現代の日本教育が抱えるジレンマ ー 手段と目的の破綻

#哲学 #教育#初投稿 #目的 #目的論 #高校生  



はしがき

皆さん初めまして。RainbowWaterと申します。
この記事を書いた時点では、私は某進学校に通っています。
日々の学校生活を送る中、ある違和感を抱き始めました。
私の学校では課題を沢山出されます。別にそれ自体悪いことでは無いのですが、教師の言葉で漠然とした違和感は確証に変わりました。(人によると思いますが、このことを言っている教師がいたという事実には変わりありません。)
「課題をやらないで損をすることはない」
「大学に受かるために課題をやるべきだ」
全否定はできません。確かに、課題をやることによって大抵の場合はその中で学習した部分を習得し、大学受験に向けた勉強の一部となるでしょう。

…その課題がみんなにとって必要であると思っているのでしょうか。
課題をやる必要がなければそれまでです。むしろ、自分にとって本当に必要な学習をするべきです。
知識や教養は、解決しなければいけない問題が実際の社会にあるから、そのために備える武器として身につけるものです。そして、それは使う本人にしか価値を見出すことができません。馬を水辺に連れていけても、水を飲ますことができないことと同様に、生徒を学校に連れていけても、学習をさせることはできません。

このような矛盾を孕んでいる学校が存在していることに、疑問を感じました。勉強に意識が向きすぎることによって生じる問題は、私が体験した事例以外にも、たくさんあるようです。

そういうわけで、現代の教育を蝕む、漠然としていて、自明であるかのような価値観に反駁すべく、(自分の思考を整理するためでもありますが、)私の考えをできるだけ解像度が高くなるように書いてみました。
初めて自分の思考を長文に落とし込むので至らぬ点もあるかもしれません。指摘点があったら教えていただけると助かります。
拾いきれない具体例の解説やエビデンスの補強に使わせていただいた情報の引用元は記事の最後に載せます。

また、全てを網羅するのは大変だと思いますので、主要な項目は<>で囲い、大事な箇所は太字で強調しました。少なくともそれらの項目だけは読んで欲しいです。

導入

<現代日本における教育の問題点>

私はこのようなことを耳にしたことがあります。
高学歴ニート [1]
将来の夢がないことによる進路への悩み(33, 34, 39p) [2]
夏休みの宿題で出される自由研究の形骸化 [3]
ギフテッド教育の未普及 [4]
もちろん、これ以外にもさまざまな問題があるとは思いますが、私の中ではこれらが特に印象的です。各個人の目的を達成するために学習をするはずなのに、勉強をすること自体が目的になっているかのように思われます。そして、勉強に使う時間と身につけた知識を有効的に使えなければ、無駄としか言いようがありません。
今回はなぜこのような問題が生じるかについて考察していきたいと思います。

目的なくして手段なし

<目的、目標、手段の定義>

実際に教育の問題点について考える前に、まずは目的と目標、手段について確認していきます。そうすれば、問題の原因をより深く理解することができるでしょう。

まず最初に目的と目標、手段の意味を調べます。
辞書には以下のように意味が書いてあります。
・目的 → 実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。
・目標 → 行動を進めるにあたって、実現・達成をめざす水準。
・手段 → ある事を実現させるためにとる方法。てだて。
このことから、あることを実現する際、目的が最終地点、目標が中間地点、手段は目的および目標を達成するための方法になることが分かります。

<目的、目標、手段の関係>

次に、目的、目標、手段の関係について考えていきます。

前述で調べた意味より、目標は目的を具体化したものと考えることができます。また、目標を達成するためには、相応の手段を揃える必要があることがわかります。
つまり、目的を達成するためには、まず目標を決めて、必要な手段を理解するところから始めなければなりません。

一度に目的を達成するための手段を把握し、実行するのは困難ですので、大抵は目標を定めます。最初の目標から達成していき、徐々に次の目標、その次の目標へと上がっていけば、いつの間にか目的を達成していることに気がつくでしょう。
つまり、目的を達成するには、ほとんどの場合、目標を達成することになります。また、前の目標の達成は、次の目標を達成するための手段となるのです。

