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宇多田ヒカル、米津玄師、邦楽の2大到達点

ado論とはうってかわって絶賛します。

以前、筆者はadoについて多少、辛辣な見解を書いたのだが、その記事は当、弱小noteにおいて、不本意ながらダントツのPVとなっている。

《次は、自分が心底、好きなアーティストについて触れてみたいものだ》

そんなわけで、宇多田ヒカルである。
宇多田ヒカルが《Automatic》で華々しく世に出てきた時、すでに20代中盤だった僕は、その音楽に心を震わせられなかった。

いや、言うまでもなく、メロディメーカーとしての才は一聴瞭然だったが、いくら天才といえどもいかんせん、10代の女の子が紡ぐ歌詞である。

《ラブソングばっかだな》

別に、ラブソングを否定するわけではないがw
ただ、例えば、吉田美和がソロ名義で発表した《生涯の恋人》や、ユーミンの《DOWNTOWN BOY》のような、そんな、1本の名画を観たような余韻は感じられなかった。

《でも「first love」は、スタンダードナンバーになるだろうな》

それだけが、800万枚以上売れた《最終どんくらい売れたのかは知らん》彼女の1stアルバムに対する、著者の感想。

ティーンのみずみずしい感性を充満させた、若き天才・宇多田ヒカルのデビューアルバムのチェックをTSUTAYAのレンタルで済ませた私は、その年齢あたりで《聴き手としてもバンドマンとしても》音楽を撤退し、青春のモラトリアムを終了したのだった。

そして20代後半からは、目まぐるしく仕事に追われ、生活に追われ・・・。

以降、えげつない紆余曲折を経て、40歳で今の家族を持ち、パパとなった次第である。
※あ、でも途中、「traveling」にはハマったw

時は流れて、数年前のある夜。

寝つけなくて、何気なくYouTubeサーフィンをしていた私は、宇多田ヒカルのある曲に行き着いた。

《Goodbye happiness》

PVの宇多田ヒカルは、可愛くも美しい大人の女性になっていて、その曲とPVの出来映えはtraveling以上に素晴らしく、今や愚鈍なオッサンになり果てた私でさえ、ハッと我に返るまで、しばし心を奪われたものである。

そして何より、自分より9歳も歳下の彼女が綴る歌詞に、強烈な衝撃を受けた。

《考えすぎたり、自棄起こしちゃいけない
子供騙しさ、浮き世なんざ》

説得力に、思わず息をのむ。

確か、宇多田ヒカルのママである天才シンガー、藤圭子は、飛び降りによる自死によって亡くなっているはずで、それに前後して彼女自身もしばらく、《人間活動を優先する》として、活動を休止していた記憶がある。

ラブソング主体の少女だった天才ソングライターは、様々な、母の死を初めとする大きな出来事を経て、大人の女になり、この世知辛くて厳しい世の中を、《子供騙し》だと歌うようになっていた。

そう、案外それが、人間社会の本質であり、世間の本性なのかもしれない。
そしてそんな風に受け止めれば、確かに小さな痛みや苦しみに、いちいち悩む必要もないではないか?

《全ては些事であり、大した話じゃない。だから悲しんだり落ち込む必要なし!》

彼女には、世の仕組みが、一体、どこまで見えているんだろう?
そして彼女は、その鋭敏な感性で、一体何を感じて、そして歌によって、私のような愚民に、何を伝えようとしているのだろう?

それから「花束を君に」聴き、そしてーーー。

遂に私は、その曲に《超今さらで》出会ってしまったのである。

それは、長きに渡り、ミスチルの桜井和寿こそがただ独り、邦楽の到達点だと思っていた筆者の固定観念が、崩れた瞬間でもあった。 

「真夏の通り雨」という奇跡

筆者はこれまで、宇多田ヒカルの歌詞の考察記事や、それに対する本人の発言、インタビューなどを見聞したことはない。
今回、記事を書くにあたり、初めて何人かの考察に目を通してみたが、やはり歌詞に対する解釈は、それぞれ私とは違っていた。
だから受け取り方自体が間違っていてもご容赦して欲しいのだが、恐らく「花束を君に」は亡くなった藤圭子さんへの曲で、「真夏の通り雨」も同様だというのは、間違いないようだ。

真夏の通り雨

夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻らない 
さっきまで鮮明だった世界 もう幻


汗ばんだ私をそっと抱き寄せて
沢山のはじめてを深く刻んだ


揺れる若葉に手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
いつになったら悲しくなくなる
教えてほしい

