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ヨガの勉強をするのも、教える練習をするのも楽しい!……けれど、どうも楽しめないトレーニングの一部

自分の第二言語でヨガを教えるのは大変、と前回書きましたが、このひと月ほど、ボランティアで無料ヨガクラスを教えたり、家族や友人につきあってもらってヨガを教えるようにしてすこーし感覚が変わってきました。Mirroringはやっぱり難しい、けれど、スピードを求めなければ結構コントロールできるようになってきました。ヨガの動きを英語で説明するのも難しい、けど、使う単語や説明する動きには重複するものがたくさんあるので、これもシンプルに説明するのに慣れてきました。そして、何より何度も教えていると、何となくこなせる気がしてくるというか、何とかなる、という自信がついてきます。

しかし、ここで自分を過信してリハーサルを怠ったりすると、痛い目にあうのも経験済みなので、ちょっとハードル高めのクラスの前には入念にリハーサル&練習。Zoomで自分を録画しながらティーチングをするのですが、これをするといろんなことに気づけてとても良いです。自分の頭の中のシークエンスでいっぱいいっぱいで、全然生徒に目がいってないな、とか、表情硬いとか。今なんのためらいもなく腿(thigh)を膝(knee)って呼んだなとか。発音不明瞭で自分で聞いててもわからない時あるな、とか(汗)そして自分のポーズも見られるので、腰が開いちゃってるとか、背筋が伸びてないとか、顎上がっちゃってるとか、もうほんといろーんなことが見える。痛いほどに。これをするごとに、何度も教える練習をしたシークエンスは自分のものになっていっている手応えがあって、やる気が湧いてきます。

そして、英語と日本語両方で教える練習をしていると、英語でトレーニングを受けてよかったなと。自分の語学力のバランス的に、英語を咄嗟に日本語に訳して説明することは割と難なくできるけれど、これを逆にするのはかなり厳しい。解剖学の勉強などしていると、日本語でも知らない単語ばかりだけれど、漢字を見ると意味が通じたりしてやっぱり頭に入りやすいし。英語でもラテン語の語源などわかっていれば助けになりますが、私の場合その知識はかなり限られているのでなかなか時間がかかります。

その点、サンスクリット語の勉強は、トレーニングを受けているアメリカ人と同じ土俵で一から覚えることばかりなので、ハードル低め。基本、語学の勉強は好きだったので、なかなか楽しいです。特にポーズの名前になっているサンスクリット語の単語を覚えると、それぞれのポーズが意味を持ってきて、しかもそれがヨガクラスに出るたびに繰り返され強化されていくので、記憶に定着していく感じがあります。どんなベテランの先生でも、全てのポーズをサンスクリット語で呼ぶわけではないし、スペリングが怪しいこともあるし、発音もかなり多様だし、というのを見ていると、英語ノンネイティブの私にはサンスクリット語はむしろ救いだったりします。

学ぶべきことが多くて大変だけれど、勉強は楽しい。この感覚を久々に味わえて、ヨガティーチャートレーニングすることにして本当によかった!と心から思います。が、ひとつ、あまり楽しめないのは思想の部分。前から薄々気づいてはいましたが……解剖学とサンスクリット語の勉強はとても楽しい。ティーチングの練習も実際のヨガも楽しい。しかし、ヨガの背景にある思想や哲学の部分の理解はとても難しいです。難解、というだけでなく共感ができないというか腹落ちしない。まして、それを教えるなんて想像できない。ポーズや動き(asana)にフォーカスするヨガクラスも多いので、必ずしもヨガ哲学を語れないとクラスができないわけではないですが。自分が教えるヨガの方向性を考えさせられます。

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