例えば、PDCA, DCAPサイクルには、手段と目標の関係が反映されています。違いは手段を理解する過程だけで、目標を達成するためにそろえた手段を実行する点で両者は一致しています。そして、そのような手順を繰り返すことによって、目的の達成に近づいていきます。

<手段と目的のすり替え>

「手段を実行することによって目標が達成できるなら、手段を確保しておけば将来判明するかもしれない目標にも対応できるので、損することはない。」
… この考え方は一理あります。もし、目的が発生し、目標が分かった時点で手段がなくて、毎回不足分を確保するのに時間をかけて納期を守れなかったら、社会的信用を失うことになりかねませんので、手段を事前に確保しておくのは良いことであると言えます。
ですが、手段を確保することに意識を取られてしまうと、もはや、それ自体が目的になってしまいます。
例えば、資格を持つことは、仕事をする上で周りからの信頼を得たり、仕事を円滑に進めるための手助けとなります。ですが、資格勉強に時間を割きすぎたり、必要のない資格にまで手を出すと、本来やらなければいけない仕事が疎かになってしまいます。言い換えると、仕事の処理が目標で、手段として資格を得るはずだったのに、資格を得ること自体が目的になってしまったということです。こうなると、本末転倒です。

このように、手段が目的にすり替わった瞬間、本来の目的(及び目標)を達成する手順に対して逆行するよりほかはありません。

なので、予め目的と目標を決めたり、予測したりしながら、必要と思われる分の手段を確保しておくのが良いでしょう。過度な準備は悪手です。

<目的を持つこと>

目標と手段の関係は、目的があることによって初めて成立します。なので、何かを成し遂げたいなら、目的を決める必要があります。

人間が目的を決める要因となるのは「欲」です。したいこと、それ自体が目的です。突拍子もないように思われますので、具体例について考えてみましょう。
なぜ働くかについて考えてみます。働く理由は人それぞれだと思いますが、基本的には「お金が欲しいから」「社会に貢献したいから」「自分にやりたいことがあるから」が主な理由として挙げられます。これらに共通する点は全て、欲がある、ということです。さらに、なぜお金が欲しいのか、なぜ社会に貢献したいのか、なぜそれをしたいと思うのか、という問いに対しても、全て欲が要因である回答が返って来ることは予想できます。
そういうわけで、人間は欲望を満たすために目的を作り、達成しようと行動します

欲に善悪はありませんが、目的から生じる手段には善悪があります。手段における善悪の決め手は、「責任」です。
例えば、借金を踏み倒す人について考えてみます。彼は「ギャンブルをしたい」という目的があったので、「お金を稼ぐ」という目標を達成するために、「お金を借りたまま返さない」という手段を選んでしまいました。そして、彼は負債に耐えきれず破産してしまい、目的を果たすことはさらに困難になってしまいました。「自分で働く」という手段を選んでいれば、こうはならなかったでしょう。何故なら、前者はお金を借りる時に生じる責任から逃げたから、後者はお金を貰った分の責任を相応の労働と等価交換したからです。(この例の責任は、資本主義に起因します。)
つまり、良い手段は責任を果たし、悪い手段は責任を放棄します。
言い換えると、善は「他人に迷惑をかけない こと」であり、悪は「他人に迷惑をかけること」です。規模を大きくすれば、他人を社会に置き換えることもできます。

人間は、最終的には目的を達成できることが多いですが、たまにミスをしてしまい、目的から遠ざかってしまうことがあります。
例えば、仕事で資料を作る際、間違えてデータを消してしまうと納期に間に合わなくなり、他人に迷惑をかけることになります。消してしまった資料に関してはまた一から作り、完成させなければいけません。
つまり、人間は手段を完璧に実行できるとは限らない、ということです。