今日私は一人じゃないし
それなりに幸せで
これでいいんだと言い聞かせてるけど

勝てぬ戦に息切らし
あなたに身を焦がした日々
忘れちゃったら私じゃなくなる
教えて 正しいサヨナラの仕方を

誰かに手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
今あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて

木々が芽吹く 月日巡る
変わらない気持ちを伝えたい
自由になる自由がある
立ち尽くす 見送り人の影

思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない
愛してます なおも深く
降り止まぬ 真夏の通り雨

夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまであなたがいた未来
たずねて 明日へ

ずっと止まない止まない雨に
ずっと癒えない癒えない渇き

るなる~な様の記事より抜粋

歌詞に、すぐ藤圭子さんを連想したものの、別れた男性への未練や恋慕とも受けとれる《対象を敢えて曖昧にしている?》内容でもある。

特に、

《勝てぬ戦に息切らし
あなたに身を焦がした日々
忘れちゃったら私じゃなくなる
教えて 正しいサヨナラの仕方を》

この部分は、女性の、惚れ抜いた相手に対しての、別れて間もない頃の感情のように思える。
ただ、女性という生き物は、別れた男性との日々を忘れたら自分じゃなくなる、なんて、そんな鎧を着て、後ろ向きに生きてゆくものだろうか?

《女性は上書き保存、男性は名前を付けて保存》
《男は過去を生き、女は未来を生きる》

筆者も年相応に恋愛はしているし、別れも、それどころか離婚さえも経験しているがwww恋という魔法が解けた女性ほど、ドライな生き物はいないと実感しているw

いや、そりゃあね、私のようなカスではなく、めちゃくちゃ魅力的な男性と付き合い、別れれば、無論、後ろ向きに生きる女性が誕生するケースもあるとは思うのだが、ただ、少なくともこの究極の名曲が《失恋ソング》だなんて、さすがにそれはないと思った。

論理的でなくて申し訳ないんですが、私自身、この曲を聴いてイメージしたのは・・・。

寝苦しい夏の夜の寝床、グズる子供。
眠るまでさすってくれる、母の無償の愛。

私にとっての舞台は、蛙の鳴き声が夜通し響く、田園地帯の深夜。

時は昭和50年代。

大阪といっても南部の、かなり郊外の町。

《足がだるい》と泣き続ける私の足を、さすってくれる母。また違う夜は、気管支炎を拗らせた私の胸に、ヴィックスヴェポラップ《スースーする塗り薬》を塗ってくれる母。

窓をあければ、一陣の風が一瞬だけ肌を乾かし、田園独特の匂いに、夏を実感したあの頃。

世の中のことや人生の悲哀や、自分自身の劣等感からさえ自由で、幸せだった幼少時。

そこにいる、まだ若く、生命力に溢れた母。
どんなに渇望してももう手に入らない、今は亡き母のぬくもりに触れる、この上なく幸福な夢。
でも不覚にも、途中で目覚めてしまう私ーーー。

覚醒した宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」は、彼女より8歳も年上の枯れたオッサンを、一瞬でその情景の中に連れていってくれた。

そしてしかも、不覚にも涙が!!

《すげぇ曲だ・・・これはタダ事じゃないわ》

音楽を聴いて泣くなんて、尾崎豊に初めて触れたティーン以来だった。

美しい日本語の数々

確かにこれまで、その曲を聴いた瞬間、ある情景がリアルに浮かんだという経験は、3度ほどあった。

THE BOOMの「中央線」と、大江千里の「2つの宿題」、そして、敬愛するMr.Childrenの「クラスメイト」である。

その3曲のメロディと歌詞には、それぞれ同種の魔法がかかっていたように思うが、ただ《真夏の通り雨》の根底には《母性に対する渇望》のようなものが感じられ、やはりそれは、所詮、他人同士である男女の愛の歌より、圧倒的な深みを帯びて、聴く者の魂に迫ってくるのだ。  

大半の人が普通に得られるはずの母の愛や温もりを、人生の早い段階から得られなかった彼女。
そして、そんな、アメリカ育ちのはずの彼女が使用する、日本語の美しさ。

夢の途中
瞼閉じてもす
鮮明だった世界

沢山の初めて
想い馳せる
勝てぬ戦
身を焦がした
木々が芽吹く 
自由になる自由がある
見送り人の影
なおも深く

全ての一節が、曲のタイトルになる位美しい。
そして、表題の「真夏の通り雨」。  

通り雨が降り止まないのは、悲しみが癒えなくて、涙が止まらないからなのか、はたまた、永遠に胸の中で流れ続ける「鎮魂歌」を表現しているのか。

何よりなぜ「通り雨」?

