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Spotify「Sarah Brightman 20」

90年代によく聴いた音楽ジャンルのうち、ワールドミュージックについては「Deep Forest 20」の記事で書いたので、残りのひとつ、ニューエイジについて書こうと思います。その中心が Sarah Brightman ってことですね。とりわけソロになってからの活躍には目を見張るものがあり、今日のクラシカル・クロスオーバーへの貢献度は No.1 です。思えば、80年代末の Enya あたりにこの流れの湧水はあるのでしょう。

鞍替えの飛躍

ぼくの音楽ライブラリーを眺めると、そのフィジカルが 80年代半ばには完全に LP から CD へと移行します。いずれにしても、意中のアーティスト作品を収集する姿勢に変わりはありません。で、ぼくの CDコレクションのうち80年代末から広義のニューエイジ (ヒーリングも含む) に該当する流れを追うと、ざっと次のようになります。CM や TV番組とのタイアップによって、多かれ少なかれ日本国内での話題と連動しています。

Enya「Watermark」1989
Enigma「MCMXC a.D.」1990
Deep Forest「Deep Forest」1992
Adiemus「Songs Of Sanctuary」1995
Slava「Ave Maria」1995
Secret Garden「Songs From A Secret Garden」1995

Sarah Brightman「Dive」1993

原題表記のみ

上記は各アーティストのアルバム・デビュー年度です。Sarah Brightman の場合、80年代はミュージカル女優として活動していたので、いわゆるピンで初アルバムを出すのが 1993年「Dive」です。ここから Sarah  の快進撃が始まりますが、その背後には敏腕プロデューサーの影がチラチラ。彼女の活動時期を区切るとき、どうしても避けて通れないのがいわゆるパトロンのバックアップです、下世話な妄想はさておき。

1984年、当時ミュージカルのソプラノ歌手だった Sarah は、著名な作曲家 Andrew Lloyd Webber と結婚します。そして 86年「オペラ座の怪人」のクリスティーヌ役に抜擢され、一躍名をあげます。この配役は、NYブロードウェイ俳優協会の猛反対を Webber が Sarah のために強引に押し切ったもの。名実ともにスケールアップした Sarah は次の展開を模索します。90年 Webber と離婚。ちょうどこの頃、ニューエイジ・ブームで人気が出始めた Enigma の Frank Peterson から「独立=ソロ歌手」を勧められます。きっと、いろいろ相談に乗ってもらったのでしょう。91年 Sarah はドイツに渡り、Peterson をプロデューサーに迎えて初のソロ・アルバムを制作します。それが 93年の「Dive」……。以後も二人は公私にわたってタッグを組み……。

Webber から Peterson へ。パートナーを替えることで、Sarah はそれまでのミュージカルにおける「小さな成功」を捨て、新しい世界へ文字どおりダイブしたのでしょうね。そして 95年「Fly」で「A Question Of Honour」がヒット、翌 96年には「Time To Say Goodbye」が爆発的に売れ、瞬く間にスターダムを駆けあがります。運が良かったのか、運を掴んだのか、それは名誉の問題でしょう (意味深?)。

どこかで聞いた名前

Sarah の出世をニューエイジの流れにリンクさせると、70年代のプログレ・ファンとしては少し嬉しくなってきます。なかなかの有名どころと接点があったことに。まず Andrew Lloyd Webber ですが、1978年「Variations」は当時のイギリス・ジャズ界とロック界のプレイヤーによって録音された「隠れたプログレの名盤」でした。Jon Hiseman、Gary Moore、Don Airey、Phil Collins、といったロック・ミュージシャンがこのアルバムに参加していました。つまり、ぼく的には Webber を認識した順序が世間とは逆だったのです。ほう、ミュージカルの巨匠だったのか、みたいな。

次に Enigma 主宰の Michael Cretu、彼は 90年デビュー作でヒーリングの先駆者として認知される以前の 86年、あの Mike Oldfield の「Islands」でプロデューサーを務めていました。また Adiemus こと Karl Jenkins は元 Soft Machine のメンバーで、72年から 84年までキーボード & サックスを担当していました。Adiemus の 1st には盟友 Mike Ratledge も参加、架空の民族音楽さながらのコーラスを表出します。要するに、それぞれのメンツがチョー有名というわけではないけれど、そこそこ、知る人ぞ知るぐらいには、名前が売れていたわけです

70年代のプログレ畑で感性を養い、技術を磨き、シーンの片隅に埋もれていた才能が、不完全燃焼のまま雌伏のときを経て、90年代のニューエイジ・ブームで花開いた、そんなストーリーが仄見えます。いや現実は反対で、70年代プログレ界隈の、そこにいたミュージシャンたちのクオリティー&レベルがもともと高かったので、後世になっておのずと頭角を現した、というほうが正しいのかもしれません。

似たような例は、80年頃 の The Police にも感じましたね。サウンドの特徴はかなり異なりますが。

魅力/soprano voice

Sarah の魅力は、なんといってもクラシックからポップスまで幅広いジャンルを歌いこなす歌唱力です。クラシック・ナンバーを歌うときのソプラノの美声と、ポップスを歌うときのキュートな囁きは、同一人物とは思えないほどのギャップがあります。

