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幸福な気持ちを思い出すよりどころ。

ここのところ、数回に分けて子ども時代のことを振り返ったら、ずいぶんエネルギーを消費しました。
率直な、自分と自分の親との関係を綴ってみて、疲れたけれど、でも自分のなかにある気持ちを少し整理できた気がします。
抑えつけていた悲しみや怒りもゴロゴロしていました。

これまでは見ないように、気づかないようにしていたんですね。
でも、それはもう無理だったんだなと思いました。

なんとかやり過ごして、なんとか誤魔化していたんだけれど、メンタルの不調の根っこに大きな影響を与えていることを否定できなくなりました。
調子が悪いと「なんとかやり過ごす」「なんとか誤魔化す」ができなくなってしまったんですね…。

ただ、悪いことばかりではなくて、ふと子どもの頃の楽しかったことや好きだったことがよぎることが増えたように思います。

そのなかで、すごく幸福な気持ちになるのが、休日の朝の思い出。
朝から焼きたてパンが並ぶお店に行って、すごく良い香りのする美味しそうなパンを選んで、帰って家族で食べる、そういう思い出です。
食卓には焼きたてのパンが出てきて、口に入れたときのバターの香ばしさに感動して…。

マフィンや蒸しパン、ぶどうパン、くるみパン。
チーズののったパン。カレーパン…。
果物の入ったパン、チョココルネ…。
思い出そうとすると、いろいろなパンが出てきます。

今思えば、母は休日は機嫌が良かったですね。
母のイライラのもとには仕事のストレスが大きかったのでしょう。
そういうのもあって、休日はとても安心していたように思います。

なんだか特別な一日の始まりで。
学校も休みだし、朝から好きなテレビを観て、のんびり過ごす。

年を重ねたからもあるのでしょうし、私にとってはあまりもう思い出さないほうがいいからでしょうか、小さい頃のことを思い出せないことに気づくことが増えました。
ただ、時々この朝の焼きたてパンを食べる瞬間の幸福感を思い出すことがあります。

私には恐らくこういうよりどころが必要なんだなと感じています。

30年ほどたった今、今度は私が食事を用意する側になっていますが、時々朝にパンを準備すると、それだけで幸せな気持ちになることがあります。

焼きたてを食べたくて自分で手作りで準備したこともありました。
(もちろんプロのようには行きませんでしたが…失敗作も多々。)

小さいころに買いに行ったパン屋さんは、もう今では無くなってしまいました。
実家に戻る時に通る道なみが変化していくにつれ、寂しい思いもしますが、記憶の中に息づいているそのパン屋さんは、今でも思い出すときに柔らかなバターの匂いに包まれていて、私の幸福のシンボルでいてくれています。

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