医者の心(浅野浩二の小説)

ある冬の日のことだった。その患者にはニ、三回問診をしたことがあり、というより私は病棟の患者は全員、ノートに気をつけるべきチェックはしており、話してない患者というのはいなかった。あるNs(その患者の担当なのだろう)が、その患者がころんで、額をぶつけて、腫れているので、湿布顔にすると目にしみませんか…と聞くのでみにいった。患者が危篤状態になると記録室に一番近い部屋に移されるのだが、その患者は七八才の老人で数日前から、一番近い部屋にうつっていた。私はその患者が一週間前から右歩行失調で、右片マヒぎみだった、ことを知らなかった。精神科の医者も診断という点では内科医であり、いつもは幻聴と体調をきいてるが、内科の勉強は、いわば釣り糸をたれて、魚がかかるのを待っている釣り人なのだが、湿布がうんぬん、どころではない。数日前から右片マヒぎみで、車椅子…と聞かされた。ベッドの上で手をふるわせて、口をアワアワふるわせている。数日前から尿失禁もあるという。脳梗塞が疑われるので、数日前にCTをとったが患者が動いてしまうため、いいCTがとれなかった。担当のNsは、この患者の名前は××で、会話はどの程度…などと説明しだした。こっちが患者のことを全く知らないと思ってる。私は内心、言った。
「バカヤロー湿布うんぬんの問題じゃねえよ」
そのNsはこぎれいなウサギのような顔で、少々うぬぼれが強く、アクドイ性格ではないが、軟膏処置したり、入浴などを介護して患者の笑顔をみて、自分が処置してあげると患者はよろこぶんだ、という程度の認識しかなく、医者も男であり、老人になど興味はもっておらず、自分に気があるんじゃ…との程度でしか私をみていなかった。自分が患者から離れたら、私も患者から離れるだろうと思っていたのであろう。ちがう。この機会こそが、待っていたものなのである。魚がひっかかったのである。私の中で医者の思考が動きだした。いわずもがな、今の病態の診断である。
 医者の頭脳が動きだした。その思考をコトバにしてみるとこんな具合である。
 右片マヒ。右片マヒ…。
 心室性期外収縮の不整脈もある。
 ということは、左の脳の血管のどこかがつまったんだ。どこだろう。内頚動脈の方か。それとも椎骨動脈の方か。解剖学で学んだ脳血管の走行が頭の中にイメージされる。内頚動脈か、椎骨動脈のどっちだ。他の所見は? ペンライトをとりに、記録室にもどった。他の所見から、つまった血管の部位がわかるのである。ペンライトで対光反射を調べる。対光反射はちゃんとあり、左右差はない。(医者は上の医者のすることをみて学んでいく。ある時、意識消失になった患者の対光反射を必死でみていた、ある夜の結核病棟のオーベンの姿がうかんできた)嚥下困難があって、歩行失調になった時から流動食にしているとのこと。嚥下困難があるってことは椎骨動脈の方がつまったってことか。片マヒと嚥下困難ならワーレンベルグ症候群。いや、もっと柔軟に考えろ。単純に考えるな。患者は入れ歯の老人だ。それにもうひとつ、精神科の患者で、口アワアワで、手がふるえてるとなれば悪性症候群も考えなくてはならない。悪性症候群なら、熱は? 額をさわってみるが熱はない。検温でも熱の記載はない。筋拘縮は? 悪性症候群なら、腕をのばしてみれば、リードパイプ現象、コグホィール現象がみられるはずだ。やってみると、ややその感じがする。しかし老人の加歳による筋拘縮も考えなくてはならない。
 ともかく脳梗塞なら腱反射が亢進するはずだ。記録室にハンマーをとりにいき、腱反射を調べる。たたいてみるが、あまりはっきりしない。発症が突発的なので、どうしても脳血栓か脳塞栓という先入観で、どこの血管がつまったのか、ということに全関心が集まってしまう。だが悪性症候郡もきりすててはならない。口と手は震えている。錐体外路症状だ。脳のどの血管がつまったかは、他にもっと顔や体のマヒや、痛覚を調べればわかる。いったいどこの血管が…。と考えているところへオーベンのDrが来てくれた。(超ベテランで雲上人なのだが、患者の悩みの対応のしかたにあたたかみがあって、又、なるほど、こういう時は、こういう説明をすればいいのか、と学んでいたのだが)…が看護人達ときた。先生が足の裏を鍵でさわっているので、私は、
