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ナイチンゲールの憂鬱【第一話】アンドロイド・エリ

あらすじ

 【あがり症の菜月】は人前でうまく話せない。公園で深く落ち込んでいると、目の前に【看護ロボット・エリ】という少女が現れる。自分は完璧すぎるから、人の弱さを知るよう【博士】から指示されたと言うエリ。エリは菜月と一緒に行動するうちに、誰かから恨まれて部室を荒らされた【バスケ女子・佐々木】、精神的弱さから最後の1点が取れない【卓球少年・森永】と関わる。エリは彼らの人間的弱さと強さに触れて成長する。一方、学校行事(鍛錬遠足)で、博士に出会った菜月は、エリが自衛隊関連のロボットであり、戦場に行く可能性に気付く。

第一話

「はあああ、私はダメだ……」

 夕暮れの公園でブランコに乗りながら、私は大きく溜め息をつく。今日の全校集会。朝礼台の横で高鳴る私の鼓動。皆の視線が刺さっている気がした。照りつける太陽は熱かった。

『次は総務委員会からの連絡です』

 そう言われて急ににじみ出る冷や汗。喉がキュッと閉まった。マイクの前に立つとキーンという音がした。マイクさえも私を威嚇するのか。

『えー、クラブ活動の予算申請は……今週末までです。ま、まだのクラブは早めに総務委員会まで申請書……を提出してくださいっ』

 最後は早口で、俯き気味に逃げるようにマイクから遠ざかった。

「何でこんなに緊張しちゃうかなあ」

 口を尖らせて、ブランコをギイコギイコと前後に揺らす。と、足元にスニーカーが見える。顔を上げると、女の子が立っていた。

「ダメな方は、あなたですか?」

 ロングヘアの茶髪に日本人離れした大きな瞳の美少女が、目をキラキラさせて私を見つめている。そんな笑顔で『ダメな方』と言われても。私は全力でこう言うしかない。

「は?」
「ああ、失礼しました。私はアンドロイド。看護専門・人型ロボットのエリです。よろしくお願いします」

 春だな。

 春になると変な人が現れる。もうゴールデンウィークを過ぎたけれど、OKだ。私は笑顔を作って立ち上がり、会釈をする。

「すみません。私、用事を思い出したので、帰ります」
「あっ、信じていないですね。あなたの強い念が飛んできたから、声をかけたのに」

 怖い怖い怖い。

 宗教がらみの怖いやつだ。顔からサーッと血の気が引く。

「私、急いでるんで!」

 足に力を入れて走ろうとする。けれど、エリにガッと腕を掴まれる。ギリギリギリと腕がきしむ。もの凄く強い力。振りほどけない。

「話だけでも聞いてもらえませんか?」

 エリは手を顔に当てて、ブリッコポーズをする。あざとい。わざとらしい。そして、女が女にやっても意味がない。ああ、かわいい顔と裏腹に力が強い。

「わかった。聞くよ……」
「ありがとうございます!」

 エリが満面の笑みで腕に抱きつく。距離感が近い。そして、ぱっと私の顔を見る。

「あの、あなたのお名前は?」
「前野菜月です……」

 私は脱力してドスンとブランコに座りなおす。エリも隣のブランコに足を揃えて座る。

「博士から『お前は完璧すぎる』と言われたんです」

 エリはポツポツと話し始める。

「私は看護ロボット。博士のお世話をしていたんですが、『お前は人の感情がわかっていない。人の弱いところや欠点を理解しないと、人には寄り添えない』と言われました」

 エリはフッと憂いを帯びた表情をする。

「だから、ダメな人を探していたんです。そしたら、飛んで火に入る夏の虫。菜月が『私はダメだ』と強く思っているのが、伝わってきました」

 いちいち余計な一言を付け足すのは、何なんだろう。頭が痛くなってきた。考えたくない。とりあえず話を合わせよう。

「えーっと、エリは心が読めるの?」
「読めます。が、人間の感情は複雑すぎて、何を考えているのか、ほとんど理解できません」
「意味ないじゃん」
「でも、菜月の『ダメだと思う強い気持ち』は、すぐに伝わりました」
「ええ……」
「だから、しばらく観察させてください。ご迷惑はかけません」
「はあ……」

