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ナイチンゲールの憂鬱【第三話】博士の紳士的画策

「鍛錬遠足のコースには、地域の方がった……が黄色い旗を持って、立っていただ……くださっています。地域の方々のご協力あっての行事なので……えっと……通るときには挨拶するようにしてください」

 朝礼台から降りる。ああ、全校生徒に加えて地域の方々も見ていたのに、うまく喋れなかった。というか、いつもより人が多いせいで、すごく緊張した。

 まだ全く歩いていないのに、足がガクガクする。産まれたばかりの子馬のような足取りで、クラスの列に戻る。エリがひそひそと話しかけてくる。

「菜月、かなり強いダメオーラが出ています。遠足に行けるのでしょうか?」
「私、そんな強い念が出てる?」
「はい」
「ううっ……行ける。せめて遠足で巻き返さないと、帰ってからまた深く落ち込んでしまう……」
「興味深い心理ですね。でも、今は追及するのは止めておきます」
「エリ、空気読めるようになったじゃん……私は胸がいっぱいで嬉しいよ」
「恐縮です」

 もう胸いっぱい、お腹いっぱいなのだけど、大変なのはこれからである。

 うちの高校は山の上に立地しており、周りは坂道だらけだ。今日の遠足は、高校の周りの凸凹道を登ったり下ったりする。全長20km。軽い登山より確実にしんどい。文字通りの『鍛錬』遠足である。

 交通渋滞緩和のため、クラス単位でスタートする。スタート地点の人は減っているのに、待ちくたびれた生徒たちのお喋り声で、グラウンドは騒がしい。

佐々木「もうゴールしたのー。っていうくらい疲れた顔してんじゃん。ははっ、お疲れ」
森永「前野さん、無理しない方がいいよ」

 クラスの列からはみ出して、ふたりが話しかけてくる。

エリ「いかにも強そうな佐々木さんと、地味強の森永くんではないですか」
佐々木「その強い弱いに敏感なの、何なのよ」
エリ「重要なのです」
佐々木「はあ? やっぱ変わってんねー」
森永「まあまあ。俺たちは一応運動部だからね。強い人には楽しい鍛錬遠足。普段運動しない人には、キツい行事だよね」
菜月「森永くん、追い打ち……」
森永「はっ、ごめん、ごめん。前野さん頑張ってね。応援してるよ」

 ピピーッ

先生「2年1組は出発してください」

 先生がマイクで案内している。

エリ「あっ、私たち呼ばれましたよ」
菜月「じゃあ、先行くね」 

 ふたりに手を振って校門を出る。と、坂を下ってから次の坂の上まで、人が蟻の行列のように連なっているのが見える。

 ああ、始まった。20kmの始まりだ。そう思うと、既に足が重い。

 ちんたら歩いているエリと私の横を、鍛えられた身体の男子が数人走り抜けていく。エリは彼らをじっと見つめる。

「あの人たちから『俺が一番だ』という念が、強く出ているのですが、何故ですか?」
「ああ、サッカー部や陸上部だね。早くゴールしたいんでしょ。一応タイム取ってるから」

 彼らは部活のユニフォームやTシャツで走っている。

「良いタイムを出そうと『闘争心』を燃やしているのですか。うーん、強い気持ちですね」
「いや、そうでもないかも……」
「え? 何でですか?」
「この行事って、マラソン大会みたいなもんだからね。ゴール地点では何かドラマがあるかもよ。うまく走れなかった『悔しい』気持ちや、全部出しきった『達成感』や『脱力感』とか」
「ほう。それは見てみたいですね」

 エリの瞳が輝く。うずうずしているようで、足踏みが速くなる。

「エリ、先行っていいよ。ていうか、今日はエリの疑問に答えられるような元気がない」
「わかりました。ゴールで待っています」

 エリは進行方向に向けて軽快に走り出す。茶髪が蟻の行列をすり抜けていく。あっという間に、エリの姿は見えなくなった。

☆☆☆

 太陽が真上に近くなって、ジリジリ暑い。エリと別れてずいぶん時間が経った。3つ目の坂道を登り切る。足がパンパンだ。8km地点の看板が見える。まだ半分も歩いていない状況に絶望する。

 息が切れて、動悸が激しくなっているのがわかる。男性が黄色い旗を持って立っている。蜃気楼のように、ぼやけているけれど。朝礼台に立ったときと同じくらい、動悸がする。視界が更に濁る。男性がこちらに駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか? フラついてますよ」 
「大丈夫です。ちょっと貧血みたいで」
「向こうの木陰で休みましょう。さっ、僕に捕まって」
「すみません……」

 男性はリュックを持ってくれる。私は男性の肩を借りて、ずるずると木の下まで引かれていく。男性は携帯で「はい、女子生徒1名休憩中です」と電話している。木にもたれてボーっとお茶を飲む。涼しい。座っていると、徐々に視界がクリアになってきた。

