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怒りのエネルギーが怖かった話

こんにちは。
ぬくめどりです。
拙いながら、書いている文章を読んでくださっている方々、ありがとうございます。

基本的には自分個人の体験で、おおよそ他の方から好まれる内容やポジティブな内容ではないので、もし不快な気持ちにさせてしまうことがあったらごめんなさい。

ただ、私にとっては綴ったり体験を整理することで、自分の今の状況を良くする工夫を見つけて、それを同じように困っている方がいたら共有出来たらな…と考えています。

私がメンタルの不調を抱えるにあたって、いろいろな要因があるとは思っているのですが、その一つが親との関係でした。特に母親との…。

大人になって、母とちょっと距離を取ることができるようになってきた時、自分の子どもの頃の体験を整理し始めることができました。

子どもの頃の体験は自分には関係ないんだと一生懸命言い聞かせていたけれど、整理し直すとやっぱり自分の生き方にこんなに影響しているんだなと思わざるを得ませんでした。



怒鳴られるのが辛かった子ども時代

…怒鳴られていました。しょっちゅう。

実を言うと、子ども時代のことを振り返った時に、「たぶん楽しかったと思う」という返答をする習慣がついていて、よくよく振り返らない(意識化しない)ようにしていた自分の在り方に気づきました。
怒鳴られていた自分を思い出したくなかったんですね。

実家に帰省すると夫に「なんでそんなに緊張してるの?」と言われるたび、「そんなことないと思う」と言っていましたが、帰省から帰ってくると明らかに調子を崩す私…。
自分でも認めざるを得ない、子ども時代の体験の課題がありました。

母は教員として働き続け、子どもの自分から見ても忙しい日々を送っていました。持ち帰ってくる大量の仕事、遅くまで仕事をしている姿…。
私はほとんど祖父母の家に預けられていましたから、母が帰ってくると嬉しくて、話したりまとわりついたりしていたように思いますが、そういうところも忙しい母にとってはストレスだったのでしょう。

ささいなことで、母は怒鳴りました。
怒鳴ったり、場合によっては物を投げました。
自分が息を止めてかたまる、あの不安感に襲われる時が苦手でした。
怒鳴り続ける母の言葉を一生懸命、聞き逃さないように息をひそめました。
大きな声でワーッとまくしたてられる言葉を聞き、「わかった?」と尋ねられればすぐ返事をしないといけません。
あるいは、適度に聞いて「ごめんなさい」と言わないと、真面目に聞いていなかったとして余計に怒鳴られることにビクビクしていました。
そして、「ごめんなさい」と熱心に謝っても、「そう言えばいいと思ってるんだろう!」と再び怒りが表出されることもありました。
なるべく静かに、一生懸命聞いて、反省している様子を示すことが重要なんだと悟りました。

例え本当は邪魔をしようと思って行動したわけではなくても、結果として邪魔になってしまった場合、母にとっては私の行動が母を「困らせた」ので、怒りの対象になってしまったわけです。
納得がいかなくても反論すると余計に怒りのボルテージが上がるので、黙っているのが得策だとぼんやり子どもながらにわかっていました。
そういうモードに入ってしまうと、私は怯えながら、最終的に自分が悪かったんだなと思いながら納得させる方略を取っていました。

いまだに自分が悪くないのに謝ってしまったり、相手が少しでも怒っていると気づくと息を止めて身構えてしまいます。
怖いのです。

一方で、家の外では母は陽気に振舞いました。社交的だと思いました。
もちろん私に優しい時もありました。
だから、私に対してこんなに怒るのは私が悪いからなのだと思っていました。

大人になって知らされたことー母の抱えていた病気

成長して、私自身も反論する力がついてくると、母親とは何度か大きな衝突を起こすことはありましたが、だんだんと「それでも母なんだから…、でも私が折れればうまくいく」という結論を繰り返すことが多くなりました。
私はなるべく母親の意向にそう選択肢の中から、自分にとって良い選択肢を選ぶことが多くなりました。
希望しても反論されればつぶされてしまうのがわかっていたからです。

やがて結婚して、子どもを産み、産後の調子が悪くなり病院を受診することになった時、家族の病歴を確認しておいた方がいいのでは、と思いつきました。(問診表で書くことになるので)

母に連絡を取り、病歴を確認した時に、初めて母親が心療内科に通院し服薬していたことを知りました。
休職の時期もあったことも知りました。
当時の自分は学生生活が忙しく、全く覚えていなかったので驚きました。

その時に、「爆発…なんとかって言われたと思うんだけど」と一言。
結局、その後病院を変わったり他の持病を治療したりした関係で、別の診断名のほうが母の記憶には残っており、詳しく聞き取ることはできませんでした。