 私は引きつった顔で了承した。

☆☆☆

「はい、転校生の若葉エリさんです。ずっとアメリカで過ごされてきたんだが、お爺さんのいる日本に戻って来られたそうです」

 翌日の朝のホームルーム。エリが教壇の隣に立つ。私は驚いて目が丸くなる。行動が早すぎる。

「若葉エリです。ニューヨークから来ました。まだ日本語に不慣れですが、よろしくお願いします」

 エリはニッコリ笑って、堂々と嘘をついている。そういう設定にしたんだ。私にはできない。良心が痛む上に、あんなに堂々と嘘をつく度胸はない。

「じゃ、席は前野の隣で。前野は総務委員長だから、色々教えてもらうといい」

 エリは窓際一番後ろの私の席の隣に来る。

「よろしくお願いします」
「はは……よろしくね」

 キーン コーン カーン コーン

「お、チャイムが鳴ったか。今日の1時間目は古典だから、このまま授業やるぞ。教科書は38ページ」

 「えー」という声が教室に響き渡るが、皆は教科書を取り出している。エリはカバンからピカピカの教科書を出すと、教科書に指を指して笑顔で私に見せてくる。よかったね。

「伊勢物語 筒井筒。じゃあ、音読を前野」

 うわっ、当たった。

「転校生に、日本語の素晴らしさを聞かせてやってくれ。ほい」

 先生、余計なプレッシャー。いつもより私は皆に見られている。わたわたと教科書を開いて立ち上がる。喉がキュッと閉まる。

「むかし、いっ、田舎わたらひしける……人の子ども、井のもとにいて……でてあそびけるを、おとなになりに、あっ、なりければ、男も女も恥ぢか……はしてありけれど、男はこの女をこそ……得めと思ふ」

 最後は消え入るような声で読み終えた。

「うん。筒井筒の二十三段の書き出しは〜」

 先生は何事もなかったように、授業を続ける。私はふうっと溜め息をついた。

☆☆☆

「部室の修理をしたから、予算の追加申請をしたいの。これでいいかな?」

 昼休み、バスケ部の佐々木さんが申請書をペラリと机に置く。私はお弁当箱をカバンに入れている最中。エリは肘をついてこちらを見ている。

「ああ、壊れた棚を買いかえたんだっけ?」

 私はカバンを机の横にかけて、申請書を手に取る。

「うん。もう大変だったんだからあ」

 佐々木さんは頭の後ろに手をやって大袈裟に嘆いている。いや、大袈裟でもないか。

「部室が荒らされてたんだよね」

 先週、女子バスケ部の部室に何者かが侵入し、備品が壊された。幸い貴重品を置いていなかったため、盗難被害はないが、早朝の出来事だったようで、目撃者はいない。

「そうそう。物は傷つけられたれたし、棚は壊されたし、ゴミ箱はぶち撒けられたし、部室はめちゃくちゃ。もう最悪」

 佐々木さんは腕をくむ。眉をつりあげて、ここにはいない犯人に怒る。私は居心地が悪い気分になる。

「大変だったね。誰がやったか、結局わかってないの?」
「わかってない。うちら何も恨まれるようなことしてないから、めっちゃショックだよ」
「そうだね。じゃあ、棚の現物を見たいんだけど、今からでもいい?」
「いいよー。あっ、うちトイレ行きたいから、先行っててくんない?」
「わかった」

 佐々木さんは早足で教室を出ていく。私も立ち上がる。と、エリが挙手している。

「私も行きます」
「何で?」
「学校見学です。菜月の生活環境も見ておきたいのです。あと」
「あと?」
「本件に対する菜月の感情にも興味があります」
「部室に行って、棚を確認するだけだけど」
「まあまあ。とりあえずレッツゴー」

 エリは私の背中を押しながら、右手で進行方向を指差す。廊下を歩いて、階段を降り、グラウンドに出て、水飲み場を横切って、部活棟に着く。

「ここに部室が入ってるの。うちの高校は部活が盛んで、この建物はいつも人でいっぱいよ」
「ふーん」

 エリは手をかざしてニ階建ての建物を見回す。薄茶色のスクラッチタイル外壁にアーチ窓。タイルの細い溝は黒ずんでいる。レトロと言えば聞こえがいいが、昭和を感じる薄汚れた建物である。かつては立派だったと思われる木製の玄関扉は、所々塗装が剥げている。扉は開けっ放しで、ビラが所狭しと貼られている。

「ボロいですね」
「まあ、古い建物だからね」
「しかも汚いです」
「まあ、あんまり掃除とかしてないと思う」

 開けっ放しの扉に少し触れると、ギィ……という音がする。部活棟に入ると、制汗スプレーと汗が入り混じった臭いがする。廊下は砂だらけで、壁はシミで汚れていて、剥き出しの木の柱は画鋲の跡だらけだ。「わあ、廃校みたいです」とエリが呟く。

