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ナイチンゲールの憂鬱【第二話】無冠のTender Boy

「若葉さん、陸上部に入ってください!」
「結構です」
「若葉さん、ハンドボール部で一緒に汗を流しましょう!」
「すみません」
「若葉さん、本命の柔道部が来ましたよ! あなたの一本背負いは素晴らしかった! さあ、柔道で全国制覇を目指しましょう!」
「いや、入りません」

 エリのもとに運動部が次々と勧誘にやってくる。先日の部活棟前の一本背負いのせいだろう。しかし、エリは全てを塩対応で断る。

「私は人間の弱さを見たいのです。あんなムキムキマッチョの強い人たちに、用はありません。どうせ入るなら、弱そうな雰囲気を醸し出す部にしたいです」

 教室の机に肘をついて、エリはため息をつく。弱い部か。私は手元のクラブ活動予算振り分け表をチラ見する。『0円』と書かれた部が、1つだけある。

☆☆☆

 体育館内にピンポンのカンカンという音が響いている。今日の男女混合体育は卓球。

「すっげえ。マシーンみたいに正確だ」
「森永、俺も俺も」
「さすが、卓球部部長!」

 森永くんの台の周りに男子が群がっている。「ていっ」と男子が打った球は、卓球台の隅で弾かれるが、森永くんが涼しい顔で拾って、また男子の手元に帰る。

「はい。じゃあ、出席番号順にペアを組んでラリーしてください」

 先生の声で男子たちは「ちぇー」と言って解散する。そんな大人気の森永くんの相手は私だ。

「よろしくね」
「よろしく。私、下手で……」
「大丈夫。行くよー」

 森永くんは緩い球を私の手元に送る。が、華麗に空振り。森永くんは球を拾って、こちらに来る。

「前野さん、ちょっと触っていい?」
「あっ、うん」

 森永くんは後ろから私の右腕に触れる。

「脇は締めて、ラケットは当てるだけ。こんな感じで。うん。じゃあ、もっかい行こう」

 森永くんは元の位置に戻って、またフォアハンドでポンと球を打つ。ボールをよく見て。当てるだけ。手元で跳ねた球に当てるだけ。最初は空振っていたが、徐々にラケットに球が当たる。

「大丈夫、できてるよ」
「さっきよりいい感じ」
「失敗しないようにじゃなくて、この辺を狙って」

 森永くんは淡々と優しい声をかけてくれて、カチカチだった私の体が解れていく。当てるだけ。当てるだけ。

 笛が鳴る。

先生「はい。ひとつズレてローテーション」 

 私は森永くんのもとに駆け寄る。

「森永くんありがとう。私、こんなに打てたの初めてだよ」
「いやいや、前野さんがうまかったんだよ。またやろうね」
「うん!」

 私はニヤけながら次の台に移る。次に森永くんの前に立ったのはエリだ。

「よろしくお願いします」

 エリは森永くんの球を強く受ける。森永くんは「おっ」と言って強く返す。ラリーのスピードがどんどん速くなる。

「少し回転をかけてもいいですか?」
「いいよ。よろしく」

 エリは右足を少し後ろに引いて、ラケットを下から上に大きく引き上げる。

「ははっ、いいドライブだ」

 球の軌道が変わる。少し浮き上がる球。森永くんも溜めて打ち返す。

男子A「あそこだけ本格的じゃね」
男子B「すげえ速さだな」

 1台だけ本格卓球の様相。カンカンカンカン……ラリーは止まらない。

☆☆☆

「全く弱くありませんでした。期待外れです」

 体操服袋を持って廊下を歩くエリは、不満そうな顔をする。

「菜月は卓球部は弱いと言ってたのに、森永くんは明らかに強いです。もう」
「いや、そんなはずはないんだけどな」

 昨年の卓球部の実績はゼロ。部員数3人で規定人数に足らず、かつ大会の入賞歴なし。だから、予算が出なかったのだ。

「正確で粘り強いレシーブでした。入賞歴がないなんて信じられません」

 腕を組んで口を尖らせるエリ。と、後ろから走ってくる足音がする。

「若葉さーん」

 私たちは振り返る。森永くんだ。 

「若葉さん! 卓球うまいんだね。サーブも凄く回転かかってた。ねえ、卓球部に入らない?」
「お断りします」
「え……」
「卓球は詳しくないのです」
「詳しくないって、あんなにうまかったのに?」
「はい。それに、私は弱い人に興味があるのです。森永くんは強いので、申し訳ありませんが、入部できません」

