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【作曲家K6】教員になって 1 音楽コース

浪人3年して、大学に残らないで社会に出た時は28才になっていました。芸大を出ても生活するための仕事は限られてきます。すごく才能がある音楽家のようにフリーで活動する事は私みたいな人間には不可能でしたので、千葉県の教員採用試験を受けました。幸い合格して、赴任した学校は新設2年目の3つの高校が同一の敷地にある高校でした。詳細は別にまとめますが、2年次から芸術3教科が各高校の選択コースになっているものでした。東高は美術、西高が音楽、北高が書道というような選択コースがありました。私の赴任した高校は西高でした。新設2年目でしたからその年から選択コースが始まると言う年でした。着任するまで音楽コースがどのようなものかは全く知らされていませんでした。初めて学校に行くと音楽専門コースのカリキュラムはどのようなものか説明を受けると思っていると、前の年に着任していたベテランの教員から「さて何やろうか」と言われて驚きました。当時2年次は週6時間の音楽専門の授業が設定されていました。ソルフェージュ、実技、アンサンブル、合奏(合唱)と言うようなものです。後に1年生7時間3年生7時間と変わり、ソルフェージュ、音楽理論、アンサンブル、実技、合奏(合唱)など多岐に増えました。スタッフは常勤4人非常勤4人です。この人数で、2年、3年合わせて80人以上の生徒を担当する事はほぼ不可能に近い状態でした。選択コースと科の違いはスタッフの人数、授業時数、予算、もちろん設備も全く違います。それでも千葉県初めての音楽に関する選択コースであり設備は音楽室が3、ピアノ練習室が10、レッスン室が1とその時千葉県最大の音楽設備でした。(数年後、芸術棟が建設されてより設備が充実しました。)しかし、それでも授業の運営はかなりの困難を伴いました。多くの問題を抱えながらも、何とかやりくりしてそれ以降20年弱授業を進めていたと思います。その中で私が何をしてきたかを、多岐に渡りますのでここに引き続き書いていきます。

川手誠(作曲家)



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