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会話が苦手なのは、自分のことを気にしすぎているから

僕は昔から会話への苦手意識がある。何回も会ったことがある人ならまだマシなんだけど、初対面や会った回数が少ない人との会話は、とても緊張する。

「誰でも少なからず、そういうところはあるよ」と思われる方もいるかもしれないが、僕の緊張度合いはかなり高いと思う。緊張して早口になったり、小さい声でもごもごしゃべってしまう。あと、どもってしまうこともよくある。聞き取りにくい話し方は、相手に迷惑をかけてしまうからやめたいんだけど、気づいたらそういう話し方になってしまう。


今日も、そういう話し方をしてしまった一日だった。今日は僕が所属している研究室で、大掃除があった。普段違う部屋にいる人たちも集まって掃除するわけだけど、予想通りその人たちと話すときに、すごく緊張してしまった。

一緒にこうやって集まるのは年に数回ぐらいしかない研究室なので、隣の研究室の後輩と話すのは、ほとんど初対面に近い。そして、普通ならこういうとき、僕より後輩のほうが緊張するものだと思うけど、後輩のほうが落ち着いて話していた。

「先輩なのに情けないな」「もっと堂々としろよ」

会話に苦手意識を持つ自分が、また嫌になった。昔から何回もこうして、人と話す場面を繰り返してきたのに、いまだにうまくならない自分。そして会話に苦手意識を持つと人と会話することを避けようとして、悪循環に陥りそうになってしまう。

でも会話することを避けていたら苦しみは減るかもしれないけれど、喜びを感じることも少なくなる。良い人間関係が人間の幸福度を左右するわけだけど、会話をせずに親密な関係を築くことはできないから。

「会話に苦手意識を持たないようになりたいな。」

そう思い、僕は自分がなぜ会話を苦手に感じるのか、原因を考えてみることにした。

僕が考えた結論は、「自分が相手からどう思われているか気にしすぎているから」だ。



会話をしているときの自分を振り返ってみれば、しょっちゅう自分が相手からどう思われているかを気にしている。例えば、見た目とかだ。面と向かって話すときに、「自分の見た目がおかしくないかな。」みたいなことを気にしてしまうことが多い。

特に肌荒れしていることが、他人からどう見られているのかが気になる。成長期が遅いこともあってか、まだ肌荒れが治まってなくて、周りからどう思われるか気にしても何も変わらないのに、うじうじ気にしてしまう。

そして注意のベクトルが自分に向きすぎると、会話にしっかり集中ができなくなる。自分のことを「良い意味でどうでもいい」と思えれば、話し相手だけに全注意を向けれて会話も楽しめるのだと思う。実際に周りのコミュ力が高いと思う人は、自分のことより相手のことに意識を集中させている人だと感じる。

会話はキャッチボールだと言われるけど、まずは相手の話をしっかり受け止めないと、そのキャッチボールは続かない。そして、会話の上手い人は、落ち着いて相手の投げたボールをしっかり捕ろうと集中している人だと思う。

逆に僕の場合は、自分の身の回りのことを気にしすぎてキョロキョロしているところに相手の投げたボールが飛んできて、顔面にぶち当たっている状態だ。こんな状態では、良い会話はできない。


自分のことを「良い意味でどうでもいい」と思えるようになるのは、けっこう難しいことだと思う。見栄やプライドが邪魔をするから。

でも、いろんな価値観を持った人と会ったり、普段しないような経験を重ねていくことで、いろんな角度から物事が見えるようになり、自分が気にしていたことが全然大したことではなかったと気付けるようになるのかもしれない。

あるとき、おばあちゃんにこのことを相談してみたら、「自分が思っているほど他人はあなたを見てないよ。」って言われたな。長い人生でたくさんのことを経験した結果、分かったことなのだろう。

僕もいつか、心の平静さを保って会話ができることを願って、明日も緊張しながらでも、会話を逃げずにしていこう。



おわり

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