 森永くんは困った様子で頭をかく。

「俺、弱いよ」
「嘘です。あの体育のラリーで弱い訳がありません」
「いや、あのメンタルがさ……試合では勝てないんだ」

 森永くんは恥ずかしそうに笑う。一方、エリは「ほう」と顎に手をやる。

森永「あと1点で勝てると思うと、体が急に固まるんだ。レシーブをミスしてどうしていいのかわからなくなる。11点目が入らないんだ」
菜月「そんなことってあるの?」
森永「強い回転には繊細なタッチがいるんだ。プレッシャーでそれがブレる。で、焦ってるうちに終わるんだ。卓球って試合時間がすごく短いからさ」
菜月「体育のときはあんなに正確だったのに?」
森永「はは……そこが卓球はメンタルスポーツと言われる所以だよ。って、勧誘してるのに、こんなことばかり言ってちゃ、ダメだよね」

 森永くんがエリを見ると、エリの目が輝いている。

エリ「いえ、その弱さに興味が湧きました。今日の放課後に伺います」

 ええー、相変わらず失礼だな。森永くんは「ははは」と失笑している。

☆☆☆

「10―7」

 放課後の第2体育館。森永くんとエリが卓球の試合をしている。私は点数係。あと1点で森永くんの勝利。

 エリのサーブは速く大きく曲がって、森永くんのラケットを弾く。

「10―8。チェンジサーブ!」

 森永くんは深呼吸して、球をトスする。ラケットを素早く動かして球に回転をかけるが、球はネットにかかる。

「10―9。森永くん……」

 森永くんの顔が歪む。
(森永:まただ。試合の流れが一瞬で変わって、集中を元に戻せない。ただの練習試合だ。リラックス……あれ? リラックスって一体どうしたらできるんだっけ? 頑張れ、俺! リラックスするんだ!……いやいや、そもそもリラックスって、頑張ってするものじゃないよね!)

 森永くんは首を横にぶんぶん振る。あと1点という場面から、森永くんの動きは明らかにキレがない。これが森永くんの言っていた弱さか。

 森永くんの体が固まっている。まるで朝礼台の私みたい。嫌な汗が出てくる。どうやったら柔らかくなるのだろう。

(『大丈夫』)

 体育のときの優しい森永くんが目に浮かぶ。

(森永『大丈夫、できてるよ』)
菜月「大丈夫、できるよ」
 
 ボードを持ったまま私は呟く。

森永「え?」

 森永くんが不安そうな表情でこちらを見る。私は森永くんから目をそらさない。

菜月「ナイスファイト。大丈夫、サーブ入るよ」

 体育の時間に森永くんに言ってもらったことを思い出す。

菜月「大丈夫。さあ、どこを狙おう? 入る、入る」

 大丈夫を繰り返す。集中する場所を伝える。そして、柔らかい笑顔で応援する。森永くんが私にやってくれたことを返す。

 私が助けられたように、森永くんも助けられるかもしれない。柔らかい笑顔……を作れているか自信がないけれど。

森永「ふふっ……うん」
(前野さん、顔が引き攣ってるよ。でも……何か可笑しくて力が抜けた。よし)

 森永くんは引き締まった表情で、チラリとエリ側のコートを見る。と、球をトス。絶妙にフォアかバックか迷うミドルコース。

 エリの黒目は一瞬、左右を彷徨う。ラケットの出だしが遅れる。球は鋭く、エリの体側面をすり抜ける。エリのラケットは間に合わなかった。

「11―9。森永くんの勝ち」

 森永くんはほっと胸を撫で下ろす。エリはすぐに卓球台にラケットを置く。

エリ「やっぱり強いじゃないですか。最後にあんな際どいミドルコースを狙うなんて」
森永「いやいや、たまたまだよ」
菜月「そんなことないよ。森永くんの実力だよ。最後のサーブは特にすごかったよ」
森永「ううん、違うよ。前野さんの応援のおかげで集中できたんだよ」

(エリが笑い合うふたりを不思議そうに見つめる)

エリ「森永くんは応援で強くなれたのですか?」
森永「あっ、そうだね。さっきは前野さんに励ましてもらえて、何だか集中できたんだ。ちょっと自信がついたかも……本当にありがとう」

☆☆☆

(博士が背もたれ椅子に座り、月を眺めている。後ろからエリが「博士」と声をかける。博士は男性だが、顔は影で隠れている。エリと博士は向かい合う)

エリ「博士、今日は応援の大切さについて勉強しました。ある男子がネガティブな念を発していたのですが、応援によって消えました。応援で人は強くなることがあるようです」
博士「エリ、それはとても良い内容を学習しました。人の弱さを知り、人を強く変える。それこそがあなたの使命なのです」
エリ「博士、私の使命とは看護ではないのですか?」
博士「もちろん看護です。しかし、真の目的は……あなたがもっと人の心を知ってから、教えてあげます」

(ナイチンゲールがランプを持ち、病院で病気の兵士を訪ねる絵画がアップになる)

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