なぜ継続するのか

毎日コツコツ続けること。

私が、長年苦手としてきたことだ。

子どもの頃の(成人してからも)、日記や勉強などは、「何かをやりきる」前に集中力が切れる、飽きる、中途半端にフェードアウトする、というのが既定路線だった。

そんな私が、一念発起して、ノートを毎日書くようになって3か月が経過した。
とりあえず続けることが目的だ。
子どもを寝かしつけた後でも起きて何か書いている。

慣れてきたとはいえ、文章を校正するのにまだまだ時間がかかり、思考する時間も必要で、なかなか執筆にかかる時間を減らすことが難しい。
投稿する前に、日にちが変わってしまうこともしばしば。

完璧でなく、8割でいい。そう思えるようになったから、続いている。

毎日書く習慣はできつつあると思う。

でも、睡眠時間が減ってしまった。
これまでは、子どもの本の読み聞かせをして21時半ころに一緒に眠ることが多かった。
それが毎日、24時過ぎるまで、パソコンに向かっているのだ。
ブルーライト浴びて、睡眠の質も下がっているよね。
これでいいのだろうか?

1日1投稿すると決心した。
決心するほどのことか??
1日でもサボると、サボり癖がついてしまいそうで、そしてどんどん自分に甘く怠惰になっていく自分がまだ容易に想像できてしまうのだ。

朝方にシフトチェンジする。
数日分書き溜めて、定時にUPできるようにする。

そうできればいいけれど、朝だとすぐに時間切れになる。
時間のある時に書き溜めてみても、あっというまに、在庫切れ。
夜の子どもが寝静まった時間が一番落ち着いて作業しやすいのよね。
言い訳しか思いつかない(苦笑)

最近そんなことを思っていたら、通勤時間や家事時間のお供、voicyでMBさんが話されているのがめちゃくちゃ刺さった。

継続は成功・目的達成の要件ではある。
継続すること自体が目的になってしまうと、その中身が陳腐化してしまう。

馬の前に人参をぶら下げるのは、ゴールに早くたどり着くための手段
人参を追いかけることだけに集中して走り続けると、コースアウトしても気づかない。

継続したことに対する達成感は得られても、目的に対する進捗はたいして進んでいないことがある。

継続と振り返りはセット
進捗と方向があっているかの検証が必要

そうだよね、そうだよね。
私はなぜ、何のために毎日書いているのか?

noteを書こうと思ったのは、新しい情報に飛びつきはするが、深めることをせず、自分の中で整理されずにぐちゃぐちゃになっているたくさんの情報をなんとかしたかったから。

一生懸命やっている割に、中途半端な自分から脱却したいから。
もっと知的でアクティブな女性でいたいから。
周りから信頼される人でいたいから。
自分の子どもが、後で読んでくれるかもしれないから。
自分の自己肯定感をあげたいから。(続けられない自分からの脱却)

継続したことで生じた弊害、「睡眠の質の低下問題」にどう対応するか。

執筆にかける時間を決めてしまう?
・・・8割でいいとはいえ、それなりに自分の納得のできる文章でいたい。

1日1投稿という縛りをなくす?・・・とりあえず1年は頑張りたい。
自己肯定感が上がれば、たとえ1日抜けたとしても、「またやればいい」と思えるのかもしれない。
(365日だとか1000日毎日継続という、響きに憧れている私もいる。)

睡眠(朝方へのシフトチェンジ)、文章術、時間術に関する本を読んだりしてみて、出来そうなことを実践しながら、その試行錯誤を書き出してみてもよいかもしれない。

私はなぜ書いているのか?
私はどうなりたいのか?
いつも心に留めながら、一歩一歩進んでいこうと思う。




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