「これ、バビンスキー反射の検査っていうんです」
といったらDrは、
「ちがうよ。くすぐってるんだよ」
と言った。Drは救急医療センターに電話をかけ、
「あー。××病院の××だけどね。数日前から片マヒぎみになって、脳梗塞の疑いが強いんだが、CTもとったんだけど、こっちのCTはうつりがちょっと悪い上に、患者がうごいちゃってね。どうかそちらさんできれいなCTをとって、かたがた治療もおねがいできないかと思ってね」
救急医療センターのDrと顔みしりらしく、対等に話してる。さっそく救急車がよばれた。
「先生行ってくれる」
というので、私はこんな勉強の機会はめったにないから二つ返事で答えた。先生は紹介状を書く。私も患者のカルテは全員よく読んでいたので、紹介状くらい書こうと思えば書けた。が、私は何につけ、のろいので、また紹介状は緊張してきれいに書こうとするので、きれいな紹介状ができて「できた」とよろこんだ時には患者はすでに死んでいた…なんてほど、のろくはないが、また脳梗塞といっても一刻をあらそうほどでもない患者だったので、のろくさ紹介状かいてるうちに救急隊員帰ってしまった…というほどでもないだろうが、先生が紹介状かいて、
「封筒ない。封筒」
ときくので、せめて封筒に、
「××県救急医療センター××先生御侍史」
と書いて、カルテと今年の二月にとったCTと三年前にとったCTとを脇にかかえて、担当のNsといざ出陣。あまりひどいいやみは言われなかったのでよかった。Nsはちょっと私と二人になることにためらいを感じているのは確かだった。二人になって、親しく話すのをキッカケに自分に親交を求めてきたらイヤだなと思っていたのだろう。私は心の中で、まわりの人間、そして自分自身に対してどなった。
「バカヤロー。人の命を何だと思ってやがるんだ」
ストレチャーに患者をうつし玄関へ運ぶ。医者であるという自覚がおこる。私の靴音がカッカッカッと床にひびく。私は胸をはって威風堂々と歩いた。救急隊員におれいをいって、患者をのせ、二人チョコンととなりあわせに座った。けたたましいサイレンの音とともに救急車が出発する。まわりの車はサーとよけ、停止する。私はNsに、
「カルテを」
といってカルテと、前とったCTをみた。むこうのDrに申しおくるには患者の病状が正しく把握できていなければならない。私は、完全どころかぜんぜん十分に患者の病状を把握できていなかった。Nsは医者が何を考えているのか、わかっていないのだろう。答えておこう。今の段階の私では、頭の中に患者の脳のウイリス動脈輪がイメージされ、いったい、脳動脈のどこがつまったのか、に今の自分の関心のすべてがそれにひっぱられてしまうのである。正しい診断、正しい病態把握、が、関心のすべてなのである。もっとも私はどうも性格的に神経質なので、つい診断の方に関心が向かってしまうのだが、医師として大切なのは、今なすべき適切な処置なのであって、診断などはあとからでもいいのである。以下自問自答。看護記録はきれいな字でしっかり書いてある。前のDrの字はみみずののたくり字で読めない。尿失禁は今回がはじめてか。前にはなかったのか。歩行失調も同様。もしあるとすればTIA(一過性脳虚血発作、脳梗塞の一歩手前)いったいこの患者はどういう病態なのだ。布団をめくって手をさわってみるとさっきまでのふるえ、はとまっている。口のふるえも同様。生化学検査でBUN(尿素窒素)がちょっと高い。腎機能は大丈夫か。心室性期外収縮は前からあったが、その原因は? 薬の副作用か。加齢のためか。あるいはさほど害のないものか。今回の片マヒの原因となってはいないか? 心筋梗塞の既往は? ギモンが次々と頭の中でおこってくる。もっともベテランの医者からみれば今の私の思考などこっけいなものにすぎない。ベテラン医はカルテをサッと一瞥し、患者をちょっとみただけで、患者の病態把握ができる。CTで脳室の拡大がみられる。失禁、歩行失調、痴呆に脳室の拡大の所見ときたら、正常圧水頭症、も教科書的に考えてしまう。
