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自己について 2021

 自己は他者を認識することで始まる。他者を持たない自己は想定できない。
 自己とは他者との関係である。自己は他者に対する自己としてしか捉えることはできない。自己は自己自身を他者化することで自己と自己自身の関係を創り出す。つまり、自己と自己自身の関係とは内面化された自己と他者の関係であり、内面化された他者の視線との関係である。自己は他者との関係の中で自己を確立する。他者も同様に他者の他者との関係の中で自己を確立する。よって自己にとっての他者が変化することで自己も変化していく。他者が変化することで自己にとっての他者も変化する。構造主義的?我々は関係の中の一つのピースでしかないのか?しかし、互いに影響を与え合うピースとして?

 我々は意図的に自己以外の他者や事物を自己の意識から取り払うことはできるが、他者と事物を自己の意識から取り払っても、自己は自己自身という他者を内面化された関係を持っているのであった。そのため結局、他者との関係を取り払うことはできないことになる。自己と他者との関係が多くなあるにつれ自己は変化していき、自己はそれ以前の関係に縛り付けられていくことになる。死によっても他者や事物との関係は断ち切ることが出来ない。むしろ死によって我々は他者や事物という世界に永遠に括り付けられしまう。弁証法的?動的である?

 すべての他者や事物【過去や未来、経験することや経験しないものすべて】に、関係可能であるという関係【間接的関係】として自己に関係している。しかし、我々が直接に関係する他者や事物は間接的関係の中の一部である。この間接的関係を直接的関係として誤って捉えること(間接的関係をすべて直接関係できるとすること。これは神の視点とも言えるかもしれない。神はすべてに直接関係することができる。そしてすべて直接関係できるということはすべてが相対化され、他者や事物の価値は無効になる。しかし、そのことによって神自身は自らに価値を付加する。しかし、神なき我々にとってはこの視点はあり得ない。)で可能な関係【間接的関係】であるものの中に不可能な関係というものがあるということを見落としてしまう。
自己にとって関係可能であるすべてに自己が関係するのは永遠を関係するのと同じである。つまり、自己にとって関係可能であるすべてに自己が関係することは不可能である。よって、自己にとって価値とは相対的であり絶対的である。
 自己以外のすべての事物と関係することができるが、結果的にはすべての事物と関係することはできない。

 自己の内部のみの関係で生じるとされていた欲望についても、自己の内部の関係自体が他者を内面化した自己であるため、他者との関係において生じるものであるとわかる。

 自己の意志についても他者と関係することで生じもし、変化もする。

 他者を内面化する場合に自己はどのように他者を内面化するのか?
 自己と他者との関係をどのように自己は評価し判断するのか?評価基準や判断基準は?
やはり、これも自己は他者との関係において学ぶのか?美的な基準は?
これも他者との関係によって決まるとしたら他者との関係自身も他者との関係によってどの関係を選択するかが決まり、それによって全体的な自己の根本的な自己の価値も他者との関係によって決まることになる。自己のみで存在する自己がそもそも存在しないので、自己のみの意志も存在しない。自己と他者との関係による意志しか存在しない。自由意志も自己のみで選んでいると思っているだけで自己と他者との関係によって決まっている。

 では、自己と他者との関係とはどのようなものなのか?
自己は他者を認識することによって生じる。自己は他者をどのように認識するのか?
 自己と同じ人間としての他者、自己と違う自己を持っている人間として他者を認識する。自己を表明、表現することで自己を認識、理解されることが可能であり、それを望むことができるものとして認識する。

もはや、自己とはいえない粒子の群として、一時的な集合体、それは常に結合と分解を繰り返しており、動的な集合体である。構造的相転移のようなもの。常に動的であるということは常にエネルギーが供給されている状態であるということである。

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