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これからが分かる企業の生い立ち③

皆さん、ソニーといえば何を思い浮かべるでしょうか?
カセット、レコードプレイヤー、ビデオ、ウオークマン、プレステ、それにレコード会社でしょうか。まあ、色々とあると思うんですが本日はソニーについて話そうと思います。
しかし、そう言う時代からあまりソニーという名を耳にしてこなくなった気がします。それにその当時ソニーの家電製品を持っていると金持ちみたいに思われたような気がします。
ミュージックプレイヤーや携帯スマホ、パソコンなどAppleに持って行かれたような気がいたします。
2003年ソニーショックを受けソニーの株が暴落しストップ安を付けるまでに陥ってしまったのです。ここでソニーはもう終わったかと思われました。
しかしある人物のおかげで2018年度過去さ公益を得たのです。
その人物こそ平井一夫氏である。この方は3度にわたってこのソニーを立て直してきた人物である。彼の幼少期も面白い、父親が銀行員だった為か小学生からアメリカへ行く。そして小学4年生になって日本に帰ってくる。が、しかし日本の学校に馴染めず、中学からは親に頼み込んでアメリカの学校に行く事になる。
よほど日本の学校教育に不満があったのだろう?と思う。
大学はICU国際基督教大学に進学します。この学校は日本にあり、国際的なインターナシナショナルな大学です。
就職は日産かCBSソニーに決めようと思っていたらしいです。
それは自動車と音楽が好きだったんですよ。
そして父親にこれからはソフトウェアーの時代だ!っと言われCBSソニーに行く事になるんですですよね〜。
そこでニューヨークに転勤辞令を言い渡され行くことになるんです。
そして、あのPlayStationをアメリカで販売されようとしていたんです。
しかし本当は音楽の分野に行きたかったのが、プレステを売る事を手伝え!っと言われたのです。ここで上司の丸山さんはわざとニューヨークの転勤を周りから声をかけ仕掛けていったみたいです。
ここでプレステを売る経験がその後の人生を変えるのであった。
そして1995年にPlayStationが発売に。売れるかどうかはここで完全に分からなかったが、何と現場に行ったら行列が出来ていたらしい。
ここで平井氏はアメリカに通用するの日本のコンテンツはゲームなのかも知れない!と思ったみたいだ。そして実は最初はあの任天堂と共同開発だったです。
しかしこの途中に任天堂からソニーさんとは今回は。と断られていたんです。
そして任天堂にここまでされてソニーが黙ってていいんですか?っと猛反論。
任天堂に勝てるものが作れるのか?っと言われたがここまで出来上がっている物を簡単に諦めたくない!と思ったのです。そしてここからPlayStationがスタートします。日本にもこの後販売になって大騒ぎになります。
SCEAソニー・コンピューターエンタテイメントの責任者に就任する事になる。
ここでトップになり何と一人一人と1オン1ミーティングをする。と実行します。
しかも全社員とするわけです。ここで人間関係がボロボロだ!という事に気づくんです。今、ここで戦略とか戦術とかではなく、この人間関係を何とかしなきゃいけないんだと。そしてここで辞めなきゃいけない人を決めるんです。
そして辞めてもらう説明を自らしに行くんです。
嫌がる仕事をやる!それがリーダーの仕事です。そして一人一人に説明しにくんです。トラブルメーカーの人には辞めてもらういう事です。
さらにクリエイターファーストと言うのを打ち出すんです。日本でも沢山売れていました。だがアメリカでは量販店が少ないと言うこともあり数より質で勝負する!と言う事を宣言するんです。このトップに上がった平井さんの武器が聞く力とクオリティ主義なんです。
この頃ソニーミュージックと名を変えクオリティの高いプレイヤーを捕まえる。
そして専属契約をする。丁寧に少なく作っていって付加価値をもたらせるということをして行くのです。そしてアメリカで甲を制して行くんです。
ここで自身はこれで私の仕事が終わった。と思っていた。が
ソニーはまだ平井氏を必要としていた。
日本ではこの頃ソニーがとんでもない状況になっていたんです。
日本ではアップルのiPodが、そしてTVでは韓国のサムスンが流行っていたのです。そして、この時ソニーは過去最大の赤字で4500億円の損失をしていたのです。そこで出てくるのがPlayStation3なんです。
そしてここに久多良木という天才が現れるのです。