 救急病院につく。
 だいたい医者というからには患者の病態把握が完全にできていなくてはならないのである。何をきかれても答えられなくてはならないのである。護送中は、カルテを読んでいて、ひたすら病態把握の努力におわった。救急病院は、私が今行っている病院とは違って、きれいで立派な病院で、精神科とはぜんぜん様子が違う。ここでこそ、まさにこの病院でこそ、日々、生きるか死ぬかの戦いがおこなわれているのである。が、救急病院のNsの対応はおちついている。気が動顛しているのはこっちである。Nsにも畏敬の念がおこり、腰の低い言い方になる。紹介状をNsにわたす。てきぱきとバイタルチェックや点滴がおこなわれはじめる。こちらのNsは私のような要領の悪い新前医者は何もわかっていない、と思ってるから彼女が救急病院のNsの質問に答えた。彼女は、この患者の介護度は、入浴は自分で可、食事はかゆで、トイレも自分で可、意志疎通は、名前や簡単な受け答え程度は可、といった。患者の日常生活をみて知っている点ではNsの方が上である。カルテには幸い、私の問診もかいてあった。生年月日は正しく答えられ、幻聴の有無の問いには、ない、と答え、他患やNsとの交流もないが、名前をよばれると「はい」と答える、など少しだが書いてあった。
「合併症はありますか?」
ときかれたので、
「心室性期外収縮があります」
と答えた。
「心室性期外収縮はいつからですか?」
ときくので、あわててカルテの前をめくると、カルテはニ年前までであり、約一年前に検査してわかっているので、そのとおり、
「一年前、検査した時点で心室性期外収縮がわかっていますが、いつからおこったかは、もっと古いカルテをみないとわかりません」
とやや申し訳なく正直に答えた。ひかえ室でまっていてください、といわれたので、Nsと二人でひかえ室に行った。余人は知らず、私は医師として患者の病態把握が不十分なのに、もつべき責任がもてていないことに申し訳なく、又、私は救急科のDrを神様のように思っているので、カルテをひたすら読み直し、過去に数回とったCTをすかしてみて、何とか、より患者に対する認識を上げねば、と思っていた。Drに何かを聞かれたら、私は正確に答えられなくてはならない義務がある。その上、私の個人的な感じ方として、救急科や外科のDrを神様のように思っている。自分じゃ脳手術はできないのだから、おねがい申し上げるしかない。尿失禁は以前にないか。看護キロクをよみ直す。そんなことを私が考えているとは余も知らずNsは、となりにチョコンと座っていたものの、親しく話しかけられたらイヤだな、と思ってる様子だった。私のカルテあらい直しのせわしい行為も、興味ないのにムリしてるんじゃとか、私が何を知りたがってるかわかってなかっただろう。私がCTをみているとNsが、
「何か分りますか?」
と聞いた。私はNsの気持ちを察していたから、ずっとNsに話しかけなかった。が、患者の病態で医学的カンテンから、聞きたいことはあった。が、ゴカイされるとイヤなので、何もきかなかった。が、彼女が聞いたので、CT上の異常所見を説明した。
「この患者は××の治療をうけていて、ここのところに××の治療をうけた跡があります。ちょっと黒っぽくみえるところがそうです」
と言った。いったら、私の説明欲とでも言おうか、人に説明して、認識させたい、という欲求が、私には、誰かれおこるので、その感情は私の口をかってに動かしだした。こっちも相手がどの程度まで知っているのかわからないので、
「この黒いのが脳室といって、脳脊髄液が入っているんです」
