に踊り出した。青と黄色の透けるほど薄いスカーフを手に、フィギュアスケーターのような手の動きを繰り返したかと思えば、着物の裾(すそ)を翻(ひるがえ)しながら回転したり、しなをつくったり。クラシックバレエのような足取りで立ち位置を変えたり、あるいはグループごとに時間差で演技したりもする。息ピッタリの演技が続いた。その間およそ3分弱。曲が止まると、控えめな決めポーズで舞が終わった。へえ、なかなか綺麗なものだ。舞台下では、友人らしき女子が2名、さらに三脚を立てて撮影している男の子が約5名、この様子を見守っていた。演技指導するような大人はおらず、どこかほのぼのとした自主サークル風である。あとで編集でもかけて、オリジナルのミュージックビデオを投稿するのだろうか。よく中国の学生生活というと、勉強中心の毎日で日本のような部活動が存在しないと言われる。そんな背景もあって、当人たちはこうして工夫を凝(こ)らし、文化祭感覚の「理想のオフ」を過ごしているのかもしれない。ご興味のある方は、ぜひ中国各地の街角や公園、またはSNSなどで探してみてください。

  武漢の少女 東湖のほとり
  銀簪(ぎんしん) 碧紗(へきさ) 秋風とたゆたう
  群舞(ぐんぶ) 踏み尽くして いずれの処にか遊ぶ
  笑って入(い)るは イケメンの酒吧(バー)か
  *原詩「少年行」 五陵年少金市東 銀鞍白馬度春風 落花踏盡游何處 笑入胡姫酒肆中

唐の時代、長安の北にある五陵の裕福な若者たちが歓楽街をひやかし、エキゾチックな美女の酒場へとなだれ込む。李白さんの有名な詩である。いま、時代劇風の衣装で優雅に踊っていた子たちが、今度は私服で夜の街へ繰り出すのを想像し、替え歌にしてみた。銀色の簪(かんざし)、碧(あお)い薄衣がひらひらと舞っていた様子を添えて。

(48)しばらく湖上の堤を歩いていくと、楚の詩人・屈原(前340?―前278?)の像と出会う。これが妙に写実的で目力がある。屈原といえば、悲憤慷慨のため汨羅江(べきらこう、湖南省)に身を投げたくらいだから、どうしても悲劇的なイメージがつきまとう。また、ぼくとしては横山大観の日本画「屈原」の鬼気迫る顔が先入観としてあるので、初めはピンと来なかったが、よくよく見れば、こちらの若々しい表情と優雅な立ち姿もいいなと思う。高い台座の上に立ち、真っすぐ遠くに視線を当てている。そんな彼は、現在の武漢をどんな風に見つめているのだろう。もちろん、数千年前の『楚辞』のなかの「離騒」、「漁夫之辞」といった詩と眼前の東湖の情景が重なるわけでもない。ぼくがいま立っているのは、ごく平和な憩いの場だ。でも此処(ここ)にいると、武漢市民が屈原その人を敬愛してきたこと、そして、屈原ゆかりの東湖を見つめながら心を癒してきたであろうことが見えてくる。物好きなぼくだって、この先汨羅までは行く機会はないだろう。となれば、武漢の人々と同様、ここで彼に最大限の敬意を表して立ち去ることにしよう。ぼくは屈原像を仰いで黙礼し、散策を再開した。ところで、園内には屈原記念館という施設があったのだが、本日月曜休館とは気づかず、無念にも門前で引き返す。うまい具合に計画変更したと思ったが、油断するとこういう落とし穴がある。ぼくは屈原像そばの行吟閣に入った。これは新中国成立後の1955年に建てられたコンクリート製三層の宝形造りで、緑色の瓦を葺(ふ)いた三重の飛櫓が特徴的である。なお、行吟の語は屈原の詩句から採っている。閣内の螺旋(らせん)階段で上階へと上る。一階は柱を除いてほぼガラス張りだが、二階三階は下部が胸の高さまで白壁、上部は中華風意匠の窓格子にガラスが嵌(は)まる。どこか中洋折衷へのこだわりが感じられる。二階ではデート中の年若い二人がぴたり寄り添って、湖を眺めていた。ぼくは静かに三階へと上がり、光り輝く絶景を独占した。この窓越しの東湖の景色は格別であった。経験上、かような場所では幾何学模様の窓枠がしゃれたフレームとなって、たいてい自分好みの写真が撮れることになっている。ぼくは窓の開き具合や角度を調整して、青い湖面と木立と高層ビルが重なるさまを数枚撮影した。それから、カメラをしまって窓枠に肘をついた。風は凪(な)いでいるが、眼前の雄大すぎる眺めに自然と意気が揚がる。諸葛亮ではないが、意のままに風を起こせるような気さえした。

(49)その後、東湖始発の14路バス(2元)で2公里(キロ)半ほど南下して、李白の像が建つ放鷹台を見学。この地で李白が鷹を放ったという伝説がある。高さ13米(メートル)におよぶ巨大な詩聖・李白像が、西日で煌(きら)めく東湖に向いて建っていた。まさに空を見上げて鷹を飛ばす体勢で。当地が整備されたのは今世紀に入ってからのことで、別にどうという場所でもない。が、なんといっても、神さま仏さま李白さまである。素通りするのも忍びないと参詣気分で立ち寄ったのだ。駆け足で中国詩人を訪ねまわる、午後のひととき。さあ、パワースポットで充電完了だ。つつがなく挨拶を済ませると、ぼくはそのまま白鷺街(バイルージエ)を歩いて西進し、約15分で楚河漢街へと到る。

指導・監督する大人もいない、趣味サークルといった雰囲気。
最初のポーズはこんな感じ。音楽と踊りが始まるところ…
引き続き湖畔の遊歩道を歩く。すれ違う人々の年齢層も様々。
最初に出会った凛々しい屈原像。後ろがあとで上る行吟閣。
あいにく記念館は休館日。こちらはイメージ通りの表情をした屈原像。
行吟閣の1階。外観からは想像できないモダンな構造と意匠。
行吟閣の3階より東湖を望む。歴史と未来に思いを馳せる贅沢な時間。
放鷹台の李白像。ライトアップされた姿も見たかった…
白鷺街の歩道から楚河(東湖と沙湖を繋ぐ人工河川)を眺める。
楚河に架かるメルヘンチックな橋。奥に見えるのが楚河漢街のエリア。

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