まとめると、「人間は欲によって目的を決める。彼らは完璧に手段を実行することは不可能であり、時には己の欲を満たす為、目的を達成しようとする際に発生する責任を蔑ろにしてしまう。」ということです。

一方、機械は命令された指示を実行することしかできないので、人間が決めた目的と手段を全てインプットするのに加え、場合によっては修正する必要があります。その代わり、インプットした指示は完璧に実行してくれます。

両者を比較すると、人間には意志があり、機械には意志がない、人間は能動的に行動することができるが、機械は受動的に行動することしかできない、ということが分かります。

欲がなく従順だが、自分で目的を決めることができないし、命令された指示すらまともに実行できない」という合の否定と、「自他に利益をもたらす目的(及び目標)を自分の意志で決めることができるし、それを完璧にこなす事ができる」という合は、人間と機械、すなわち意志の有無による短所と長所を止揚することによって生まれます。この場合、私たちにとって、合の方が良いことであるのは明白です。
したがって、そのような合に近づくためにも、まずは意志を持つことから始めなければなりません。

目的を持たせない教育

日本教育の目的と目標

目的と目標、手段がどういうものであるかについて確認できました。それでは、現代日本の教育の現状を紐解いていきましょう。
この項目では、法律で定められた教育の目的と、それに付随する目標を調べることによって、現状を明らかにし、適切な手段について考えていくことになります。最初に、きりがない考察を防ぐために、範囲を限定していきたいと思います。

義務教育以降の進路

文科省によると、高校を卒業した人の大学進学率は以下のように推移していることが分かります(図1)。

(図1) 18歳人口と高等教育機関への進学率等の推移

画像の茶線に注目すると、18歳人口のうち、平成18年以降辺りから大学+短大への進学率が5割を超えていて、令和五年時点では大学+短大への進学率がほぼ6割となっています。赤線と茶線を比較すると、令和五年時点における進学率1を基にした大学+短大と高専4年次+専門学校の割合は、83.8%中60.4%と23.4%になっています。
このことから、18歳で進学した人のうち進学先が大学, 短大である割合は、令和五年時点で約72%であり、大部分を占めていることが分かります。そのため、この記事では前述した問題点について考察する際、対象を小中学校, 高等学校, 短大, 大学に絞ります。また、昭和二十二年法律第二十六号の学校教育法で短大が大学に分類される旨の法律が書かれているので、ここでは大学と短大は同一の物とします。

理想の日本教育

次に、教育の目的、目標について深く掘り下げていきます。

・義務教育
日本の義務教育課程の目的および目標は、文部科学省による学校教育法で以下の通りに定められています。

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。

 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。

 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。

 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。

 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。

 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。

 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。

 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。

昭和二十二年法律第二十六号 学校教育法

つまり、主体的に社会参画に取り組みながら、日本社会で生きるために最低限人として必要な力を確保させることが狙いのようです。
日本に生まれた以上、これは避けて通れないことでしょう。

では、義務教育課程以降はどうでしょう。
同様に、学校教育法によって以下の通りに定められています。

・高等学校

第五十条 高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。

第五十一条 高等学校における教育は、前条に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

 義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて、豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を養い、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。

 社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な知識、技術及び技能を習得させること。

 個性の確立に努めるとともに、社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、社会の発展に寄与する態度を養うこと。

昭和二十二年法律第二十六号 学校教育法

・大学(大学院)

第八十三条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。

 大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

昭和二十二年法律第二十六号 学校教育法

つまり、義務教育課程で身につけた力に加えて、個人の進路に合わせて応用的、専門的な能力を伸ばすことが主な教育目的として挙げられています。
特に、高等学校では「使命の自覚」や「個性の確立」が求められるようです。これらに関しては、「目的を持つ能力を伸ばすことが求められる」と言い換えることができます。

総括すると、日本の文化、社会の中で生き、それらを発展させるためには、先述した目標の達成は必要不可欠な要素です。全ての目的を達成した暁には、国が求める理想、すなわち日本社会に貢献する主体的な人材の育成を実現することができます。
また、これらの目的および目標は法律として効力を発揮します。つまり、実際の教育現場では前述した目的および目標を達成するように教育が施されるということです。