と説明した。また、彼女が話すきっかけをつくってくれたので、以前、患者が尿失禁したことはないか、片マヒぎみになったことはないか聞いた。尿失禁はトイレまでまにあわずに、もらすことはあるが、失禁はないとのこと。歩行失調は今回がはじめてとのこと。Nsはどう思っているかは知らんが、医者は、探偵、なのである。一度話し出すと堰を切ったように私の説明欲が無口きわまりない私をおしゃべりにした。なぜなら私の説明欲は人に認識させたい、という気持ち以上に、自分自身に対する説明なのである。大学の臨床実習の時でも、教科書を読んでも、なかなかオボエづらく、人から生の声で聞いたことの方がずっと理解や記憶によく、さらに、自分が人に言ったことというのが、一番よく記憶、理解にいい。もちろん中途半端な理解でしゃべるのだから、間違いのあることを言ってしまう。しかし、言った後で、はたして自分の言ったことは正しかったのだろうか、とギモンがおこる。自分の言ったことの中にある、誤りを知らぬうちにさがしだす。知らなかった、という気づき、は一瞬ののちに、知りたい、という欲求をうみだす。そしてまた、知らなかったんだ、という気づきも理解にほかならず、理解の向上、あいまいさ、からの脱却がおこる。また、ふと、自分がなにげなく言ったコトバから、問題意識がおこってくるのである。CTを前に私は、
「ころんで頭をぶつけると、硬膜下血腫がおこり、血のかたまりがCTで半月状にみえるんですよ」
と言った。この時、思いつきで言った硬膜下血腫が逆に私をガッチリつかまえてしまった。私は自分の考え方に大きな誤算があるのではないかということに気がついた。脳梗塞をおこしたから片マヒになって転んだのだ、と私は思っていた。患者が脳梗塞をおこしておかしくない年齢だからそう考えて疑っていなかった。しかしもしかすると原因と結果が逆なのかもしれない。頭をぶつけたために脳出血を起こしたのかもしれない。
硬膜下血腫、硬膜下血腫…。
医者の心が動きだした。
「歩行がふらつくようになったのはいつからですか」
「一週間前からです」
「その頃、患者はころんで頭をぶつけたということはありませんか?」
「その時は私は夜勤だったのでわかりません」
「以前にころんで、タンコブできて今日みたいに湿布したことはありませんか?」
「おぼえてません」
私の心で医者の診断のための情報聴取の目がうごきだした。だが彼女は、ことの重大さ、を理解していない。私は心の中で言った。
(会話を楽しんでいるんじゃないんだ。診断のための情報収集なんだ。もっと真剣に思い出そうとしてみてくれ。人の命がかかっているんだ)
「以前にも歩行が困難になったことはありますか?(TIAとのカンベツ)」
「いえ。ありません。今回がはじめててです」
(よーし。いい子だ。今回が初発だな)
「以前に尿失禁したことは?」
(カルテ過去二年分に尿失禁と歩行マヒの記載はない)
「トイレにまにあわずもらしてしまうことはありましたが、しびんで自分で排尿できてて、失禁することはありませんでした」
(となると今回の尿失禁は、片マヒ出現時とも一致しているし、脳の器質性障害のものだな)
私は彼女に硬膜下血腫の説明をした。
「硬膜下血腫というのは老人がころんだり、頭をぶつけたりした時、まず考えなくてはならないものなんです。硬膜下血腫というのは…脳の架橋静脈というのがやぶれておこるんですが、強い力でなくても、頭の緊張がゆるんでいる時に頭をぶつけるとおこるんです。CTをとると三日月状に血腫がはっきりとわかるんですが…」
その時、救急科のDrがCTをとりおえて、もってきた。
Drは言った。
「慢性硬膜下血腫です」
言ってCTをみせてくれた。左にはっきりとイソorロー・デンシティーの三日月状の血腫がみえる。血腫のため脳が右に偏位し、血腫のある方の左の脳室はおしつぶされ、大脳縦隔も右におしやられている。教科書通りの典型的なCT写真である。
(慢性ってことは、もっと以前に頭をうったことがあるのかな。いや、慢性硬膜下血腫は頭をぶっつけなくてもおこることもある。精神科だから他患にぶたれたことがあるのかもしれない。いや、ぶたれて硬膜下血腫ということは…。ボクサーじゃあるまいし。いや、バタード・チャイルド・シンドロームでは母親になぐられても架橋静脈がきれて、硬膜下血腫になるじゃないか。いや、子供と老人の血管は別だ)さまざまな思考が頭をかけめぐった。
「めい子さんか、おい子さんかに連絡できますか?」
Drがきいた。
「はい。できます。××にいます。電話番号はここです」