ただ、私自身も子どもに対してあんなになるまいと思っていた母のように「キレてしまう」ことが増えており、「同じような症状が出ているのでは?」と不安になって調べることにしたのです。

間欠性爆発性障害の可能性

調べたところ、「間欠性爆発性障害」という言葉が見つかりました。
以下、ホームページからの引用です(2024年1月31日時点)。

間欠爆発症は、急激に怒りや感情を爆発させ、激しい言葉で攻撃する障害です。時に暴力を振うこともありますが、通常、相手が負傷したり物が壊れたりするほど激しくはありません。発生する頻度は3カ月平均で週2回ほど、30分もたたないうちに収まるのが典型的です。ただ、より重度の場合は、人にけがをさせたり、物を壊したりするほど激しい爆発的な行動を起こします。頻度はそれほど高くなく、1年に3回程度です。

https://www.e-heartclinic.com/kokoro-info/special/motion_4.html

すごく当てはまるように思いました。
もちろん、はっきり医師の先生が診断したという根拠はないので、母にこの診断がついているかどうかはわかりませんでした。
ただ、この状態に近かったのではないか…と。
少なくとも、診療にあたった医師の先生が可能性を考慮したのではないかと推測しました。

私は、かなり以前から自分が怒りのエネルギーを適切に表現できないことに悩んでいました。
家庭外では怒鳴ったこと、怒ったこと、不満を表明することはほとんどありません。
周りに「もっと怒っていいのに」と言われてしまうくらい。

母のように、家庭外では抑えがきくのですが、家庭内ではささいなことで怒りの沸点が低くなり、怒鳴ったりわめき散らしたりしてしまうことがありました。
その度に母と同じことをやっている、と自己嫌悪に陥りました。
でもふつふつと湧き上がる怒りのエネルギーを自分ではコントロールできず、どうしたらいいのか悩んでいました。

家庭外では怒りを出せず、家庭内で怒りを破裂させてしまう自分。

私自身も母のように子どもたちに怒鳴り続けてしまったら、子ども達に自分と同じ苦しみや怒りのエネルギーへの不安を抱えさせてしまう…。

私は、自分だけではなくて、子ども達のことを守るためにも、病院を受診して治療することにしました。
もちろん、この怒りのことだけが原因ではなく、他にもいろいろな要因が重なり合っていたわけですが、少なくとも私の苛立ちに上の子が委縮し始めるのに気が付いていました。
その度に私は過去の自分を見ているようで辛く、でも止められない自分にやるせなさを感じていました。

怒りの感情とどう付き合うか

結果として、私自身についた診断は、間欠性爆発性障害ではありませんでした。ただ、イライラの症状については相談し、治療を行うことになりました。

今の主治医の先生ではありませんが、かつて、過去の体験から来る怒りとどのように付き合うか、ということについて私にとても有益な助言をくださった医師の先生がこう言っていました。

「巻き込まれるのではなく、
 流されるのではなく、
 confrontすること」

confrontを知らなかったので、調べると「対決する」と書かれていました。

私は、母と同じように怒りに巻き込まれ、流され、もがいていました。
負けっぱなしで、対決する段に至っていませんでした。

ただ、私は母よりも早い段階で、通院と服薬治療を開始し、薬の力を借りて怒りをコントロールする準備をととのえることができました。
以前にこころの問題だけれど、生物学的なものをととのえる必要があるのでは…ということに触れましたが、恐らく薬の力で症状がおさまってくると、これまでささいなことで破裂していた怒りは扱えるものになりました。

子ども達を怒鳴らず、落ち着いて対話できるようになったと思います。
恐らくこれがconfrontすることなのかなと考えています。

でもまだまだ子どもの頃の体験は根深く、やはり大きな怒りが湧き上がってきて、怒鳴りそうになることもあります。
服薬だけではなく、私の考え方を変えていく必要もあるのだと考えています。

また、自分がそのように怒りに巻き込まれてから、母に対しても、
「母も大変だったんだね」「気づけなくてごめんね」という気持ちと、
「でももっと他に言いようややりようがあったと思うよ」「私、どうしてあんなに怒鳴られたの。苦しかった」という気持ちが生まれ、
互いにぶつかり合っているような状況です。

まだまだこの関係性について、私が自分でおさめていけるようになるには時間がかかるのだろうと感じています。
でも、このことに気が付いたことで、一歩階段を上ったような気持ちではいます。

まだまだ治療は続くでしょうが、私はしっかり階段を上っていこうと思います。
過去は変えられませんが、未来は変えることができる可能性を持っているからです。


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