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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第42回 早朝の誦経グルーヴ

(47)迎えた三日目も、朝から日差しが強い。この日は章華寺、万寿園、長江、そして荊州城内の三義街、鉄女寺、玄妙観をたどり、明るいうちに高速鉄道で武漢へと移動する。長江を見たあとで、昨晩とおなじ万達(ワンダー)広場で昼食をとる予定だ。早々にホテルを辞して、名刹・章華寺へGO!

(48)現在の荊州が、かつて江陵と呼ばれたことは先に書いた。その江陵とは、もともと荊州古城のあたりの地名で(現・荊州市荊州区)、これに対して城の東方にある港町の名を沙市(さし)という(現・荊州市沙市区)。19世紀の英国人旅行家、イザベラ・バードが著した『中国奥地紀行』にも、長江を遡上する旅の途中でこの沙市の名が登場する。彼女は「川を上る時にも下る時にもこの町に好感を抱けなかった」などと述べているが、その一方で当地の状況をえらく克明に記録している。すなわち、長江の堤防、水上生活者、地理概観、軍事上の位置づけ、陸上・水上輸送、流行病、魚市場、教会施設、日本の貿易業者、綿布・原綿・絹織物などの地場産業、通貨と為替などについて(なんという有能さだ)。そして午前中、ぼくが周遊を計画しているのは、この沙市のエリアである。実際に、いざタクシーに乗り込んで走り出してみると、昨日歩きまわった荊州城内外とは明らかに趣が異なる街区が広がっていることに気づいた。まだ数百米(メートル)離れているため長江の雄姿こそ見えないが、幹線道路沿いの風景には、どこはかとなく港町特有の雰囲気がただよう。うまく言えないが、われらが首都圏ならば川崎や横須賀と似た空気があり、中国ならば厦門(アモイ)や深圳(しんせん)の海辺、あるいは長江上流の重慶の街を思い起こす、そんな車窓の眺めである。地元の定住者だけでは生み出せない、外地人に誘発された開放感と荒っぽさ、そんな空気が濃密に立ちこめているように感じられた。

(49)章華寺は元代の泰定年間、1325年ごろの創建で、湖北三大叢林(そうりん)の一つに数えられる(あとは武漢の帰元禅寺と当陽の玉泉寺である)。建物の多くは清の時代に重建されたものだというが、この地はそもそも、紀元前6世紀の楚の遺構とされる高台。荊州きってのパワースポットといってもよい。口コミサイトでは、厳かな伽藍の写真が数多く投稿され、また水陸法会(ほうえ)なる中国仏教の大行事も紹介されていた。いわばハードもソフトも、昔ながらの情緒と慣習を残した、霊験あらたかな寺に違いない。そう確信してやって来たのである。そして門前に到れば、すでに山門からしてキテる。幅広い石段の上に屹立する、まさに壁のごとき門は、下部が臙脂(えんじ)色で二層の楼閣を戴(いただ)く偉容である。左右に目をやると、わりと最近出来たようだが麒麟のような獅子のような、とにかく背中に羽の生えた物凄い神獣が配され、この金ピカの像がまた破格のサイズである(台座をふくめると4、5米の高さがある)。ひっくるめて、威圧感満載の城塞のごとき外観。おずおずと身構えて足を踏み入れる。

(50)朝の境内は人もまばらで清々しい。広々として、またよく整備されている。黄土色の作務衣(さむえ)を召した僧が、スコップ鍬(くわ)をもって歩いていたりもする。そして、伽藍は壮大なれどもごく保守的な増改築が施されており、けっしてエキセントリックな進化系でないところが、ぼくを安心させた。とくに本殿たる大雄寶殿は高さ15米はありそうな三層の楼閣で、上部へのすぼまりが小さく、また屋根が短い。ために寸胴(ずんどう)な外観を呈して、重量感たっぷりである。そんな堂々たる殿宇を見上げていると、横手の方丈から誦経(ずきょう)の声が耳にとどいた。もちろん、中国風の抑揚の利いた賑やかなお経である。近づいていくと、室内に大勢の人影が映っている。間近に来て、やっと様子が知れた。熱心な高齢の信徒たちが、経を読みながらお堂の中をのそのそと右回りに周回していたのである。内部では壁のあちこちに阿弥陀仏のポスターが貼られ、太鼓や仏具が置かれている。柱には「老實念佛(誠実に念仏を唱えよ)」と書かれた、だれかの筆書きが掲示されている。これが如何(いか)なる法会または習慣なのか、いまだに分からないが、およそ30名ほどの人々が静かに祈りの時間を共有している光景は、たしかに圧巻であった。旅先で寺に立ち寄り、このような敬虔な信徒のすがたを認めると、つられて自然と心が穏やかになってくる。どうにも勝手な順序だが、それがまあ、平凡な観光参拝者の心理だろう。初めはとかく歴史的・芸術的価値といった先入観にとらわれ、意識高き旅客の仮面をかぶりたがり、あるいは画的に映える景物をまめまめしく探してしまうところ、それが素朴な祈りの風景と出会うことで力みが解(ほど)け、もの視る心も補正される。さらに、中国の仏閣の現世離れした空気感や仕様、それにグルーヴ感に満ちた読経の魔力も加わり、いつのまにか主客(しゅかく)ない交ぜになって祈りの歴史に思いを馳せてしまう。それが日ごろ信心深いとはいえぬぼくの、なんとなく思う、中国寺めぐりの醍醐味である。

(51)境内には鐘楼があり、鼓楼があり、七層の観音菩薩甘露宝塔があり、蓮花池があり、釣り鐘があり、梅と銀杏(いちょう)の古木があった。1994年にここを訪れた仏教学者の鎌田茂雄は、池には蓮の花が咲いていたと記すが、いまは金属製の蓮が水面に浮かぶだけである。美しい玉仏二体を安置した方丈もあって、手前が坐像、後ろに涅槃(ねはん)という組み合わせ。坐像の、白くふくよかで穏やかな表情と、右手を脛(すね)の方に垂らしたユニークな格好が印象的であった。これが遠く緬甸(ミャンマー)から贈られたという玉仏だろうか。引き返して行くと、大樹の木陰に僧たちが腰掛けている。手前の者はねずみ色の僧衣に足元はナイキのシューズ、手にはスマホを持ち、ゲームでもしているのか、じっと視線を落としたままである。他にも、大量の僧衣を金だらいで洗う者、伽藍(がらん)の回廊で坐禅を組む僧、大きな砂場に入って線香を捧げる参拝者などを見かけた。境内の電灯にはソーラーパネルが付設されるなど、湖北を代表する古刹の点景にも、さりげない21世紀の風趣が感じられた。ともかく、かようにして滞在約40分、ぼくは思いがけず朝の癒しのひとときを堪能した。章華寺のみなさん、ありがとう(最後に山門の神獣に敬礼!)。またタクシーを拾って移動する。

山門の裏のエリア。境内は美しく舗装・整備されている。正面は鼓楼。
サイズ、形状とも重量感たっぷりの大寳雄殿(乗用車が小さく見える)
高齢の礼拝者たちが経を唱えながら室内をめぐる。
大規模な寺院だと僧坊エリアで見られる洗濯風景だが…
木陰でご休憩タイム(手前の僧は水滸伝の魯智深並みに強そう)。

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