ただし、いずれの場合も高性能マイクを通したうえでの歌唱である点は要注意です。本物のオペラ歌手のように、生歌の声量だけで劇場を響かせるようなパフォーマンスを見たことはありません。あいにくクラシックは門外漢ですが (これ以上ぼくには言及できませんが)、たとえば、プログレのなかではクラシック的素養のある Renaissance の Annie Haslam と比べても、Sarah のふくよかな声色は聴衆を温かく包みこんで魅了します。また Nightwish の Tarja Turunen (初代) や Floor Jansen (現在) と並べても、クラシックの発生が培われている点は同様に認められます。素晴らしさに甲乙はつけられません。それどころか、シンフォニック/オペラティック・メタルの起源は 90年代の Sarah ではないか、といった認識を新たにするほどです。

それにしても、90年代のニューエイジ、というよりもヒーリング・ブームが起こった理由――。アルマゲドン的な世紀末思想が、集合的無意識のように世界を覆っていたからでしょうか。「当たらずといえども遠からず」の気はしますが、一方では IT 革命やニューエコノミー幻想によって「人間疎外」が一段と進んだのは事実でした。そして Sarah Brightman がそのような時代背景で大きく羽ばたいたところに、彼女の魅力もまた同時にありました。すなわち、クラシックが元来もっていた伝統の安心感とエレクトロ二クスの技術革新です。前者については、ことさら説明するまでもないでしょうが、後者については、やはりサンプリングを可能にした電子技術の発達が大きかったように思います。

魅力/human sampler

Deep Forest が未開地の素材をサンプリングしたように、Enigma はグレゴリオ聖歌を全面的に活用しました。汎用的/実用的サンプラーが普及したのは 80年代半ばからで、はじめはヒップホップを中心に使用されました。経緯はどうあれ、音楽の世界に入ってきた新技術は新しい動向=ムーブメントを産みだします。そのタイミングが、東西冷戦の終結と IT 革命によって著しく「世界が狭く」なったときですから、人々が無性に「外部のもの」「未知のもの」に惹かれたのはある意味当然であって、Sarah のパフォーマンスは充分それに応えたのではないでしょうか。

メタファーとして、Sarah は人間サンプラーの役割を担っていたのかもしれません。サンプラーの成り立ちはメロトロンに遡ります。その基礎は、オーケストラの大編成ストリングスを生録音するのではなく、ピアノと同じように鍵盤ひとつで扱えるようにするものでした。それがメモリーチップの発達に伴ってどんどん改良され、次第に音声合成装置として使われ、やがては音楽の生成手法そのものに革命をもたらしました。音楽的価値が、演奏スキルではなく、素材の組合わせのセンスに取って代わられます。それを、サンプラーが可能にしたのです。かつての音楽資源は「引用」と「再構築」によるサウンド・テクスチャーに変貌……。Sarah に次々とインプットされた、超ジャンルのオリジナル素材……。

このメタファーが意味するところはもうお分かりでしょう、人間サンプラーに「身体性」という幻を付与したのが、Sarah Brightman。声、美貌、肉体、どれをとってもヴォリューミーなのに、どこか非現実的なアバターのように見えるのは、ぼくだけでしょうか (男女間のもっとも生々しい交歓ですら、Sarah Brightman というアイコンの前では無色透明化されるようで、かえってその落差がエロかったりして)。

この人間サンプラーを操作していたのが、あるいはプロデューサーの Frank Peterson だったのかもしれませんね。彼の高センスは、Sarah のアルバムにおける選曲の妙から窺い知れます。クラシックであれロックであれ、収録されたナンバーは各ジャンルの佳品ばかり、それが伝統的/旧弊な枠組を超えていたところが、まさにクロスオーバーでした。この呼称は、アーティストの技量のみならず、キュレーターの才覚にも当て嵌まりました
 
最新作「Hymn」でも Frank Peterson はプロデューサーを務めていますが、風説によると 2004年 ~ 05年に二人は私的関係を終えたとか。単なる噂にしても、道理で 04年「Harem」がいちばん艶っぽいのか、なんてシタリ顔で呟くのは、醜いゲスの勘繰りというものですね、はい。

それでは、また。
See you soon on note (on Spotify).

追記――。前世紀末の 90年代にあれほどヒーリング・ミュージックが流行したのは、ぼくの仮説どおり「人間疎外」が進んだからでしょうか。では、昨今とりたててヒーリングにスポットが当たらないのは、人類が少しでも幸せになったからでしょうか。残念ながら事態はまったく逆で、あれから 20年、もはや音楽に癒しを求める精神性まで破壊するほど、世界の「貧困化」は進んでいます

1位「La Luna」92点
2位「Harem」91点
3位「Classics」88点
3位「Symphony」88点
5位「Eden」85点 

ベスト盤・コンピ盤は対象外

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