 開け放たれた部室扉の奥に、ユニホームが干されている。洗ったか洗っていないかは判断できない。エリはしかめっ面でキョロキョロと辺りを見回す。

「臭くて鼻が潰れそうです。私の鼻は敏感なんです」
「帰る?」
「嫌でず」

 エリは鼻をつまむ。

「嫌なら我慢して。ここはいつも散らかってるのよ」
「ゔゔ……」

 階段を登って2階の廊下に出ると一転、全ての部室扉は閉まっている。女子バスケ部のドアプレートを見つけて、扉のノブに手を掛けるが、やはり鍵は閉まっている。

「ちょっとここで待ってようか」
「ぷはっ、そうですね。ここは臭さがマシです」

 ドアから離れて窓際の壁にもたれかかる。と、窓の向こうに男子が見える。こちらをじっと見ている。ひやっとしたのは冷たい壁のせいだろうか。

「そういえば菜月。部屋が荒らされたって言っていましたが、どういうことですか?」

 エリの声でハッと我に返る。

「ああ、部室荒らし。バスケ部の部室が荒らされてたのよ」
「何でですか? 誰かに恨まれてたんですか?」

 エリの瞳が輝く。何が嬉しいのやら。

「佐々木さんは、何も恨まれるようなことしてないって言ってたわ」
「何で恨まれないって思っているのでしょうか?」
「何でって、心当たりがないんでしょう?」
「恨まれる心当たりがなかったら、恨まれないのですか?」
「いや、わからないけれど」
 
 何で恨まれるのか、何で恨まれないのか。エリがやけに恨みという感情に食いついてくる。頭の中がごちゃごちゃしてきた。

「ああ、エリが恨み恨み言ってるから、こんがらがってきたわ」

 強制的に会話を終了させる。これからもこの調子なのかと思うと疲れる。

「恨み……神秘的」と、恍惚の表情で呟くエリを見て、私はぐったりと肩を落とす。

「お待たせ。遅くなっちゃった」

 ひらひらと手を振りながら、ゆっくり歩いてこちらに来る佐々木さん。鍵を右手に持っている。

「鍵開けるよ」

☆☆☆

 扉が開くと、そこは殺風景だった。棚とロッカーとゴミ箱だけ。

「物がない……」

 私は思わず声に出す。佐々木さんは「ははっ」と乾いた笑い方をする。

「前はさ。ここにソファーがあって。よく皆で座って喋ってたんだけど、切り刻まれたんだ」

 佐々木さんは何もない床を指差す。

「ボールも少し置いてたんだけど、泥だらけにされてね。備品は全部体育館倉庫に撤収した」

 佐々木さんは何もない棚を指差す。

「ったく、誰がやったんだよ。腹立つわ」

 佐々木さんはポケットに手を突っ込んで、悔しそうな顔をする。そうだよな、楽しい空間を奪われたのは辛かったよな。

 と、横でエリが窓の外を見ている。それに佐々木さんも気付く。

「あのさ、この子。うちの話を全然聞いてないんだけど、何しに来たの?」
「転校してきたばかりの子で、学校案内をしてたの……エリ、ちょっと何よそ見してんの」

 私はエリを小突こうとするが、その表情にハッとする。エリの瞳は見開いている。

「強い怒りの念を感じます」
「そりゃ、そうよ。佐々木さんが怒ってるんだから」
「佐々木さん? そんなささやかな念、私には届きません。私が感じている念は、あそこからです」

 エリがゆっくりと指を指した窓の向こう側には、さっきの男子! 木の下で、こちらをじっとりと見ている。彼は何か知っている!

 私は急いでバスケ部の部室から出る。佐々木さんが「前野さん?」と言った声が聞こえた。階段を駆け降りる。汗が吹き出す。息がきれる。ボロ扉から外に出ると、快晴だ。木の下で、まだ男子が女子バスケ部の部室を睨みつけている。