「ありがとうございます。朝からちょっと緊張していて、疲れが出ちゃったのかな。すみません」
「いえいえ、少し元気になられて良かったです。学校には一応連絡を入れておきました」
「助かります。本当に何とお礼を言ったらいいか……あ、私は前野菜月と申します」
「知っています」

 男性は私の体操服の『2-1 前野』と書かれたゼッケンを指差してウインクする。

「僕はエリの博士です」
「え?」

 男性は高身長で細いけれど、程よく筋肉がついている。年齢は30代だろうか。

「あ、博士って言うから、てっきりご年配の方だと思っていました。勝手な思い込みで失礼いたしました。びっくりしちゃって」
「はは、なるほど。僕の本名は藤澤です。藤澤太朗」
「藤澤さん……」

 どこも悪くなさそうな藤澤さん。

『私は看護ロボット。博士のお世話をしていたんですが、『お前は人の感情がわかっていない。人の弱いところや欠点を理解しないと、人には寄り添えない』と言われました』

 クリアになってきた頭で、エリの自己紹介を思い出す。

「あの私、エリは藤澤さんのお世話をする看護ロボットだと思っていたのですが、違いますよね?」
「ははは、僕の世話ではないですねえ。確か、練習台になったことはあります」
「えっと、誰の看護をするんですか?」
「弱った人、誰しもですよ。ゆくゆくは日本全体のために働いてもらおうと思っています」
「壮大ですね……エリは弱い心を勉強していると聞きましたが、何故ですか?」
「看護するのは、弱い人の可能性が高いでしょう。だからです」
「はあ……」

 壮大というか、ぼんやりしている。でも、これ以上、何をどういう風に聞いたらいいのだろう。

 博士はにこやかだけれど、Q&Aに必要最低限で答えるのみ。会話を膨らませる気はないように思える。

 何となく踏み込みづらい。つい、博士から目をそらして、お茶を飲む。

森永「前野さん!」

 次の言葉に迷っていると、声が飛んできた。森永くんが走ってこちらに来る。

森永「前野さん、座り込んで大丈夫?」
菜月「うん、大丈夫」
博士「君、前野さんのお友達? 貧血起こして今は大丈夫みたいだけど、念のため一緒に行ってくれないかな?」
森永「もちろんです。前野さん立てる?」
菜月「うん。ありがとう。じゃあ、藤澤さん、ありがとうございました」

 藤澤さんは微笑みながら手を振る。森永くんと私は会釈して歩き出す。

「前野さん大変だったね。始まる前から一仕事だったしね。もうゆっくり行こう」
「ありがとう。本当助かる。森永くん、本当は速いのにごめんね」
「全然いいよ。遠足は競争じゃないし、勝ち負けもない。俺には気楽な行事だよ」
「森永くんらしいね。ありがとう」
「もういいって」

 ありがたいことに平坦な道が続く。10km地点の看板を通り過ぎた。残り半分を切った。そう思うと、急に気が楽になった。田んぼは、ところどころ田植えが終わっている。緑の稲と水鏡になった青空が美しい。

「今更気付いたけど、きれいな風景だねえ」
「ははっ、前野さん今までよっぽど余裕なかったんだね」
「お恥ずかしながら。やっと遠足に来た気がする」

 私はバンザイをして背伸びをする。空気が気持ちいい。

「そういや、さっきの人、俺見たことあるんだよね」
「そうなの? 偶然だね。どこで?」
「家の玄関。親父が酔っ払ったときに介抱してくれたんだよ。もうベロベロでさあ。家の中を運ぶのも、一苦労」
「あはは、大変だったね。あの人はお父さんのお友達?」
「ううん、仕事関係。仲良さそうだったけど。だから覚えてるんだ」

 歩くテンポに合わせて何気ない会話をする。疲れと時間が紛れて、良い気分だ。

「へー、お父さんの仕事って何なの?」

 森永くんへの質問も気軽に繰り出せる。

「自衛隊だよ」

 自衛隊。急に気温が下がった気がした。

 エリが看護するのは藤澤さんではなく、不特定多数。藤澤さんは自衛隊関係者。

『日本全体のために働いてもらおう』

 藤澤さんが言った意味を考える。エリは自衛隊関係者の看護をするのかもしれない。自衛隊が怪我する場所。それは被災地か……戦場か。

☆☆☆

 博士が風に吹かれて、菜月と森永を見送っている。

「前野菜月さん。エリから聞いていたけれど、思った以上に良い人材だ。あの上品な繊細さ。彼女ならエリを十分に育ててくれるだろう」

 博士は微笑む。

「戦場のナイチンゲールに」

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