<受動より能動>

学校では目的を持つ能力を伸ばすように指導するはずなのに、なぜ今日ではそのような教育がうまくいかないのでしょうか。

原因は、「教師による一方的な授業」です。(教師を非難したい訳ではなく、そのような授業体制が問題であることを言っています。)
本来、生徒と教師が一緒に目的を考えて、それを達成するために学びを深めなければいけないのに、現状の教育では教師が一方的に目的を与えています。与えられた目的は指導者のためにはなりますが、本当の意味で学習者のためになるかと言われたら甚だ疑問です。

(区切り線で指導者のための目的と学習者のための目的の解説を囲ったので、必要ない方は飛ばしてください。)


指導者のための目的

指導者のための目的とはどういうことか。
すなわち、「学習者を奴隷にさせること」です。
過度な束縛を疑わずに他人の要求に応じることは、自分の身を滅ぼします。しかし、時にはチーム一丸となって目標へ取り組む必要があります。
協力のための要求と私利私欲のための要求は対立します。前者は各人が共通した目的を持った上で責任を負い、後者は各人が異なる目的を持った上で責任を放棄しています。加えて、後者は手段と目的のすり替えが起きてる場合がほとんどです。
例えば、プロジェクトを進めるにあたってグループを作ったとします。まずはリーダーを決めて、そこから色んな役割が割り当てられていきます。
リーダーはプロジェクトを統率できますが、その分の責任を負います。その上で、グループの人と共通の目的を確認した上で手段の実行に移します。
目的が「商品を売ること」であったとします。
協力のための要求ができるリーダーは、費用対効果や納期を意識しながら統率を取ります。他の役割はそれに応じて各自の役割を果たします。この際、各人が持つ目的と、目的の達成のために行う手段は、共通の目的に対応しています。
私利私欲のための要求しかできないリーダーは「とりあえず超安く、超早く商品を作り上げる。責任は下の方に押し付ける」ことに、他の役割は責任の押し付けから回避するために「必死の思いでリーダーに従う」ことに意識が奪われます。言い換えると、プロジェクトを達成するための目的とは異なり、各自がその共通の目的を持てずに手段と目的がすり替わってしまうということです。
もちろん、リーダーも他の役割も「楽をする」という目的に目が眩んでいたら、チームとして連携が取れないのは容易に予測できます。

学校では、先生から生徒に教えるのが授業における主な関係です。
日本では、先生は学習指導要領に沿って指導していて、生徒はその流れに乗って教育を受けます。学習指導要領は学校教育法を基に決めているので、学習指導要領の目的もそれに対応しています。これが教育における共通の目的です。
ですが、今日では、一部の先生が共通の目的と矛盾し、先生と生徒の間で噛み合わない目的が発生しています。
先生は「給料のために働く」「指導範囲を何とか終わらせる」という目的を持ち、それを果たす目標として「速く授業を進める」を選ぶことになります。それから、目標を達成するための手段として一部の先生は「とりあえず教科書の内容を進めておいて、足りないところや補強してほしいところがあったら課題として出す」ことを選びます。これは「主体的な生徒を育成する」という共通の目的に矛盾しています。
さらに、その人達が、質問に正解できなかったり課題を忘れてしまったりした生徒に怒ったとします。怒られて快く思う人はいないはずなので大体の生徒は「怒られないように勉強を頑張る」手段を選びます。こうなると、もはや主体性は無いです。