「そこのあなた!」

 男子がこちらを向く。と、目線をそらして反対側に走り出す。逃げるのか。

「総務委員会の前野です! 待って! 何をそんなに怒っているの! ソファーとボールが何をしたの?」

 喉を大きく開けて、私は叫ぶ。

「何を……だと?」

 男子がピタリと止まる。そして、ゆっくりと振り返る。

「ずっとギャアギャア話していただろう……どうせソファーに座って下らない話をしていたんだ……騒ぎすぎなんだよ。下に全部響いてるんだよ! こっちの迷惑も考えろ!」

 最後は強い口調で女子バスケ部を非難する。男子の目は見開き、頬は紅潮している。

「部室でドリブルもしてただろ! ボールの音が真下に響き渡ってうるさいんだよ!」

 罵声は止まらない。これは騒音トラブル……息を整えながら、男子に近づく。

「あなた、もしかして1階の模型部の人?」

 男子の顔がピクリと痙攣する。

「そうだよ。振動で俺たちのジオラマが潰れたんだ」

 男子からは怒りのオーラが出ている。これはエリがいなくてもわかる。気圧されて、つい後退りする。

「ああ、部室棟がボロいから……グラグラするよね……」

 男子はちっと舌打ちする。

「グラグラする上に、ずっとうるさいんだ。イライラして、模型を作ろうとしても、手が狂って潰れて。女バスもめちゃくちゃになって、これで公平だろう」

 ここまで勢いで来たが、冷静に彼をよく見ると、細くて気弱そうな男子だ。

「もしかして、理不尽な状況でも言えなかったの?」

 男子は目をそらして無言。私は無言のYESだと判断する。

 自分の理不尽な状況に当てはめてみる。みんな当然のように雑用を私に頼むこと。私は総務委員であって、便利屋じゃないのに。

 それでも黙って引き受けてしまう。だって、私は良い人だと思われたいから。

 息苦しい。

「何も言わなくて、息苦しくないの?」

 言葉が口をついて出る。だって、彼は本当の気持ちを言った方がいい。たまり溜まってこんなことするくらいなら、言った方がいいに決まっている。私はすーっと息を吸い込む。

「部屋をめちゃくちゃにしていい訳がない! そんな大それたことする前に、口で言いなさいよ! 今それだけ叫べるんだから、女バスの部室で叫べばよかったじゃない!」

 私は思い切り声をあげる。男子は「くっ……」と言って怯む。

「壊しても、めちゃくちゃにしても、怒りは収まっていないんでしょう? ちゃんと本人に伝えていないからよ! あなたの『言えない弱さ』のせいで、まだ問題は何も解決していない!」

 言い切った。私は、はあはあと息を整える。男子は勢いをなくして下を向いている。

「じゃあ……」

 男子を連れて行こうと私は手を伸ばした。男子は仕方ないという表情で、私の手を見つめる。彼も手を伸ばそうとした。そのとき。

「あのう。そんなくだらないことで、怒っていたのですか?」

 いつの間にか横にいたエリが、場違いな疑問を投げつける。私と男子は手を伸ばして向かい合ったまま固まる。

「強い怒りだったもので、もっとすごい原動力があるかと思っていたのですが、原動力は弱さでしたか……人間とは難しい……ブツブツ……」

 エリは考え込むような表情で、ブツブツとひとり言を呟く。まだ彼の怒りは鎮火しきっていないようで、ブルブルと震えだした。

 エリ、空気読め! 男子がギギギと首をエリの方に向ける。また、さっきの怒りの形相に変わる。

「うるさい!」

 男子は私から離れて、エリに襲いかかろうとしている。

「エリ! 危ない!」

 私は手を伸ばす。けれど届かない。男子はエリを両手で掴もうとする。と、エリが男子に気付く。気付くのが遅いよ! でも瞬間、エリが視界から消える。

 違う。低い体勢になっだだけだ。エリは両手で男子の右手側の袖を握る。エリは体を返し、男子を背負う。と、男子は背中から一回転。これは柔道の一本背負い。

 ドーン

 男子は芝生の上に背中から落ちて、仰向けになった。エリは軽く「ふう」と息を吐いて立ち上がる。男子は毒が抜けたようにポカンとした表情をしていて、立ち上がる様子はない。