それは、例えどんな深い悲しみを抱えても、人間は生きる以上は、乗り越えて次の場所に行くしかないということ。

その雨を敢えて通り雨としたのは、深い悲しみを諦めて甘受したからか、はたまた、それを越えて生きてゆく決意表明かーーー。

とにかく宇多田ヒカルが紡いだこの曲は、邦楽の到達点であり、J-POPを紡ぐソングライターの極致点ともいうべき、歴史的な傑作であることは、間違いないと思う。

過去、女性のソングライターの作品で、こんな成層圏のような高みに至った曲は、中島みゆきの「糸」くらいではないだろうか?

《もう、こんな天才的なアーティストはそうそう出ないだろうな・・・》

ところが十年一昔。
今度は女性ではなく、男性アーティストに、究極の才能の持ち主が降臨したのである。

彼は、宇多田ヒカル以上に美しい日本語を操る、J-POP史上他に類を見ない、究極の才能の持ち主、紛れもない天才であった。

米津玄師に対する認識は遅かった。

あくまで個人の主観です、という前置き付きで書くが、才能的に、私は、aikoにしろ、椎名林檎にしろ、宇多田ヒカルには及ばないと思っている。 

同様に、藤原基央にしろ、野田洋次郎にしろ、桜井和寿には及ばないと思っている。

更に同様に、あいみょんにしろ、髭男・藤原聡にしろ、米津玄師には遥かに及ばないと思っている。
《イノタケさんの漫画に置き換えれば、スラムダンクなんて、バガボンドの足下にも及ばない、とまぁ、そんな感じ?w》

細かく分類すれば、作曲だけならaiko、とか、個性なら林檎、とか、歌唱力なら髭男・藤原、等。
そんな風に、切り口を変えた評価なら幾らでもできるであろうが、筆者個人がより重きを置くのが、その作品《曲》がいかに、理屈抜きで魂を揺さぶるか、もしくは、誰かの人生にさえ、影響を与えるか、という点だ。

つまり、チームスポーツに青春や人生を捧げたり、プロアマ問わず、アスリートだったりって人にとっては、もっと言えばバスケットボールが物凄く好き、という人にとっては、スラムダンクはそういう作品になり得るだろう。

ただ、筆者は格闘技系や競馬にしか興味がないし、自身が特定のスポーツに打ち込んだことも、チームスポーツの一員になったこともなく、また、それに対しての憧れや興味も全くないので、そんな男にとってスラムダンクは、どこまでいってもスポ根漫画、単なるエンタメ作品なのである。

見たり読んだりすれば、傑作なのは理解できるし、無論、楽しいが、要はそこまで。

《あきらめたらそこで試合終了ですよ》

という安西先生の名言も、私には《そりゃそうだろうな》ってな刺さり方しかしないわけだw

でもバガボンドは違う。

1人の男が七転八倒しながら漂泊の人生を往く。
自分の強さや弱さと向き合いながら、他人の命さえ奪いながら、自身の命さえ投げ出しながら。

《生きる意味は?強さとは?》

そんなテーマだから、主人公は常に傷だらけ、イノタケさんもしまいには同様に自身を追い込み、漫画なのに筆と墨で描き始めたりしてw

一体、幾度、あの作品の描写やセリフに、心を奪われ、揺さぶられたことだろう?

そんな筆者にとって、長らく邦楽の最高峰は桜井和寿であった。いくら桜井氏自身がBUMP OF CHICKENのファンでも、BUMP OF CHICKENが米津玄師にとっての神様でも、世代的に、なのか、私にとっては藤原君の作品より、遥かに桜井さんの作品の方が肌に合うのである。

ただ、先述したように《真夏の通り雨》の衝撃、その作品としての深さ、宇多田ヒカルから放たれる圧倒的な才気は、Mr.Childrenの作品から感じるソレを上回るものだった。

《Lemon》?

ああ、流行ってるよね?
ボカロ出身の、、、アレ、よねづ?何て読むの?

それが当初の認識w
アンテナも折れ、感性も鈍った愚鈍なオヤジとは、その程度のものであるwww

ところがその後、《カンパネルラ》から始まるアルバムを車で聴き始めて、その認識は一変した。

《アレッ?この人、ヤバくない??》

そして《フラミンゴ》を聴くに至り、ようやくにして、私は米津玄師の天才を理解し、今はひたすら、

《さよーなら、またいつか》

をリピートし続けている。
《その前は、野田洋次郎との《プラシーボ》をひたすらリピートし続けていた》

てなわけで、米津玄師論は次回また。

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