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noteを続けて分かった「発信するメリット」と、「noteを続けるための心の持ち方」


 おはよう! 今日も書いていこう。
 
 noteは、SNSの中でも、見るだけの人と発信者とで、発信者のほうが多く集まっている印象がある。
 私もまだ駆け出しだけれど、自分なりに実感したnoteを続けてきて分かった「発信するメリット」と、「noteを続けるための心の持ち方」について、書いていきたい。

 そもそもみんななぜ、発信しようと思ったんだろうか。発信することにメリットがあると思ったからだろう。それでは発信することの目的はなんだろうか。そう、ペルソナはいつも自分。自分に当てはめて考えてみる。
 私がnoteを始めた理由は、「文章を書くことで自分の人生を変えたいと思ったから」だ。「今の会社員人生をシフトチェンジできたら」「もっと自由な生き方に変えられたら」。本とかも出せたら嬉しい。こうした気持ちを心に持って生活するだけで、心に潤いが生まれるということがまずある。自分の目標のために、一歩一歩でも、進められている感覚というか。
 他にも、単に文章力・構成力が鍛えられるとか、アウトプットすることでもっとインプットができるようになる・感覚が研ぎ澄まされるとか、そういうメリットも既に実感しているところ。
 それから、noteを書きたくて朝型になった。これもすごくメリットを感じていること。なんとなく「朝活とかできるし、そのほうがいいんだろーな」と思っていて、でもずっと出来なかったことだけど、noteのお陰で変えられた。早起きの分、夜は早くに寝るので、飲酒量もすごく減った。かといって、日々の生活への満足感が下がったわけではなく、逆に上がっている。
 単に、文章を作り上げられた時の満足感、というのもかなり大きい。朝からハッピーになって、その後の仕事も良い気分で進められる

 無料で始められるなかで、既にメリットは十分享受しているようにも思う。

 こうして良いことの多いnote投稿。産みの苦しみはあるかもしれないけれど、もっともっと、続けていきたい。

 そしてそのためには、誰かの役に立つものである必要がある。ここでよく迷うのだけれど、私は「自分だったらどんな記事を読みたいか」を考えるようにしている。自分のために、自分をある意味 ”癒す” ために書く。ペルソナ(想定顧客)はいつだって自分。そうすると、他でもない自分のためにすることなので、頑張れる。作曲家が自分の聞きたい曲を、自分を癒すために作るように。

 映画監督の伊丹十三が、インタビューで「結局、”大衆”は、鼻面を引き回して連れていくなんてことはできない。だから、自分の好きなように作る以外ない」と言っていた。世間をこちらに都合よく操作することなんて無理だ、だから、誰かの意見を取り入れて、誰かの気に入るように作るんじゃあなくて、自分で良いと思うものを作る、それしかないんだ、という主旨だった。そういうことだと思う。

 noteの記事を作り上げて、公開した後。何度か読み直すこともあると思う。そういうときも、誰かのために書いた記事は、読み返すのが辛くなる気がする。それが自分のための記事なら、読み返すたびに、応援されている気持ちになる。

 「そんなのはプロじゃない」という向きもあろうかと思うが、いいんです、プロじゃないので。もし誰かが気に入るような記事を書いてプロになれても(本が出せても)嬉しくない。だってそれは”自由”ではないから。
 
 もちろん、誰かの気に入るように書ける方は、それはすごいと思う。私にはそれでは続けられなくて、でも私が続けるための心の持ち方はこうだ、ということ。どちらが良いということではなく、どちらも良いということ。 

 今日は、自分なりに実感した「noteを続けてきて分かった、発信するメリット」と、「noteを続けるための心の持ち方」について書いてみました。

 noteを始めたことで、自分の生活が、世界の見え方が、けっこう変わりました。
 自分が変われば世界が変わる。自分を変えよう!世界を変えよう!


 今日も読んでいただきありがとうございました!


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