Nsは言って、カルテのめい子、おい子の電話番号をしめした。約一週間の入院で血腫除去手術をすることになった。これは非常に頻度の高い、かつ典型的な症例である。血腫をとれば、片マヒや尿失禁はかなりなおるだろう。百パーセントまでもとにもどるかどうかははわからない。無事、役目がおわりかえることになった。ちなみに医療に関係のないことでは、彼女は、
「ここの土地の人ですか?」
ときいたので、
「いいえ」
とだけ答えた。救急隊員におれいをいって、病院におくってもらった。もちろん患者はいないからサイレンはならしていない。役目がおわってほっとする。心疾患があって、高齢で頭部打撲の処置は片マヒのための結果のものだと思っていたので、硬膜下血腫は頭に入れていなかった。心疾患があったから、脳血栓か脳塞栓だとばかり思っていた。あまりにも典型的な写真だったので、救急車の中で、とりたてのCTをみていると、後部座席の救急隊員が、
「こういう写真あんまりみたことがないんですよ。何かわかりますか」
と聞いてきたので、CTの血腫を示して、
「左側に、はっきりした血腫がありますよね。これが脳を右におしつけているんですよ。だから血腫をとるんですよ。非常にわかりやすい、単純な理屈ですよ」
と説明し、CTで血腫の圧迫によって、左の脳室がおしつぶされ、脳全体が右におしやられていることを、大脳縦隔の右への偏位によって説明した。理解することができたと思う。が、彼ら三人は自分達の話に入って行った。彼らの会話は面白い。というより人間の会話はおもしろい。会話は、目的地のない旅行とでもいおうか、かつぎ手の足のきまぐれで、さまよう御輿とでもいおうか、よくあんな次から次へとおもしろいことを笑わずにいえるもんだと思う。話題が運転免許のことにきた。
「筆記試験では、毎回、一番やさしい問題をだしますから、おちついて解いてくだい…っていうんだよなー」
私が免許うけた時は、そのコトバはきかなかった。そんな明白なウソを信じる人は、まずいない。だがユーモアが緊張した受験生をおちつける効果はある。私なら笑ってしまうだろう。ほとんどの人は笑わずにギャグマンガを読む。笑いながらギャグマンガを読んでる人をみかけたことはあまりない。
救急車の中で、行きと同じように、となりあわせにNsとチョコンと座っていたが、私はいろいろCT所見や医学的なことを説明したい欲求にかられたが、何か誤解されるとイヤだったので何も言わなかった。
病院に救急車がついて、
「ありがとうございました」
と救急隊員に言って、病棟へもどる。オーベンに救急病院で撮ったCTをわたす。CTをシャーカステンにかけ、蛍光灯のスイッチをいれる。
「イソ・デンシティーですね」
と聞くと、オーベンは考えて、
「んー。イソ・デンシティーときいたけど、ロー・デンシティーじゃないの」
という。いわれてみると確かに、脳皮質に比べロー・デンシティーのようにみえてきた。ロー・デンシティーということは、ある程度時間がたった血腫ということだ。血腫は発症後、イソ→ロー、デンシティーになっていく。行ったNsは別のNsに、
「救急病院のNsにいじめられなかった」
と聞かれて、
「ううん。別に。いじめられなかったよ」
と言った。事実いじめられてはいない。いじめ、というといったいどんないじめ、があるのだろう。やはり患者の病状把握が正確かどうかの質問だろう。しかし、合併症とか、発症のいきさつ、とか、その他、患者に関して知っておくべき情報である。責任感からきくのであって、それは、いじめとはいわない。勤務時間のおわりのチャイムが鳴った。図書室にのこって、硬膜下血腫および患者の病態を深く知りたい欲求が非常に強くおこった。だがそれ以上に、ある強い欲求が起こった。それは今回のことを記憶が新しいうちに小説にしておきたい、という欲求である。で、その晩から書きだして、翌日は休みだったので、一日中かいて、今は三日目。で、とりあえず、何とか、書きたかったことが書けてうれしい。が、あながち勉強しなかったとはいえない。行動が認識の最良の手段である、というのがカント哲学だが、私にとって書くことは行動の一つである。

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