「1本!」

 エリは右手を真っ直ぐ空に突き上げて、叫ぶ。と、周りからワッと声があがる。見渡すと人だかりができていた。様々なユニフォーム。昼練から帰ってきた人たちのようだ。

 佐々木さんが人だかりの後ろの方にいるのが見えるが、こちらに気付くと目線をそらして、さっといなくなる。

 私はいなくなった佐々木さんの方角を、ぼんやりと見つめる。と、エリがこちらを見て、おや?という顔をする。

「そういえば、菜月は大きな声も出せるじゃないですか」
「ああ。はは……咄嗟にね」
「とても良い声量でした。90dB。パチンコ屋相当の騒音レベルでした」

 エリは良いことを言った風なドヤ顔をしている。いや、言い方よ……力が抜けるわ。

「何言ってんの。エリ、それ褒めてないよ」

 私は可笑しくて、何だか安心して涙が出てきたので、指でそれを拭う。

☆☆☆

「前野さん、ちょうどよかった。昼休みの追加申請を取り下げたいんだけど、ちょっといい?」

 夕暮れの放課後。教科書をカバンに片付けている最中。また、佐々木さんから声をかけられた。

「いいよ……あ、でもちょっと待ってね」

 私はカバンを片づけて、机の横にかける。佐々木さんは何も言わずに立って待っている。

「お待たせ。申請の取り下げだっけ?」
「うん。でも、その前に。何かごめんね。昼休みも片付けを急かしちゃったよね」

 佐々木さんがバツの悪そうな顔をする。

「いやあ……私も昼休みは『待って』って。ただ、ひとこと言えば良かったんだよ。気にしないで」

 私は頬をポリポリ掻く。

「うん……で、今は大丈夫?」

 佐々木さんがこちらを気遣うような表情をするので、私は頷く。

「大丈夫」
「ありがとう。あの、予算申請を取り消したいんだ」
「取り消し? どうしたの?」
「まあ、ちょっと模型部と話したんだよね」

 佐々木さんは心なしか清々しい表情をしている。話し合いは良い方向に進んだのだろうか。

「ああ、もしかして模型部の人に弁償してもらうとか?」
「そうなんだけど、うちらも模型部のジオラマ壊してっからね。あっちと話し合って、お互い弁償しあうことにしたんだ」
「そうなんだ。ちょっと待ってね」

 私は胸のつかえがすっと取れた気がした。机からごそごそとクリアファイルを取り出す。『追加予算申請書 女子バスケ部』の紙を引き抜いて、佐々木さんの目の前に出す。

「じゃあ、はいこれ。私がまだ持ってたから、返すよ。取消の手続きはいらない」
「ありがとう……」

 佐々木さんは用紙を見つめる。と、少し吹き出すように、くすくすと笑う。

「えっ、何? どうしたの?」

 私も半笑いで質問する。

「いや、模型部のアイツが言ってたよ。前野さんの説教はヤバかったって。気持ちをえぐられたって。ははっ。ありがとね。じゃあ」
「あ……」

 ありがとうを繰り返した佐々木さんは、手を振って教室を後にした。エリの一本背負いで忘れていたけれど、私も、らしくない大それたことをしたなと今更気づき、顔が赤くなる。

 いや、夕焼けのせいかな。恥ずかしいより、誇らしい気持ちがムクムクと顔を出したのがわかった。

☆☆☆

「菜月、お待たせしました。帰りましょう」

 エリが教室に戻ってきた。紙をたくさん持っている。

「急な転入だったので、色々紙を書きました。まだ終わりません」
「まあ、仕方ないよね」

 エリはハッとこちらを見る。

「仕方ない。その感情もネガティブなものですね。どうしてそういう気持ちになるのでしょうか?」

 しまった……もう今日は疲れて帰りたいのに。エリの気力と体力は底なしなのだろうか。私は首をぶんぶん横に振って抵抗する。

「いやいや、今日はもうおしまい! 疲れたの。私に迷惑はかけない約束でしょう?」
「はっ! そうでした。迷惑はかけない。また明日にします」
「そうだよ。もう帰ろう」

 校門を出て真っ直ぐの道を歩く。二人の影が長く伸びる。長い一日だった。

「菜月、今日はダメなところはなかったですね。むしろ大声をあげてからは、爽快な感じがしました。残念です」

 エリがちぇっという顔をするので、私は目を細めて苦い表情をする。

「ダメを祈られるとキツいんだけど。もう、やめてよね」
「すみません、つい……あっ、でも古典の音読の際のダメオーラはGoodでした。あのときの菜月の表情にはゾクゾクしました。またお願いします」
「ちょっと……忘れてたのに」
「それに、模型部の彼の弱さを見ることができました。強い怒りの念が、弱さから来るものだったとは。勉強になりました。初日にしては上出来です。では、また明日」

 エリは十字路で立ち止まる。どこからどう見ても女子高生の彼女は、アンドロイド。ただいま人間の弱さを勉強中。

「また明日ね」

 私は明日、彼女にどんな弱さを見せられるのだろうか。

第二話

第三話


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