なので、(社会的な規則に従わなければいけませんが、)各個人が自分の目的を持った上で、先生と生徒の間で共通の目的を確認しながら授業を進めるべきです。

指導者のための目的が授業を占領してしまうと、学習者の目的を果たすことは困難になります

・学習者のための目的

学習者のための目的とはどういうことか。主に二つあります。「学習者の知的好奇心を刺激する課題の解決」と、「身近に存在する課題の解決」です。

まず、「学習者の知的好奇心を刺激する課題の解決」について説明します。
アインシュタインを例に挙げると、彼は5歳のころ、方位磁針をもらい、どの方向に向きを変えても針が同じ向きを指し続ける様子を見てこう思いました。
『一見何もない空間に、針を同じ方向へ向けさせ続ける何かがあるはずだ』
これを皮切りに、アインシュタインは未知の探求へ身を投じます。最終的に、彼は現代でも支持されている相対性理論を導き出すことになります。
また、エジソンの場合、長時間持つ白熱電球のフィラメントや、蓄音機の開発などの功績を残しています。特に、これらの開発に注力するようになったきっかけは、電信の仕組みに対する好奇心からと言われています。

他にも、「なぜ?」「どうして?」といった疑問が偉大な発明につながった事例があります。それにこだわる思考回路が類稀なのではないかと言われればそうかもしれませんが、このような偉人から学べることはあると思います。

私が言いたいのは、「好奇心は意志の一つである」ということです。

次に、「身近に存在する課題の解決」について説明していきます。
こちらのほうが私たちにとって想像しやすいと思います。

例えば、ゲームについて考えてみます。
ゲームをしているときに、バグが発生したとします。しかも、それはユーザーにとって不利益なバグです。
純粋にゲームを楽しみたいだけなのに、バグのせいでまともにプレイできなくなりました。では、こういうとき一体どうすればいいのでしょうか。
すぐに思いつく手段としては、開発者にバグを知らせる(フィードバックの送信)、ということです。そのゲームのことは開発者が一番知っているので、バグの修正は開発者がするべきです。
ですが、いつまでたっても修正されなかった場合、自分でバグを修正する手段も考えられます。逆コンパイルが禁止されているゲームならこの時点で諦めるしかないですが、許可されていたり、オープンソースのゲームなら自力で修正し、法律に違反しない範囲で楽しむことができます。

この話を聞くと、『別のゲームをやればいいのでは』『そんなことに時間をかける必要はない』と思うかもしれません。ですが、このような経験は決して無駄であるとは言えません。
医療機器のバグによって命を落としたり、サーバーのバグで情報インフラが麻痺してしまったら大変です。なので、開発段階のデバッグというのはとても重要です。

と言う感じで、バグが修正されないゲームを楽しむための手段について試行錯誤したら、実際に現場で使われている実用的な手段を使うことになりました。
つまり、「身近で、くだらないことのように思われる課題を解決するために使う手段は、他の大きな目的を達成する手段になり得る」ということです。


したがって、指導者のためにも学習者のためにもなる目的を見つけるには、教師が、生徒にとって身近な現実で起きている問題について紹介し、どうすれば解決できるのかについて生徒の好奇心を刺激しながら一緒に考えていくことが大切です。そうすれば、生徒は、明確な目的を持って学習できます。
すなわち、受動的な授業より、能動的な授業のほうが目的を持つ能力を伸ばすことができるということです。(巷では、能動的な授業がアクティブラーニングと呼ばれているようです。

目的が未来を決める

<あなたの目的>

ここまで、目的の重要性と、目的が軽視されている現状について述べてきました。環境を自分一人の力だけで変えることは難しいので、生徒のみならず、皆が率先して社会のあり方を変える必要があります。よって、前述した教育の問題点を解決するためには、共通の目的として私たちが解決したいという「意志」を持たなければいけません。

結局は、あなたの「意志」に命運が委ねられています。

社会との折り合いをつけながら、共通の目的を持ち、自分の目的も持つ方が良いでしょう。そうして、皆で達成するべき目的を意識しながら、自分がやりたいことをやれるなら本望ではないでしょうか。

私は目的があるからこの記事を書きました。
次は、あなたの番です。

引用

サイト

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[2]
資料5-2 一般社団法人全国高等学校PTA連合会 補足資料https://www.mext.go.jp/content/20201028-mxt_syoto02-000010511_7-1.pdf

[3]

[4]

(図1)
https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/000255573.pdf


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