この方は徹底的な完璧主義な方で、ゲーム機一つを隅から隅までをチェック。
そして。少しでもクオリティの低いものは返す。という手法であった。
ある時社内に自販機が置かれました。この時少しズレていたんです。
それを見た久多良木氏は業者に持って帰るように指示をする!ななんと。
そしてこのPlayStation3をただのゲーム機にしないと宣言する。
これは家庭に置くスーパーコンピューターだ!ただのゲーム機ではないという。
しかしクオリティの高さやブルーレイでの機能を充実させた為、販売価格6万円という事になってしまったのです。
その結果日本中から批判の嵐が来たんです。った高っけ〜の声が連続するのです。そしてこの時任天堂がWiiが2万円台で登場するのです。そしてソニーを苦しめ始めるのです。そしてここでアメリカから平井氏が呼ばれる事になるんです。
このPlayStation3は5万円台にすると1台売る事に赤字が出るとう結果になっていたのです。でも世間からは子供のゲーム機としては高過ぎるという声がほとんででした。しかし売れば売るほど赤字の出るのを分かっていながら発売をスタートさせるのです。そしてここでソニーは2300億円の赤字になってしまったのです。
その責任を負い久多良木氏は退任する事になるのです。
そして全てを平井氏が背負うことになるのです。
ソニーグループの全ての赤字をPlayStation一つでだ出してしまうのです。
平井氏は全ての幹部から大批判を受ける事になってしまったのです。
そして前回アメリカでやったように一人一人に聞きに、そしてミーティングを毎日のようにやっていった結果、殆どの社員からハイスペック過ぎますよ。
これじゃ〜売れないですよ。と言われ、これはゲーム機ではないというのです。
お客さんはスーパーコンピューターが欲しいのではなく家庭用のゲーム機が欲しいのです。そして全てのコスト会議に社長自ら出席するんです。
そしてPlayStation3をもう一度ゲーム機にすると打ち出すのです。
何度も何度もコストカット、そして現場に出向くのです。
そしてそこから2年で2万円台まで値下げをするのです。そして販売台数1億台を突破!!しかし本体のソニーはエレクトロニクス分野で2008年から8年連続の赤字を出していたのです。ここで平井氏がソニーグループ社長として就任。
この時既に過去最大の4500億円の赤字を呈していた。
またもやここで平井氏は世界中の社員に話を聞きに行った。
毎日ミーティングの繰り返しをしていたのです。そして過去を振り返りソニーの
サービスにはいつもワクワクがあったと思い「感動だよ」というのです。
そしてソニーは自信を取り戻さなくてはならないと!
ここで再生させなくてはならないものと言い「テレビだ」というのです。
しかしテレビはサムスンとかには勝てません。対し平井氏が打ち出したのは画質と音質のクオリティを上げての4Kテレビを台数ではなく、あくまで値段も抑えずソニーの良さを感動を世界中の方々にお届けするんだ!とクオリティ勝負だと!
そしてテレビ事業を数年で黒字に追い込んで行くのです。ここで差別化を図ったんです。そしてパソコン部門の撤退を表明するんです。あのVIIOを事業売却する事を決断するのです。そこでパソコン部門から大量のリストラをして行くのです。ここでも平井氏は一人一人に説明をし「お疲れ様でした」と頭を下げて行くのです。ソニーの技術を作っていたのは人だったと。胸に刻みながら方針を打ちだていくのです。ソニーはエレキだけではない!クオリティのソニーだ!と言い。再生させるところは再生し、生まれ変わったSONYになったんです。
そして2018年最高益の7348億円の黒字と返還させるのです。
20年ぶりの更新となるのです。
そして平井氏はSONYの再生に成功させたのです。
ここで平井氏は「ソニーをここで退任させていただきます。」というのです。
え〜って!
そうなんです。平井氏はピンチの時に常に呼ばれていたんですよ。と。
無理だと思われるところに燃える男だったんですよ。というのです。
私の出番は終わりました。ここにはもうソニーを再生できる人々がいます。
これからは私は教育に携わろうと思っているんですよ。と発言。
そして日本の教育に専念したいと語ったのでした。
いま現在ソニーは新たの分野をEVの開発に取り組んでいます。
アップルもEVの事業にも来ています。これからはEVの争いになるでしょうか。
本日はありがとうございました。


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